第8回コロキアム 「グローバリゼーションと人類学の可能性(2)」

「マレー・ディアスポラ運動を対象とするフィールドの外延」
 富沢寿勇(静岡県立大学 教授)

 本報告の主題にあるマレー・ディアスポラ運動とは、主にマレーシア国民文筆者協会(ガペナ:GAPENA)を先導役として1980年代から90年代以降、今日に至るまで展開されているマレー(ムラユ)人の国際的なネットワーク構築運動である。「マレー・ディアスポラ運動」という表現は、「マレー世界運動(グラカン・ドゥニア・ムラユ)」とほぼ互換的に使用されており、その思想的底流は、この半世紀前すなわち1930年代から40年代に見られたマレー人の国際的連帯の試みに求めることができる。それは、従来欧米列強によって分割的に統治されてきたオーストロネシア(マラヨ・ポリネシア)語族圏の人々を相互に団結させ、それぞれの植民地支配から解放させる企図のもとで、マレー人という民族概念をオーストロネシア語族と同義で定義し、いわば、マレー人概念を最も広義にとらえて展開したものであった。

 今日のマレー・ディアスポラ/マレー世界運動も、この広義のマレー人概念を踏襲している。同運動の出発点となったのは、1982年にマレーシアのマラッカで初めて開催されたマレー世界会議で、スリランカのマレー人の存在が報告されたのが契機となったと思われる。90年代に入るとヴェトナムでは少数派を構成するオーストロネシア系のチャム人社会や、南アフリカのケープタウン周辺に集住するケープ・マレー人社会へのガペナ代表団の訪問が行われ、つづいて94年には国際マレー事務局(SMA)がマレーシアに設立され、97年にはマダガスカルのメリナ人を中心とするマダガスカル・マレー人協会が結成され、さらに99年にはサウジアラビアに移住したマレーシア系マレー人社会をガペナが訪問するといったかたちで進行した。このように地球上の実に多様な社会・文化環境のもとで散在して暮らしていることが知られるようになったマレー系の人々を、本来「根っこ」を共有するルンプン・ムラユ(「マレー種族」)がディアスポラとして分散居住しているものとして再認識したうえで、相互の政治的、社会的あるいは経済的な窮状を助け合ったり、互いに言語・文化を共有していることをあらためて確認したり、あるいは、相互のトランスナショナルな連帯と人的ネットワークをあらたに構築していくことを目指して展開してきている。要するに、マレー・ディアスポラ運動は、現代世界を席巻しつつあるかに見える市場原理のグローバリゼーションの荒波からマレー人を保護するための防波堤を築く必要性を意識しつつ、同時に、これにすでに機敏に反応し、対応している華人やインド人などの、それぞれ国家横断的に張りめぐらされた広域におよぶ人的ネットワークや文化伝統を維持する姿をモデルとして展開している側面がある。

 元来ガペナが拠点をおくマレーシアでは、憲法上、マレー人とはマレー語を習慣的に話し、イスラームを信奉し、マレーの慣習に従う人々として狭義に定義されるが、マレー・ディアスポラ運動においては、必ずしもマレー語を話せない南アフリカの「マレー人」や、必ずしもイスラームを信奉していないマダガスカルの「マレー人」なども、広義のマレー人として包摂される仕組みになっている。それは、このような広義のマレー人概念を媒介として、イスラーム世界のマレー人を中心に、周縁としての非イスラーム世界があらたに連結されていくメカニズムを内包していることも意味する。総じて見ると、マレー・ディアスポラ/マレー世界運動は、いわゆる近代世界システム論的な意味での中心と周縁とは別次元での、マレー世界における中心と周縁を生成しつつあるとも考えられる。人類学的フィールドワークは、これら同質性と多様性とを同時に備えた個々のマレー・ディアスポラ社会で、いわば多地点民族誌的に実践し、比較研究につなげるところに基本的な可能性があると思われるが、同時に、マレー世界全体をひとつの動態的なフィールドとして認識し、それ自体を総体として巨視的にとらえていく視座も不可欠になっている。