2016年度第1回ワークショップ「災害と/のフィールドワーク」

「災害研究と地理学」

祖田 亮次(大阪市立大学)

 マレーシア・サラワク州(ボルネオ島北部)においては、過去数十年にわたり、主要河川の河岸侵食が問題となってきた。道路交通網の発達していないサラワク内陸部では、先住民集落の多くは河川沿いに立地しているため、河岸侵食の進展は、集落の崩落・水没という状況をもたらしてきた。

 これらの要因について聞いて回ると、現地住民は様々な語りを展開する。1970年代以降就航した動力船の航走波が河岸を攻撃している、上流における森林開発が土砂流入や河床断面形状を変化させて河岸侵食を助長している、気候変動により降水パターンが不規則化したことで河川の流況が変化し河岸崩壊に影響している、など、観察や伝聞、メディアを通して得た知識などを動員して、要因説明を行おうとする。河岸侵食が加速化すると集落移転を考えざるを得ないが、移転先を見つけるのも容易ではなく、好適地は華人やマレー人に取られてしまっていることが被災の遠因であるとして、他民族に対する批判を展開することもある。

 その一方で、超自然的な説明を行うことも少なくない。タブーを犯すことによって、災害・災難に遭うという神話・伝承になぞらえる形で、村人同士の近親相姦や、開発業者による墓地・聖地の破壊などが、河岸侵食の原因として語られる。また、そうした「神話的説明」と上述の社会的・経済的・物理的背景を組み合わせながら、新たなストーリーを展開させることも多い。

 これらのストーリーのうち、物理的な説明については一定の信憑性を持っているように聞こえるが、地形学的・地質学的な観察・分析を行ってみると、いずれも科学的に十分な裏付けを与えることは困難で、結局のところ先住民の説明は、「彼らにとって」「納得・了解」できるストーリーでしかなく、ある意味、神話の再生産を繰り返しているともいえる。しかしながら、そうしたストーリー作りを否定する必要はなく、現在の状況を彼らなりに「了解・納得」したり、異民族批判や政府批判を盛り込むことで「溜飲を下げ」たりすることで、災害を「受容」可能にしている側面もあると考えられる。これを「(創造的)文化知」あるいは、厄災の「文化的了解」と呼ぶこともできる。

 ここで考えるべきことは、科学知による在来知否定でも、伝統知の無批判的称賛でもなく、両者のギャップをどう意味づけるかということであろう。地理学においては、マルチスケール分析という手法により、多層的に災害要因を検討しようとする。その傾向は特に自然地理学において強く表れる。一瞬/一回性の局地的な物理現象と万年/億年単位の広域的地形変化を関連付けようとする「科学的」な議論構築と、繰り返される災難を「神話化」することで無時間性・没場所性を獲得してしまうローカルな文化創造行為には、大きな隔たりがあるように見える。しかし、これらをつなぐ学問的営為として「ジオミソロジーgeomythology」の試みが1970年代から細々と行われ、近年、そうした動きが活発化しつつある。そこには、場合によって「荒唐無稽」にも思われる神話や伝統知の(再)解釈と、地形学・地質学を含む地理学的知識・実践をどのように融合させるのか、という問いが背景にある。

 一方、災害の空間性というものに着目することで、災害の意味するところを再考する契機になる場合もある。災害は「人と自然の間の緊張関係」の顕在化と捉えることも可能であるが、災害空間hazardscapeの設定次第によって、別の見え方がすることもある。たとえば河川災害で言えば、ある場所におけるリスク軽減のための行為が、別の場所におけるリスク増大を招く結果になることが多い。つまり、左岸対右岸、上流対下流、本流対支流という地域間の対立やせめぎあい、あるいはリスクシェアなどの問題は、空間の切り取り方によってその諸相は異なってくる。その意味で、河川災害の研究は「人-自然関係」だけでなく、河川という自然物を媒介する地域間関係・社会関係を考察することにもつながる。

 当日は、これらの諸点について、日本その他の事例も交えながら考察を加えたい。