第13回コロキアム 「異分野間のフィールドワークの共通性と違いについて:政治学と霊長類学のフィールドワークの現場から」

「タイ政治研究者のフィールドワーク」
 玉田 芳史(京都大学)

 私は東南アジアのタイの政治を研究している。私は地域研究者の端くれであり、地域研究の大学院で教鞭を執っている。地域研究にはフィールドワークがつきものである。しかし、私は学部や大学院で政治学を学んだ人間でもある。どっち付かずで中途半端である。政治学はフィールドワークとの親和性が必ずしも高いわけではない。現地に出かけても、政治家や官僚へのインタビュー、学者やジャーナリストとの意見交換、図書館や書店での資料を閲覧収集にとどまることが多い。インターネットの普及とともに、日本にいても入手可能な現地情報が急増しているため、現地に赴く必要性が低下してきている。自分の場合、1980年代にはタイ語の週刊誌を4誌定期購読して航空便で取り寄せていたものの、今では1誌だけになっている。

 それでもフィールドワークの必要性がなくなったわけではない。百聞は一見に如かずである。たとえば、2002年にチェンマイ県の国境近くの村で千名余りの住民登録が抹消(=国籍剥奪)されたというニュースを読んで、2004年11月に同村を訪ねて住民の声を聞いた。親子や兄弟で一部だけが剥奪されたという不合理な処分であることが分かり、国籍喪失に伴う生活苦について聞かされた。しかし後日、同地域の専門家から同村住民には麻薬取引への関与が疑われる怪しい人びとが混じっていることを教えられた。俄仕込みフィールドワークの限界露呈である。また、2008年4月にチェンマイ県の新村が立ち退き処分を受けたというニュースを読んで、同年5月に現地を訪ねて住民に話を聞いた。一方ではタイ国籍取得を目論むシャン人が多数転入していたこと、他方では宅地化も売買も禁止される土地であることが分かった。とはいえ、2010年2月に再訪してみると、多くの住民が居残っており、法律や政策と実態との乖離が実感できた。

 タイ現代政治については、2006年以後の政治混乱を注視してきた。デモ集会の現場に出かけると、学術文献やニュース報道だけでは分からない雰囲気を感じ取れる。とりわけ2007年7月の枢密院議長宅前でのデモでは、草創期の赤シャツ運動の息吹や、警察官に扮した軍人と言われる取締側の様子を間近で観察できた。同じ赤シャツについては、2010年8月には東北地方の複数の農村を訪問して、住民から同年4月から5月にかけての首都での集会への参加状況や、活字にはできない意見を聞き取ることができた。また、2012年には前年の大洪水の調査を行って、被災地域の工業団地、大学、自治体などを訪問した。爪痕を観察し、被災者の声を聞くことは、理解に大いにつながった。

 フィールドワークは研究にとって非常に有益であり不可欠である。しかしながら、情報量や場数の増加につれて、その最大の意義が、情報収集よりも、人脈の構築や維持に移ってきているのではないかと感じている。