『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
6. 悲喜こもごも、しきたりとレジャー ----- イスラーム世界は神秘的か
Q84: ベリーダンスのようなエロチックなものもイスラームは認めているのですか。

A84: ベリー(英語で「おなか」の意)ダンスは、紀元前一五世紀の壁画にも描かれているエジプトの伝統芸能で、今日でもエジプトやトルコを旅すれば、低価格で毎晩ステージを見ることができます。もっとも、これを「エロチック」と見るかどうかは感性の問題で、現代日本人の感覚からすると、それほどエロチックなものでもありません。トップダンサーの踊りはすでにひとつの芸術ですし、場末のダンサーも客の近くで激しく腰を振って見せるだけです。原則として踊り子さんに手を触れることもできません。もっとも女性があまり肌をさらさない中東にあっては、胸の谷間が見えたり、薄い舞台衣装に透けて見える脚線美がいたく刺激的に映る可能性はあります。ベリーダンスがエロチックという印象は、こうした地域特性とヨーロッパ人のハレム幻想が産んだはかない夢なのかもしれません。

さて、イスラームがベリーダンスを認めるか、とのご質問ですが、この場合問題になり得るのは、まずダンスそのものの是非です。ムスリムの理想はコーランを読んだり、神の名を唱えること(ズィクル)に専念する生活で、音楽や踊りにうつつを抜かす暮らしは誉められたものではありません。しかし、これは成人男性に限った話で、女子供は別という考え方もあります。したがって、女性のダンスが一概に悪いとは言えません。住居内の女性用の空間であるハラム(Q95参照)で、女性たちの会食があれば必ずといってよいほ踊りがでます。地方差や個人差はありますが、腰や肩をふるわせる独特の振りで、女性同士でも魅力を競うかのようです。

問題はむしろ女性が公衆の面前で踊ることの是非にあると言えるでしょう。イスラームは性欲の際限なきパワーを恐れるあまり、男女を空間別に分けてしまおうとすら考えた思想体系です(Q96参照)。この立場から言えば、女性が家族以外の男性の前で踊るなど、到底許されるものではありません。ただ、理想はあくまで理想であって、現実の人間生活には音楽や踊りが不可欠とも考えられます。特にエジプトの場合、ベリーダンスは結婚式につきもので、これなしでは披露宴も盛り上がらないため、プロの踊り子は歴史的に黙認されてきました。実際、結婚式は極めて特殊な機会と考えられており、ふつうの女性が人前で踊ることも珍しくありません。

とはいえ、結婚式を除けば、ふつうの女性が男性の前で踊ることは極めて稀です。それはイスラーム的に不適当、または、はしたないことと考えられており、親族男性によって事実上禁じられてきました。もっとも現在のカイロでは男性の権威が低下したこともあり、ディスコで遊ぶ女性をしばしば目にすることができます。

エジプトでは最近、ベリーダンサーがイスラーム主義過激派(原理主義者)に脅迫される事件が相次ぎました。彼らが問題にするのは、女性が男性の前で踊ること、ベリーダンスにつきもののミュージックバンド、さらに足や腹が透けて見える衣装などです。彼らの考えでは、こうした要素のすべてが本来のイスラームからの「逸脱」であり、こうした所業を許しておいてはいつまでたっても神の怒りが解けない、ということになります。イスラーム世界が陥った今日の苦況は、ムスリムがイスラームを尊重しなかったがための「天罰」と考えるイスラーム主義独特の歴史観の産物ですが、ほかに、場末のベリーダンサーが時として売春に手を染めることも、イスラーム主義者を怒らせる原因になっているようです。

先に述べた通り、多くのエジプト人にとってベリーダンスは結婚披露宴の華であり、イスラーム主義の主張はほとんど支持されていません。しかし、個々のダンサーにとって難しい時代が来ているのは確かです。現在カイロのホテルで踊るプロは大半が欧米人女性ですが、機会があったら一度鑑賞してみてはいかがでしょう。イスラームの抱える理念と現実の確執を垣間見ることができるかもしれません。なお出張の場合、超一流のエジプト人ダンサーのパフォーマンスが一〇分程度でお値段約四万円だそうです。
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