『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
7. 家族のきずなが強い理由 ----- 女性は抑圧されているか
Q96: イスラーム教徒にも同性愛者はいるのですか。

A96: イスラーム世界を旅していると、いい大人がお手手つないで歩いていたり、挨拶がわりに抱き合ったと思うと、えっ頬にキスまで!といった光景によく出くわします。これが愛し合う男女なら日本でもよくあること。こちらもそうは驚きませんが、イスラーム世界でイチャついているように見えるのはたいていが同性同士なのです。地域にもよりますが、街頭でイチャつく男女を目にすることはめったにありません。身体に触れあう頻度で言えば、日本人は珍しいくらい他人の体に触わらない民族ですから、日本人同士の距離しか知らない人が、イスラーム教徒(ムスリム)は同性愛者かと考えても不思議はないように思います。

もっとも、男性同士、女性同士の身体密着は単に習慣の違いによるもので、同性愛ではありません。ただ、どんな社会にも同性愛志向の人はいるでしょうから、たぶんムスリムにも同性愛者はいると思います。

実際、イスラーム世界で男性に誘われた経験を持つ日本人男性もそれなりにいるようです。女性が女性に誘われた話は聞きませんが、これは女性の一人暮らし自体が珍しく、誘っても愛し合う場所がない、というイスラーム世界特有の事情によるのかもしれません。

歴史をひもとけば近代エジプトの王族にレズビアンとして名を馳せた女性がいますし、アラビアのロレンスがオスマン帝国軍に捕まったとき、犯されてしまったのではないかと考える研究者もいます。また近代以前でも、マムルーク(奴隷軍人)の間では「両刀使い」が珍しくなかったことを同時代の年代記作者が伝えています。

とはいえ、イスラームが同性愛を認めるわけではありません。イスラームはユダヤ教やキリスト教と同じく、男女間の性交のみを認めます。結婚した夫婦が営むセックス以外はすべて非合法、というのがイスラームの一貫した立場です。イスラーム法上同性愛は罪であり、不義密通と同じく、露見すれば石打ちの刑となります(同性への性欲が刺激されることを危惧するあまり公衆浴場の存在に否定的な見解さえ出されています)。自慰も推奨されません。そんなことに夢中になるより早く結婚し、伴侶との愛を育てて子供をたくさん作りなさい、と説くのがイスラームなのです。ただイスラームに特徴的なのは、性生活の快楽を素直に認め、生きる楽しみのひとつと考えることです。イスラームはキリスト教と違って、性欲の追求を否定しません。以下では、イスラームのセックス観について簡単に述べてみましょう。

キリスト教は精神と肉体、理性と本能を本質的に対立するものと見ています。ここから、性欲など「動物的」本能は精神力で克服すべしと説く、一種の禁欲主義が生まれてくるわけです。ところが、イスラームはこうした二元論を採りません。イスラームは性欲など人間本能の持つ「動物的な」パワーを積極的に評価します。欲望がなければ人間何かに必死に取り組むこともない、と考えるからです。セックスが気持ちいい、ということは「神がセックスを気持ちいいものとして創った」ということですが、その最大の目的は人間に天国の素晴らしさを教えることにあると言われています。天国に行けばこんな快感が永久に続く。それを知れば人間は全力をあげて神の道に励むだろう。慈悲深きアッラーはただ神に従えと命ずるだけでなく、人間が従いやすいように天国という報酬の素晴らしさを教えて下さったのでした。

さて、セックスが神の道に励む原動力となる以上、イスラームがこれを推奨するのは当然です。しかし、一方でイスラームは性欲と繁殖を深く結びつけて理解してもいます。同性愛と自慰が否定される一方、健康な男女は皆早く結婚すべしと説かれるのもこのためです。また、イスラームは性欲のパワーが破滅的な方向に向かうのを極度に恐れます。いくらセックスの快感が天国に通じるとはいっても、朝から晩までとっかえひっかえセックスばかりしていたのでは、神の道の追求がおろそかにならざるを得ません。イスラームは性欲のパワーを認めているだけに、その破壊的側面にもひどく敏感なのです。

性欲の赴くままにふるまえば、社会は必ず混乱する。性欲を満たしつつ、なお公序良俗を守る方法はないものか。これに対するムスリムの回答は、男女を空間的に分けてしまうことでした。悪名高き女性隔離の誕生です(Q95参照)。もちろんこの慣習の背後には、性欲の際限なきパワーに対する激しい恐怖があります。ここでは、異性に接するかぎり性欲はコントロール不能と考えられているのです。
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