『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
7. 家族のきずなが強い理由 ----- 女性は抑圧されているか
Q89: イスラーム圏の家族のありかたについて教えてください。

A89: イスラーム教徒(ムスリム)と付きあっていると、彼らの家族中心主義にしばしば圧倒されます。現代日本では家族より仕事優先の傾向が強く、その結果多数の「わびしい」単身赴任者が生まれてきたことはご存じの通りですが、ムスリム社会では家族と離れてまで勤めを続けようとする人はめったにいません。もちろん独身者の場合には、結婚資金(マフル)を得るとか、弟妹の食い扶持を稼ぐとかいった目的で、男も女も単身稼ぎに出ることがあります。しかし既婚者が単身赴任するケースは、近年増加気味とはいえ、かなり稀と言っていいでしょう。どうにも職がなく異国に出稼ぎする場合でも、条件さえ許せば家族を呼び寄せたいと願うのが平均的なムスリムの姿なのです。

イスラーム世界の家族はアラブ的な家族を基礎にしています。預言者ムハンマドは信仰の絆は血の絆に優ると説きましたが(Q33参照)、家族の重要性も否定しませんでした。アラブ的家族はイスラームとともに各地に広まったのです。では、その特徴は何でしょう。

まず、アラブ的家族は構成員が多いことで知られます。ふつう一世帯に三〜四世代が同居している上、多くの子供たちがそれぞれ妻子を抱えているため、全体としては相当な数になります。さらに、ここでの家族は日本人が考える家族の絆をしばしば飛び越えます。数百年前の祖先を共有する人々をすべて「家族」と呼んだり、姻戚を「家族」に加えることも珍しくありません。もっとも、大家族はアラブに限った現象ではありません。農業や遊牧を生業とする社会では一般に家族が生産単位となるため、家族の数が多ければ多いほど労働力になるのです。日本でも戦前は大家族がふつうでした。ムスリム社会の特色はむしろ、この大家族を都市生活、商業生活でも維持してきた点にあると言っていいでしょう。イスラームはたくさんの子を育て、良きムスリムを増やすことを奨めます。これが大家族の維持に貢献したのです。

大家族の例にもれず、アラブ的大家族も家父長制に基づく階層構造を持っています。家長は絶対の権力を持ち、年齢が上の者が下の者に、男性が女性に服従を求める権力構造です。むろん反抗は許されません。これも戦前の日本を想起させる所でしょう。イスラームはこの構造を維持する上でも大いに役立っています。コーランが男性による女性支配を認めているからです。もっとも夫が稼ぎ妻に稼ぎがない場合にかぎって、ですが。

このような形態の家族を通じて、ムスリムは生活活動のほか、宗教教育や職業教育、高齢者福祉や障害者福祉などありとあらゆる社会経済活動にいそしんできました。家族は生活を支える単位であると同時に、深い愛情の絆で結ばれた精神的支柱でもあります(もっとも父親は家族にとって恐怖の対象でしかない一方、子供と母親の関係は過保護に近いものがあり、特に息子と母親の関係は一種病理的、と非難する声もあります)。

今日では工業化や都市化、教育の普及によって核家族化が進み、伝統的な大家族、家父長制構造は大きく揺らぎました、女性や若者の地位が向上し、家長は権威の低下に直面しています。しかし、血縁の絆は今もムスリムにとって相互扶助の基本、精神的な柱となっており、家族とともに過ごす時間こそくつろぎの時間、と考えるムスリムは今も大勢います。彼らはしばしば、欧米に比べて犯罪の少ない社会を築けたのも家庭教育の賜物、と主張します。家族の絆にそれだけ強い自負を持っているのです。ただし家族への信頼が厚い分、権力者が同族登用に走りがちであるなど、弊害が多いことも否めません(Q46参照)。それでもあまり不満が出ないのは、大半のムスリムが自分を省みて、権力者のコネ重視もやむを得ないと納得してしまうからでしょうか。実際、零細企業は家族以外の人間を雇おうとしないためいつまでも零細のまま、といった現象も見られます。ムスリム社会は家族の延長でしかない、などと批判する人が出てくるのもこのためです。
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