『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
6. 悲喜こもごも、しきたりとレジャー ----- イスラーム世界は神秘的か
Q83: イスラーム世界のポップス事情は。やはりラブソングが多いのですか。

A83: 一言でイスラーム世界のポップスといっても、国により、言語圏により事情は異なります。一般に、マスメディアが発達し都市化が進むと、娯楽として「消費」されるポピュラー音楽が現れる、といわれます。また、非西欧諸国のポピュラー音楽の多くは、伝統音楽の核をなす特徴は残しながらも欧米の楽器・サウンドづくりを取り入れた「ポップス」として流行しています。中小・零細、時には海賊版のテープ業者がそれらのポップスの流通と消費を支えていることが多いようです。イスラーム世界のポピュラー音楽も例外ではないでしょう。

ピーター・マニュエルという民族音楽の研究家は、都市の中産階級でもない、労働者階級でもない、ルンペン・プロレタリアート――浮浪者、チンピラ、ヒモ、売春婦、路上の物売り、麻薬患者、ミュージシャン、さまざまなストリートピープル、仕事のない流入民たちなど――が新しいポピュラー音楽の創造に大きく関わっていることを指摘しています。中産階級のような西欧音楽への憧れを持たず、都会で故郷の歌をそのまま歌っても気持ちを昇華しきれない都市の周縁者たちが、街角で、酒場やダンスホールで演奏し歌う新しい形式の曲が、ラジオやテープで流れるようになり、中産階級にも受入れられて行く、というのが典型的なパターンであるようです。イスラーム教徒の多い国々でもこのパターンが該当する可能性は充分ありそうです。

ポピュラー音楽の歌詞に感傷的な恋愛を謳ったものが多いのは普遍的だと思われます。顔や名前のわかる集団成員が聴衆である際に歌詞に盛り込まれるニュースや批判・風刺は、不特定多数の聴衆に対しては失われがちです。そしてその代わりに、たいがいの人の感傷をさそうような恋愛詩が増える、といいます。とはいえ、必ずしもポピュラー音楽がメッセージ性を失うわけではなく、広範な社会の問題・趨勢を表現する媒体としての役割は無視できません。「標準語」の大衆音楽が国民的な規模で受け入れられることに「近代化の儀礼」の機能を見いだす研究者もいます。インドネシアのダンドゥットなどがこの例としてあげられています。

ダンドゥットの王様と称されたロマ・イラマは、巡礼から帰国したのちはイスラーム的な教訓を歌詞に盛り込むようになり、イスラーム政党のキャンペーンにも参加しているそうですが、イランなどでは、イスラームの名のもとにポップスを激しく非難する勢力が現れています。

イスラーム教徒の多くは歌うことや踊ることをとても愛しているように見えますが、イスラーム法学者の間では音楽の是非は議論の対象となっていました。というのはコーランの中に吟遊詩人が非難されている箇所があり、それを音楽の否定と理解したためです。一二世紀に活躍した高名な神学者ガザーリーはスーフィズムの立場から音楽の有効性を説き、それ以降スーフィー教団ではむしろ積極的に音楽や踊りが取り入れられています(Q85参照)。

最近の「イスラーム復興」を目指すグループの一部がポップスを目の敵にするのは、単にイスラーム法学的な見地からの否定ばかりではなく、「堕落」した欧米文化が音楽として入ってくること、女性歌手が人前でシナを作って甘い声で誘惑してはばからないことへの反感も相まっていると考えられます。

七九年のイスラーム共和国成立後、イランのポピュラー音楽の歌手は国外に出て、特にロスアンジェルスのペルシア語放送のケーブルテレビなどで活躍し、テヘランジェレス・パプス(テヘラン+ロスアンジェルス+ポップス)とも称されます。これらの音楽のテープやビデオはさまざまなルートでイラン本国に入っていると言われます。モロッコから現れた新しいポピュラー音楽ライも、本国のみならずフランスに移住した若者に広く支持されているようです。

トルコの音楽というとモーツアルトのトルコ行進曲を思い浮かべる人も多いでしょうが、あれはオスマン帝国の軍楽隊の行進の曲とはだいぶ異なります(本物の軍楽隊の曲は最近焼酎のCMに使われていました)。今日トルコのポップスは活況にあると言われ、古典音楽のマカーム(旋律法)、アラブ音楽の影響、伝統的な吟遊詩の節などをとりいれつつ今日風なアレンジで人気を集めています。アラビア語圏でもマカームを現代化したポピュラー音楽が発達しており一九三〇年代に大人気だったウンム・クルスーム以降も人気歌手を輩出しています。
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