『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
6. 悲喜こもごも、しきたりとレジャー ----- イスラーム世界は神秘的か
Q78: 近所の化粧品店で売っている中近東化粧品「ヘンナ」というものの成分を教えて下さい。

A78: ヘンナというのは植物の名前です。フトモモ目ミソハギ科シコウカ属に分類される低木で、学名はLawsonia inermisというそうです。植物事典によれば、北アフリカ・南西アジア原産で、日本では温室でないと栽培できません。花は径七ミリメートルくらいの大きさで花弁は四枚、花の色は多くが白、ものによっては淡くピンクや薄緑のおびた白色です。

この植物の葉を粉末にしたものがヘンナ染料とよばれ、黄色の染料・顔料として使われてきました。ヘンナの葉や花の利用は、時をさかのぼれば古代エジプトにまで至り、地理的には大西洋から地中海・インド洋を含んで中国までの広い地域に知られています。

イスラーム世界で見るヘンナは、オレンジ色のような赤っぽい黄色で、手・足・爪に塗ったり髪やひげを染めるのに使われるのが一般的です。

シーア派の伝承では、預言者ムハンマドが信者(男性)のすべき四つのこととして、香水をつけること、妻をめとること、歯を清潔にすること、ヘンナをつけること、と忠告したと言われます。

ヘンナを塗る機会はさまざまですが、特に広く行われているのは、花嫁が結婚式の前にヘンナを塗る行事です。多くの場合、これは、結婚式(契約書への著名)やその後の披露宴と同様、結婚の一連の行事の一つとして行われます。具体的には、花嫁側がその親戚縁者・友人たち(すべて女性)を公衆浴場(ハンマーム、Q73参照)に招き、花嫁にヘンナをつけるのにつきあってもらうわけですが、招かれた女性たちは、入浴してリラックスした後、休息室でお菓子や軽食を食べたり、歌ったり踊ったりして楽しく過ごします。

ヘンナはまた、染料であるのみならず、薬効もあると考えられています。トルコで薬屋(アッタール、後述)を調査した報告書によれば、火傷・発疹・湿疹・肌のひび割れ・抜け毛・頭痛などに効くとされている、とのことです。アラブ人の家庭に住み込み調査を行った女性も、ヘンナを塗ってもらうと手がすうっとする、と言っていました。イランでは、脇などのむだ毛を処理した後にひりひりしないようにヘンナをつける、といいます。西欧医学的見地から成分分析をするとどうなるのかわかりませんが、何か肌の炎症をおさえるような効用が経験的に知られ利用されてきた、と言うことはできるでしょう。

イスラーム世界で民間療法や伝統的な美容術を支えているのは、アッタールとよばれる薬屋です。アッタールは、私たちが「漢方薬」として知っているさまざまな生薬(多くは植物性)のみならず、香料・染料・香辛料などをひろく取り扱います。イスラーム医薬学は、大学者イブン・スィーナーなども輩出した優れた分野だったのですが、一五世紀頃から急速に衰退し、それにともなってそれまでは香料商だったアッタールが、あわせ薬の処方などを伝えるようになったといいます。

さらに、一九世紀以降は近代西洋医薬学は広く導入されて、体の不調には即効性の高い化学薬品の投与が圧倒的に増えています。アッタールは衰滅に向かっていると言われますが、それでも、石鹸や香辛料を買いにアッタールに行くと、子どもの体の不調や手足のむくみに効く薬はないか、と店長に尋ねる女性に会います。

最近の日本の「健康ブーム」や「エコ・ブーム」にのって、ヘンナのみならず、「死海の塩」やアレッポ産の石鹸などが東京の街角に現れています。「死海の塩」は残念ながら使用したことがないので何とも言えませんが、アレッポ産の石鹸はオリーブ油一〇〇%ですから、香料や不純物に敏感な肌の方にお勧めできます。
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