『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
1. 世界中に広がるイスラーム ----- 紛争の種をまいているのか
Q7: イスラームは伝播された先で土着の宗教と混ざることはなかったのですか。

A7: イスラームのタテマエとしては、ありません。「アッラー以外に神はなし」というのが大前提ですから、土着の神を加えたり取り込んだりしてはいけないのです。

もっとも、一人の研究者として世界のイスラーム教徒のさまざまな生活と文化の姿を見ると、イスラームが接触した宗教の影響によるものではないか、と類推できるものが目につきます。

イスラームとほかの宗教との関係でまず重要なのがユダヤ教とキリスト教です。イスラームはユダヤ教・キリスト教とならびつつそれらを超える教えとして自らを位置づけていますが、先行するそれらの伝統に負うところが大きいのは確かです(Q4参照)。

また、それ以前の、アリストテレスやプラトン、さらには新プラトン主義の哲学がイスラームの神学と哲学に大きく影響していることも明らかです(Q58参照)。

イスラーム勢力が東方に向かい、ゾロアスター教や仏教と接触した時、戦争や流血の惨事も実際に起きていますし、仏像の顔を破壊したり仏画を塗りつぶしたりもしていますが、預言者ザルトシュト(ゾロアスター)、ブーダーの教えとしてそれらの宗教にそれなりの敬意を示すこともありました。そして、そこでの文化的蓄積から学ぶことは多かったようです。

スーフィー教団における修行の過程での所作、それにともなう音声や図画による象徴的な表現法を目にすると、これはシンクレティズム(互いに異なる複数の宗教の相互接触によって生じる融合)なのではないか、との考えから逃れられません。南アジアのスーフィー教団の修行法にはヨガそっくりのものもあります。聖者廟を含むイスラーム世界の参詣地には、イスラームが入る以前も何らかの聖地であったのではないか、と類推される場所が多くあります。

西側に目を転じれば、シリアのアラウィー派は、ムハンマドの従弟で娘婿でもあるアリーを神格化するなど、イスラーム教徒の立場と大きくかけ離れています。アフリカのイスラーム教徒についても、聖者伝承やスーフィー教団の儀式、マウリド(預言者や聖者の誕生祝い)などで、いかにもアフリカ的といえるような事象が多く見られます。

イスラームはタウヒード(神の唯一性の信仰)を重要命題としていますが、イスラームの歴史は、神の命令を厳密にふみ行おうとして妥協しない者たちと、さまざまな状況に柔軟に対応して自分たちになじみやすい形の実践を選びとろうとする草の根の信仰者たちとの、二つの極の間の運動として理解する必要があるようです。また、イスラームは、心の中で信じるだけでなく外からわかるように信仰を表現することを重要視し、視覚的・音声的なイメージ表現を発展させました。その発展過程で他宗教の表現法・シンボリズムをとりいれ、さらにはそのイメージの奥にある神話・世界観までもを象徴的にとりこんだり、融合させた痕跡が見いだされます。

近代に入り、ヨーロッパ諸列強に対して自分たちが劣位にあることを悟ったイスラーム教徒のなかには、「これは自分たちがイスラームの本来のあり方から離れて堕落したためだ」と考え、「真なる」イスラームを求めた者もいました。今日のイスラーム復興の動きの一部にもこのような思考は見られます。イスラーム教徒の子に生まれ素朴に家族の慣習や倫理、思考基準をイスラームと思い信じる人々(おそらく多数)と、環境の変化・文化摩擦を経験し新たにあるべきイスラームへの覚醒を求める人々との間の亀裂は、イスラーム復興運動の今後に微妙な影を投げかけるでしょう。

最後にイスラームの影響によって新しい宗教を成立させた例としてシク教をあげます。シク教は十五〜十六世紀にパンジャーブ地方(現在のパキスタンとインドの接する地域)でナーナクが開いた教えです。ヒンドゥーの教えにある輪廻や業をときながらも、苦行やヴェーダ聖典の勉強による救済を否定し、カースト制度を非難して、すべての人は全能唯一の神の前では平等である、としました。この平等の考えはイスラームの影響と思われ、ナーナク自身も、自分をピール(スーフィー教団の導師)でもグル(ヒンドゥーの導師)でもあると言っています。ちなみに、シク教徒は髪を切ってはならず、ターバンで頭髪を覆っています。頭にターバンを巻き姓にシングとつく人は、イスラーム教徒ではなくシク教徒ですから混同しないようにしましょう。
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