『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
4. こころの飛翔、知識の伝統 ----- 科学と両立しないのか
Q54: イスラームに「女性は不浄」という考えはありますか。

A54: 清浄さ(タハーラ)はイスラームの教えの中で重要な位置を占める概念で、コーランにも「けがれの状態にあるときは、それを特に浄めなくてはならぬ」(五章六節)とあります。このため、清浄であるか不浄である(ナジス)かを判断し浄化するための細かい規定がありますが、性別によって清浄・不浄が分けられるのではありません。ですから、「女性は不浄」という考えはありません。ただし、月経の時、性交・分娩の後には浄めを義務づけられますから既婚の成人女性は男性よりも頻繁に浄めの行為をしなくてはいけないことにはなります。なお、性交の後、浄めを義務づけられるのは男性も同様です。

月経についてはコーランに次のような章句があります。

みんながお前(預言者)に月経のことで質問してくるであろう。こう答えてやるが良い。あれは(一種の)病であるゆえに、清浄の身に戻るまでは決してそのような女に近づいてはならぬ。浄めがすっかり済んでから、アッラーのお言いつけ通りに彼女らに接するのだ。アッラーは悔い改めるものをいつくしみ、また身を浄めるものをいつくしみ給う。(二章二二二節)
これに基づき、妻の月経期間中、性交は禁じられます。

  浄・不浄の規定
  法学派によって細かい規定は異なりますが、たいがいどの法学派も不浄とみなすのは、酒・犬・豚・正当な手続きによらないで殺された魚以外の動物の死体・糞・血・精液などです。これらのものとの接触によって「汚れた」時には、その程度や質によって後述の小浄(ウドゥー)・大浄(グスル)のどちらかの方法で浄めることが決められています。例外は酒で、お酒を飲んだ「汚れ」は小浄でも大浄でも浄めることはできません。

生きている豚は特に不浄とはみなさない、という法学派もありますし、犬を不浄視するのは必ずしもコーランに基づかない、と主張する学者もいます。人間の遺体に触った場合についても法学派によって求める浄化の程度が異なります。

体液の中でも、汗・涙・唾液は、血や精液のように不浄とみなされることはありません。

シーア派では異教徒を不浄とみなす、とものの本には書いてありますが、自称仏教徒の当回答者の体験によれば、シーア派の友人たちが、当回答者と握手したり、一緒にお茶を飲んだり食事をしたりすることを、ことさら汚れだと考えている様子はまったくありませんでしたから、ご心配なく。

  浄め・沐浴
  礼拝(Q62参照)の前、排泄の後、眠りから覚めたとき、陰部に触れた後、などにはウドゥー(小浄)とよばれる浄めを行わなくてはいけない、と規定されています。ウドゥーとは、清潔な水で、両手・口・鼻・顔・肘・頭・両手をすすぐことです。体のどの部分から水ですすぐかという順番まで決まっています。

グスル(大浄・沐浴)は、清潔な水で身体全体を洗い浄める行為をいいます。身体全体を水で包むように濡らすことが求められるため、流水を浴びたり、水槽に浸かって身体を浄めます。これにもやはり、身体のどの部分から浄めるか、溜め水ならば、どれ程の容量の水が必要か、などの細かい規定があります。グスルは、男女を問わず淫水の出た後、出血の後、巡礼の衣(Q66参照)を身につける前、などに行うことが義務づけられています。なお、浄めの水がない時には、土や砂で代用することも認められています。

「しかじかの場合には、右手を洗い、その後で…」といった非常に具体的でこと細かい規定がイスラーム法学の本には綿々と出てきます。朝起きて洗顔する、トイレの後に手を洗う、エッチの前後にシャワーを浴びる、といった類の、我々が習いとしている日常的行為にまで、イスラームの網がかかっているのです。ここに、「抹香臭い」お説教よりも、「決めるべきことは決めて、この世の事柄を割り切ろう」とするイスラーム特有の態度をかいま見ることもできるでしょう。

とはいえ、上記のような具体的な所作だけがイスラームの「浄め」ではありません。浄めの行為に先立っては、浄めをする意志を明確にし、神を念じなくてはいけません。物理的な汚れからの浄化は「浄め」の第一段階にすぎず、第二段階ではさまざまな罪から、第三段階で悪しき欲望から、そして最終段階では神に背くすべてから魂を浄化することが求められるのです。
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