『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
3. 経済と社会のモノサシ ----- 開発を妨げていないか
Q47: 石油や天然ガスの生産は、どうしてイスラーム諸国にかたよっているのですか。

A47: 答えは単純。イスラーム教徒(ムスリム)の一部が「たまたま」石油や天然ガスの上に住んでいるからです。地質学的に見れば、産油国には石油や天然ガスの出るそれなりの理由があります。しかし、ムスリムは地下資源を求めて居住地を決めたわけではありません。実際、中東など一部を除くイスラーム諸国の大半は、日本同様石油にも天然ガスにも縁のない国々なのです。七世紀以降ムスリムとなった人々が石油の上に住んだのはまったくの偶然でした。

石油も天然ガスも、大昔のプランクトンが地中で変化したものと言われています。これを燃料として大量に使い始めたのは、一九世紀末のアメリカでした。中東には古代から石油の滲み出る場所がありましたが、二〇世紀初めまではほとんど注目されることはありませんでした。

「石油といえばアメリカ、ロックフェラー」。一九世紀末、これが世界の常識だったのです。そもそも石油を量るバレルという単位自体、アメリカで石油を運ぶのに使った樽のサイズに由来しています。一方、アメリカの独占支配をきらった西欧諸国は、世界各地で石油を探し始めました。石油は何より軍艦の燃料として、重要な戦略物資だったからです。そして一九〇八年、ついにイランで中東初の大油田が発見されたのでした。

一九二〇年代には中東に膨大な石油が眠っていることが明らかになります。もっともこの時期、産油国の大半は西欧の植民地であり、サウディアラビアやイランなど独立国家も原油開発の技術を持ちませんでした。石油は採掘利権を持つメジャー(国際石油資本)のカルテルによって支配され、産油国は利権料のほか、実質よりかなり安い公示価格に課税できるだけだったのです。自国の生産物なのに、利益の大半を先進国に持っていかれてしまう。この事態を打破すべく、一九五〇年代には石油の富を産油国に取り戻す運動が始まります。

かくて、一九六〇年に主要産油国が結成したOPEC(石油輸出国機構)は、七三年の第四次中東戦争に際して、石油輸出禁止措置を発動し(第一次オイルショック)、世界経済を震撼させました。さらに彼らは石油利権の奪回にも成功し、価格決定権を掌握します。以後OPECは新たな国際カルテルを組織し、石油価格を高騰させていきました。それまでメジャーのオイルパワーを目のあたりにしてきた産油国が、メジャーの独占をモデルにしたのは当然のなりゆきだったと言えるでしょう。

けれども石油が高騰すれば消費国は省エネを進め、石炭など、より安い燃料にシフトします。OPECの価格引き上げ戦略はやがて破綻し、一九八六年には「逆オイルショック」と呼ばれる石油価格の大暴落が起こりました。以後石油価格は基本的に市場に委ねられ、今日に至っています(一方、天然ガス価格は当初から市場原理に委ねられてきました)。世界経済を脅かしたOPECも、今では単に価格暴落を防ぐ供給量調整会議に過ぎません。

とはいえ、中国の工業化などにともない近年の石油需給は逼迫しており、いずれ第三次オイルショックが起きる可能性もあります。カスピ海に眠る巨大な石油資源に日本を含む先進国が注目するのもこのためです。さらに、カスピ海と同規模の原油埋蔵量を誇るイラクに対しては、湾岸戦争後の経済制裁が続くなか、いくつかの国がすでに開発をめぐる交渉を進めています。昨今、大量破壊兵器の査察をめぐってイラクと激しく対立するアメリカですが、強硬姿勢の裏にはイラク原油を他国に奪われることへの苛立ちもあるようです。
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