『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
3. 経済と社会のモノサシ ----- 開発を妨げていないか
Q44: イスラーム文明は西欧文明と衝突せざるをえないのでしょうか。

A44: 近年アメリカのハンチントンという政治学者が『文明の衝突?』という論文を発表して話題になりました。その論文は、冷戦後の世界では、イデオロギー対立や国民国家間の争いよりも、文明上の対立が紛争を引き起こす、と説き、西欧文明・儒教文明・日本文明・イスラム文明・ヒンズー文明・スラブ文明・ラテンアメリカ文明の七つの文明を隔てる文化的対立点が紛争の要因になる可能性が高い、と主張します。彼は、文化的な特質や諸文化間の違いを克服してゆくのは困難である、との国際理解への悲観的な見通しを述べた上で、西欧とイスラムの構図はより敵意に満ちたものとなっていく可能性がある、と言います。この論文はまた、七つの文明をあげて多様性を指摘しながらも、「儒教=イスラム・コネクション」なるものを設定して<西欧>対<非西欧>の対立に論を収斂させる、という不整合な構造ももっています。

ハンチントンの「イスラム文明」の説明は、よくいって恣意的な解釈、悪くすれば事実誤認による論述に満ちています。イスラーム教徒とキリスト教徒の紛争に言及する際に、イスラームとキリスト教、イスラームと西欧、という二つの対立の構図を混同しているため、東方教会の信徒は一体どの文明に属するのかわかりません。(おまけにアルメニア教会を東方正教会の一つと勘違いしています。)イランの最高指導者ハーメネイーがジハード(聖戦)を呼びかけた、とありますが、ハーメネイーは、異教徒勢力アメリカから攻撃を受ければそれに対抗することをジハードとみなしうる、という解釈を口にはしても、湾岸戦争勃発後、ジハード宣言を迫る勢力に対して沈黙を守りイランの中立を支持しました。「イスラム文明」は「アラブ、トルコ、マレー文明という三つの下位文明によって形成されている」とありますが、現在世界で「イスラーム共和国」を称するパキスタンやイランは、アラブでもトルコでもマレーでもありません。

ここで「衝突」の原点に戻ってみるとどうでしょうか?衝突するのは、本来、文明ではなくて、対峙する二者の利害と利害をめぐる思惑です。一般に、同じ対象に利害関係を持つ二者が利害を調整できなければ、競合し、悪くすると敵対関係に入ります。ですから同じ「文明」に属すると思われる二者間でも衝突を回避できない例はたくさんあります(ハンチントンはアフガニスタン内戦やクルド人問題のようなイスラーム教徒同士の紛争についてはふれていません)。

ハンチントンの論を西欧の歴史的なイスラーム観の延長におくことは可能でしょう。十字軍・レコンキスタ・ウィーン包囲などでイスラーム教徒を敵、そして「恐怖」の対象と見てきた歴史の上に、自らの歪んだ姿を東方世界(オリエント)に映して見る「オリエンタリズム」が重なり、穏当な社会改革を求める動きにまで「原理主義」のレッテル貼りをする観点が『文明の衝突?』でも明らかに継承されています。

さらにこの論がもてはやされた背景には、アメリカの苛立ちがあるように思われます。最近とみに複数の国々との利害調整に苦しみ苛立つアメリカ人が、「奴らは違う文明の徒だから」と文明論を持ち出して溜飲をさげた、というのが、この論文評価の実状であるようです。

現代社会では、利害そのものが見えにくくなっていることは確かです。今日の紛争の大半はこれまでの紛争モデル(領土的野心や東西対立)では理解しにくくなり「利益」と見なされる対象が、プライド・情報・技術・影響力、などに変わってきています。それらの計量できない利害の「計算」は価値観の相違でずいぶん違うでしょう。さらに、交通手段の発達によって当事者の数が増え、マスコミを利用した情報戦・心理作戦でいっそう錯綜する条件下で利害を調整する交渉に臨むことは非常に困難でありましょう。

ハンチントンは利害調整を困難にしがちな文化的相違を「文明」に言いくるめてもっともらしく見せかけることには成功したようです。このもっともらしさにごまかされると、個々人を見れば必ずしも敵でないイスラーム教徒を十把一からげにして「文明」の名の下に脅威ときめつける危険性があります。

衝突は的確な判断と行動があれば回避できるものです。いたずらに、相互理解を悲観し脅威感を募らせては、回避する道をかえって閉ざします。恐るべきは、イスラーム世界ではなく、自らの無知と狭量だということを肝に銘ずべきでしょう。
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