Publicationsトク・ピシン


研修期間
2025年8月29日(金)~2025年9月19日(金)
午前10時00分~午後4時30分(土曜日、日曜日、祝日は休講)
研修時間
75時間
研修会場
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
(〒183-8534 東京都府中市朝日町3-11-1)
講師
主任講師:
千田 俊太郎(ちだ しゅんたらう)京都大学大学院文学研究科教授
ネイティブ講師:
Rebecca Maniako(レベッカ・マニアコ)学校教員
受講料
45,000円(教材費込み)
教材
| 1.『Yumi Tok Pisin』(千田 俊太郎、Rebecca MANIAKO 著) 2.『Yumi Tok Pisin 別册語彙集』(千田 俊太郎、Rebecca MANIAKO 著) 3.レベッカ・マニアコ・千田俊太郎 2025 「トク・ピシン:特集補遺データ「受動表現」「アスペクト」「モダリティ」「ヴォイスとその周辺」「所有・存在表現」「他動性」「連用修飾複文」「情報構造と名詞述語文」「情報標示の諸要素」「否定,形容詞と連体修飾複文」」東京外国語大学『語学研究所論集』29(51) 4.その他配布資料 |
文化講演
日時:2025年9月10日(水)
仲尾 周一郎(大阪大学・大学院人文学研究科准教授)
日時:2025年9月12日(金)
稲垣 和也(南山大学外国語学部アジア学科教授)
日時:2025年9月17日(水)
山本 恭裕(東京外国語大学大学院総合国際学研究科准教授)
日時:2025年9月19日(金)
大西 正幸(同志社大学研究開発推進機構嘱託研究員)
1.研修の概要
○研修期間:
2025年8月29日(金)~2025年9月19日(金)
午前10時00分~午後4時30分(土曜日、日曜日、祝日は休講)
○研修時間:
75時間
○研修会場:
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
本研修は2025年8月29日(金)から2025年9月19日(金)までの15日間、1日あたり5時間 合計75時間実施した。会場は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(306室)を利用した。
2.講師
○主任講師:千田 俊太郎(ちだ しゅんたらう)京都大学大学院文学研究科教授
○講師:Rebecca Maniako(レベッカ・マニアコ)学校教員
○文化講演者:仲尾 周一郎(なかお しゅういちろう)大阪大学・大学院人文学研究科准教授、稲垣 和也(いながき かずや)南山大学外国語学部アジア学科教授、山本 恭裕(やまもと きょうすけ)東京外国語大学大学院総合国際学研究科准教授、大西 正幸(おおにし まさゆき)同志社大学研究開発推進機構嘱託研究員
3.教材
『Yumi Tok Pisin』(千田 俊太郎、Rebecca MANIAKO 著)
『Yumi Tok Pisin 別册語彙集』(千田 俊太郎、Rebecca MANIAKO 著)
レベッカ・マニアコ・千田俊太郎 2025 「トク・ピシン:特集補遺データ「受動表現」「アスペクト」「モダリティ」「ヴォイスとその周辺」「所有・存在表現」「他動性」「連用修飾複文」「情報構造と名詞述語文」「情報標示の諸要素」「否定,形容詞と連体修飾複文」」東京外国語大学『語学研究所論集』29(51)
その他、いくつか配布資料あり。
Yumi Tok Pisin 第一部「トク・ピシンの基礎」ではトク・ピシン、及びパプア・ニューギニア(PNG)について概説を踏まへて、挨拶表現などの會話基礎を紹介したあと、語彙をしぼつて文法體系をきつちり身につけるためのドリル式の練習問題をこなす形で進めるやうになつてゐる。このドリルに加へ、PNG の雰圍氣を傳へつつ社會・文化が學べるやうに要所要所に寫眞などが盛り込んであり、講師がトク・ピシンと日本語で解説をしたり、追加の會話の練習の話題として取り上げられるやうにした。第一部が終はる頃には簡單なやり取りを正確な表現で行なへるやうになる。
第二部「トク・ピシンの研究」では、長文解釋の基礎から入り、英語とトク・ピシンの語彙の音對應を身につけることで、文脈つきのテキストを讀み解く方法と、語彙力を伸ばすコツを紹介する。また、數表現、接尾辭 -pela 及び -im の用法についてより詳細に學び、併せてトク・ピシンによる直接教授を行ふことで、受講生が自らトク・ピシン文法について考へる力を養ふ。第二部に盛り込まれた長文、音聲つきテキスト、トク・ピシン直接教授による會話及び表現解説のレッスンは、實際の教室での進度に應じて臨機應變に利用可能である。第二部では英語から臨時で借用する語彙や、トク・ピシンとして定着してゐない英語語彙を英語綴りに準ずる形で提示した場合があるが、これも言語使用の現實である。
別册語彙集には教材本編に現れる語彙を網羅したほか、よく使はれる語彙を廣く採録してあり、トク・ピシンからも日本語からも引くことができるやうに配列した。作文練習の際、また教材による學習を終へたあとも簡易的な辭書として利用できるものと考へる。
教材全體として、獨自の構成をもち、またトク・ピシンの現状を反映した最新の内容をもつやうに工夫した。類例はないものと考へる。
4.受講生詳細
研修に參加した四人の受講生のうち、二人は東京外國語大學の大學院生、一人は大阪大學の大學院生、一人が外部受講者であつた。受講生はそれぞれに明確な目的をもつて受講し、授業期間中にトク・ピシンといふ言語とともにパプア・ニューギニアの多樣な文化についても關心を高めていつた。宿題・課題はかなり多めに課したが、誠實に、また熱意をもつて取り組んでくれた。その結果、全てが極めて優秀な成績ををさめて修了した。
5.文化講演
文化講演は最初の一週間には行はず、(實質的な)第二週・第三週に實施した。
2025年9月10日(水)13:10~14:10 仲尾周一郎
「コンヴィヴィアリティのための言語―クレオール」
アフリカを中心的なフィールドとしてピジン・クレオールと呼ばれる世界の諸言語について廣く知識と運用能力を持つ講師が、コンヴィヴィアリティの概念を發想の軸として、トク・ピシンのやうな言語を「共通語型クレオール」の性格を持つものと捉へる提案をしてくださつた。人文學の素養の求められる最新の研究發表といふ性格のお話であつた一方、トク・ピシンが、極めて現代的な價値を持つ、「多樣性を認め合ふ優しい社會」のための現代の、そして未來の言語なのではないかといふ、夢のあるお話として受け止められた。
2025年9月12日(金)14:20〜15:20 稲垣和也
「食語彙から見るトク・ピシン」
インドネシアとパプア・ニューギニアでのフィールド經驗をもつ講師が、トク・ピシンに入つた非英語語彙(のうち食語彙)について、トク・ピシン地域の中心地の推移、擴大の歴史と、オーストロネシア系諸言語のデータによる後付けから語源を探る。最後の multiple etymology を認める立場についての紹介も刺戟的であつた。食語彙から話題は自然に食文化の話にもわたり、盛りだくさんの内容であつたほか、なかでも教室で話題になつた語彙が俎上に載つたことは、言語研修受講生にとつてタイムリーであつた。
2025年9月17(水)13:10〜14:10 山本恭裕
「ニューギニア北部、トリチェリ語族の言語とその話者」
フィリピンとパプア・ニューギニアでのフィールド經驗を持つ講師が、現地語の分布・研究状況を踏まへて、まだ調査の手がゆきとどいてゐないトリチェリ語族の言語特徴について紹介してくださつた。最後に、所謂パプア諸語にしばしば見られる特徴とは一風違ふトリチェリ語族のアイク語を紹介する段となつてからは、談話資料「スクンバンの作り方」を用ゐて、サゴ椰子から澱粉を採り、加工して料理になるまでを寫眞を交へて紹介しながら進められ、文化と言語を同時進行で學ぶことのできる機會になつた。
2025年9月19日(金)13:10〜14:10 大西正幸
「ブーゲンビルの言語と文化」
インドとパプア・ニューギニアを股にかける研究者である講師が、ブーゲンビルの言語、更にはブーゲンビルにおける二つの歴史的事件を取り上げて現地の状況と背景をお話しくださつた。一つは第二次世界大戰といふ、日本とパプア・ニューギニアが歴史上のつながりを示す契機にブーゲンビルが受けた影響と、遺骨收集の現状であり、もう一つは銅山開發から内戰勃發、和平に至る、ブーゲンビルとパプア・ニューギニア本土との緊張關係で、獨立50周年に沸くこの國の別の側面を理解するためのいとぐちを提供してくださつた。
個性豐かな講師陣の持つ多樣な觀點が、言語から文化・社會・歴史へ、トク・ピシンから別のピジン・クレオールへ、共通語から現地語へ、そして今を生きる人々へと導いてゆき、文化講演の時間は當言語研修にとつて缺かせない要素になつた。
6.授業
主に文法事項の解説を千田が、發音や會話の練習、自然な表現についての質疑應答をマニアコが擔當した。研修はトク・ピシンを直接教授する段階に移行するまでは日本語・トク・ピシン・英語の三言語併用で行つた。後半は英語のやり取りはほぼなく、千田・マニアコによるトク・ピシンによる直接教授を主體とし、必要な場合に千田が日本語に通譯、解説した。以下では教材紹介の項目で述べたこと以外の内容を述べる。
授業の特徴としては、毎日マニアコ講師が放課後の活動について短くトク・ピシンで報告したことと、毎日動畫を副教材として利用したことが擧げられる。
マニアコ講師の日本での日常を毎日トク・ピシンで話したことは、地理的にも社會的にも受講生に馴染みのある環境についての語りを聞く好い機會になつたことと考へる。武藏境まで一人で電車に乘りイトーヨーカドーに出かけた、パプア・ニューギニアにゐる息子から電話があつて話した、多磨靈園の方角に歩いてゆき歸る途中に偶然パプア・ニューギニア人に逢つた、などの話は、初めは短かつたのが、受講生の理解度をはかりつつ自然と長めの話へと變はつていつた。また、教材に添へられた寫眞の多くについて、即興で説明を加へることを多く行つた。これらの話はすでに收録濟みの話と重複するところがあつたが、受講生にとつては、聞き取り練習の自然な反復としてはたらき、長文讀解に進む際のより良い理解につながつた。
動畫については毎日三限の時間に嚴選した動畫を一本以上利用した。2025年に獨立50周年を迎へたパプア・ニューギニアでは、テレビ局やアーチストたちの公式サイト・YouTubeチャンネルからの動畫發信が多く、トク・ピシンとパプア・ニューギニアを知るために有益な最新の動畫が見つかつた。大きな出來事としては、研修期間中に獨立記念日を迎へたこと、その際チャールズ國王が自らトク・ピシンによるメッセージを朗讀する動畫が王室チャンネルにアップロードされたことがある。リアルタイムでパプア・ニューギニアと世界が多くのことを共有する時代となり、教室でもパプア・ニューギニアの今を常に感じることができた。またソロモンピジンやビスラマなど、講師たちが直接にデータを有しない言語の實際の使用や、メラネシア地域の音樂交流の實態も動畫やコメントを通して確認することができた。例へばビスラマ話者とソロモンピジン話者のアーチストがともに歌ふ動畫に對してパプア・ニューギニア人からのコメントがついた例などはメラネシアピジンの國際性を示す好例であつた。
一方で、都市部と地方の格差が日に日に増すパプア・ニューギニアの現状については、講師自身の田舍の經驗を踏まへて積極的に紹介し、特に、マニアコ講師の出身地ブーゲンビルが獨立時にパプア・ニューギニア領でなかつたこと、内戰を經驗したことなども教室で傳へるやうにした。
授業後半は、熱意ある受講生の努力のお蔭もあり、スムーズに直接教授に移行できたものと考へる。受講生はフィールドワークの實習の時間も希望してゐたため、調査票作成を經て質疑應答の時間を取つたが、全員がトク・ピシンによる直接のやり取りを講師と行なふことができた。時折使はれる日本語は、補助的なものであつた。もちろん短期間のうちに、當初狙つた研究テーマそのものを掘り下げることは難しかつたものの、そのこと自體がフィールドワークのリアリティーともいへる。また、やり取りによつてそれぞれが多樣な表現を見つける別の成果を擧げ、充實した時間になつた。
その他の課題として、1. 書き起こし課題、2. レポートあるいはグロス付きテキスト作成課題、3. スピーチ課題を受講生には課した。書き起こしの題材はマニアコ講師が事前に録音したものを複數提示し、最終日に千田が書き起こした資料を配布した。スピーチは最終日の最終の時間に行つた。その他の提出物は最終評價に反映させた。
7.研修の成果と課題
研修の成果は講師の期待と豫想を遙かに上囘るものであつた。受講生たちは言語を中心に、社會・文化にもわたる學習を行ひ、およそ三週間でなしうる最大の言語運用能力を身につけたものと考へる。このことは、いふまでもなく、講師の努力のみによつて可能になつたのではない。成功の要因としては、受講生の熱心な取り組みが最も大きく、そしてトク・ピシンといふ言語の性質も關はるものと考へる。
受講生の擧げた成果は、授業中の取り組みですでに明らかであつたが、提出された課題とスピーチに反映された。スピーチでは、それぞれ自分の趣味や生活など、自身の實感のこもる内容を、適切に傳はる表現で話すことができた。
教材はほぼ全てを授業内でこなした。ただし、書き起こし課題に使つた複數の録音資料には、受講生が取り組んだ以上の分量が含まれる。授業での取り組みを踏まへて改訂すべきことも多くでてきた。その多くは語彙集の見出し項目と譯語に關るものである。オンライン公開前に授業の成果として反映させたい。
8.おわりに
受講生のみなさん、文化講演に來てくださつた先生方、寫眞提供とお話での言及に同意してくださつたレベッカ・マニアコ講師のご家族・ご友人の方々、千田俊太郎講師のこれまでのトク・ピシン講義を受講し、言語を教へるためのヒントをくださつた往時の受講生の方々、研修を支へてくださつた事務の方々、文化講演に聽衆として參加くださつた全ての方々にお禮を申し上げます。