新任スタッフ紹介 Vol.94:浜中 沙椰
2026.04.22
西夏文の仏教経典を歴史研究の「史料」に
浜中 沙椰
(2026年4月JSPS特別研究員着任)

私は西夏文仏教文献を用いて、西夏が周辺の仏教をどのように取捨選択し、独自の仏教文化を形成したのかを明らかにすることを目標にしています。
私は幼いころから歴史に関心があり、なかでも出土品に魅力を感じていました。また、ミッション系の学校に通っていたこともあり、宗教や信仰そのものにも関心をもつようになりました。西夏に関心を抱いた契機は、高校2年生のときに井上靖の『敦煌』を読んだことです。敦煌莫高窟の蔵経窟にまつわるエピソードや、一度土に埋もれ再発見された仏教文献の存在を知り、実際に読んで研究したいと考えるようになりました。
西夏は11~13世紀に現在の中国・寧夏回族自治区を中心に栄えた国であり、「謎が多い国」として知られています。『西夏史』の概説書などはなく、その全体像はいまだ十分に明らかになっていません。しかし、実際には西夏はモンゴル帝国がユーラシア東方の覇権を握るまでの約200年間、シルクロードの要衝を押さえつつ独立を維持し、独自の文字を用いて漢伝仏教とチベット仏教を取り入れながら仏教文化を形成した国でもあります。
西夏が「謎の多い国」とされてきた背景には、西夏文字という研究上の障壁に加え、その歴史を体系的に記した史書類が現存しないという問題があります。そのため、従来の西夏史は主に出土する法典集や軍制文書などに依拠し軍事・対外関係といった側面から構成されてきました。
一方で、出土文献の大半を占める仏教経典や註釈書は、歴史学研究の史料として活用されてきませんでした。私は、これらの西夏文仏典を、西夏が周囲のチベット仏教文化圏や漢伝仏教文化圏から意図的に受容・収集・選定したテキストの集積として捉え、チベット語・漢語の仏典と比較しながらその系譜関係を明らかにすることで、西夏の人々が見ていたユーラシア東方の仏教世界と、その中での位置づけを読み解いていきたいと考えています。
最後に、西夏は日本から遠く離れた存在と思われがちですが、私は両者には共通点も多いと考えています。いずれも漢字文化圏に属し、唐文化を取り入れつつも、唐の崩壊以降、それぞれ自国意識を強めながら諸制度を発展させ、独自の文字や文化を形成してきました。さらに仏教においても、漢伝仏教圏に接しながら独自の仏教文化を形成した点に共通性が見られます。
このような視点から、漢字文化圏の最西端に位置する西夏と、最東端に位置する日本とを比較する視野をもち、研究を行うことで、西夏という存在をより我々にとって身近なものとして捉え直すことができるのではないかと考えています。