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新任スタッフ紹介 Vol.92:沼田 彩誉子

ペレメチに醤油をかける

沼田 彩誉子
(2026年4月JSPS特別研究員着任)

ネルギズ・アクシュ氏およびエディップ・アクシュ氏提供。ハイラル、1940年代初頭?大きめに作られたペレメチが映る。

 写真の右側手前に映っているのは、代表的なタタール料理のひとつ、「ペレメチ」です。1940年代始めのハイラルで撮影したと思われるこの一枚は、写真の提供者エディップ・アクシュ氏の母方の祖父が食卓に座る姿を今に残しています。

 1917年のロシア革命後、ヴォルガ・ウラル地域から満洲、朝鮮半島、日本へと住まいを移したテュルク系ムスリムであるタタール移民の経験が、私の研究テーマです。東アジアで生まれた第2世代と、再移住先であるトルコや米国で生まれた第3世代の方々に、東京や神戸、イスタンブル、アンカラ、サンフランシスコ、ニューヨークなどでお会いしてきました。インタビューを通じてひとりひとりの経験を聞かせていただくのですが、必ずと言っていいほどお茶と茶菓子をごちそうになり、食事をご一緒することも珍しくありませんでした。

 冒頭でご紹介したペレメチは、牛肉を生地で包み(生地の真ん中は閉じずに丸く残しておきます)、油で揚げるかオーブンで焼いたパイのことで、中央の穴に醤油やオニオン・スープを垂らしていただきます。初めて食べたのは2010年のことで、第2世代のラマザン・サファ氏の東京のご自宅にて、手作りのそれを「これがうわさに聞くペレメチか」と感動しながら味わったのを今でも覚えています。

 2011年にはイスタンブルのボアジチ大学に留学し、そこから4年にわたって各地で調査を行いました。ラマザンさんのお兄さんであるダイヤン・サファ氏とルキヤ・サファ氏ご夫妻をサンフランシスコに訪ねたときには、日頃から日本食を食べるというおふたりが「トルコにいて日本食が懐かしいでしょう」と、手作りのすき焼きをごちそうしてくださったり、行きつけのお寿司屋さんに連れて行ってくださったりしました。神戸生まれのルキヤさんはペレメチ作りも見せてくださり、「母がペレメチを作るときいつもカタカタと音がしていて、なんの音だろうと思っていた。結婚してわかった。指輪がめん棒にあたる音だったのね」と、食が呼び起こす思い出もうかがいました。

 共に食べること、料理することは、人びとが紡いできた生を共有し、引き継ぐことでもあります。タタール料理であるペレメチに醤油をかけるのは、東アジアに移住したタタール移民ならではの食べ方です。行きつけの寿司屋があるのは、東京や神戸で日本食を食べて育った過去があるからです。味わうという自らの身体を通じた経験は、インタビューで聞き取った語りによりリアルな手触りをもたらしてくれました。

 世界規模の移動の歴史のなかで形成された食文化は、若い世代にも受け継がれています。アンカラのカザン文化互助協会ではペレメチづくりを教える教室が開かれ、筆者がトルコへ行く際のお土産は、今も海苔巻き用の海苔です。タタール移民がロシアを離れて約1世紀、東アジアを離れて約70年の年月が経ちましたが、美味しい思い出は今も息づいています。