今までの研究

本研究会は、すでに十数年間中国古代の文書簡牘を中心に共同史料講読を進めてきた。以下は会を支えてきたメンバーの今までの研究の一部を紹介し、末尾に会として行ってきた研究の概要を掲載する。

  • 出土簡牘の生態的研究
  • 額済納現地調査2009
  • 額済納現地調査2013
  • 居延漢簡調査
  • 「肩水金関漢簡による漢代西北交通・防衛機構の研究」(青木俊介)
  • 「周縁領域からみた秦漢帝国の総合的研究」(高村武幸)
  • 「新出簡牘資料を用いた戦国秦から統一秦にかけての国制変革に関する研究」(渡邉英幸)
  • 「最新史料に見る秦・漢法制の変革と帝制中国の成立」(陶安あんど)
  • 「中国古代における家族と「移動」の多角的研究─静態的家族観からの脱却をめざして─」(鈴木直美)
  • 「三国呉・長沙の年齢史─人生の諸段階と同居家族」(鷲尾祐子)
  • 「五一広場東漢簡牘よりみた後漢時代の在地社会」(飯田祥子)
  • 中国古代簡牘の横断領域的研究(1)
  • 中国古代簡牘の横断領域的研究(2)
  • 中国古代簡牘の横断領域的研究(3)
  • 中国古代簡牘の横断領域的研究(4)
  • 出土簡牘の生態的研究

     「出土簡牘の生態的研究」という考え方は、三菱財団人文科学研究助成金によって進めた研究課題「中国出土簡牘史料の生態的研究」の中で提唱したものである。2007年より3年間の計画で進められた本研究は、従来の中国簡牘研究においては扱いが不十分だった諸側面、すなわち簡牘の移動・保管・廃棄・再利用といった問題を検討するとともに、全体を不可分の連続する過程、「簡牘のライフサイクル」としてとらえることを目的とした。このような動態的把握に加え、さらに史料の形態という要素にも注目することで、簡牘ごとに異なったライフサイクルのありかたが析出される。こうした新しい史料理解の視点と方法を、多様な生物が各々のライフサイクルを維持しつつ、相互に重なり合い補完し合って一個の生態系を形成している状況にたとえ、「出土簡牘の生態的研究」と名付けたわけである。この3年間の研究は幸いにして所期の目的を達成し、制度史研究に偏った従来の簡牘学の限界を突破するための基盤を整えることができた。

    (執筆:籾山明)

     

    2009年8月甘粛省・エチナ調査

     本研究の前身である『中国古代簡牘史料の生態的研究』では、居延漢簡・敦煌漢簡などの西北漢簡出土地である、甘粛省・内モンゴル自治区の漢代遺跡を実際に訪れて調査した。 

     調査に際しては、簡牘を用いていた官吏たちの執務スペースの確認といったディテールの問題、新領土における県レベル社会の核となる県城位置の推定といった地域的規模の問題、さらには、漢代西北辺境防衛ラインの配置といった全体的な問題に至るまでの問題関心を参加者が共有しつつ、分担して調査に従事した。

     その成果の一旦は、籾山明・佐藤信編『文献と遺物の境界—中国古代簡牘史料の生態的研究』(六一書房、2012年)において公開されており、既に複数の書評によって高い評価を受けている。

    (執筆:高村武幸)

     

    2013年8月甘粛省調査

     本共同研究では、共同利用研究員が別途獲得した外部資金による研究との合同研究も実施しており、その一つが、2013年に実施した、甘粛省漢代県城等遺跡調査である。

     これは、共同利用研究員の髙村武幸を代表研究者とする三菱財団人文科学研究助成金、ならびに同青木俊介を研究代表者とする日本学術振興会科学研究費補助金により企画されたものである。漢帝国西北周縁領域であった甘粛省に現存する、漢代県城遺跡を調査して、その概要や立地条件を探ることにより、漢帝国にとっての周縁社会の意義を探り、また漢帝国内各所に設置された関所の機能や意義をも考察しようとの目的の元で計画された。併せて、必ずしも情報が十分ではない、当該地域の遺跡について、広く学界に研究材料を提供しようとの意図もある。

     本共同研究としても、西北簡牘の出土地でもあり、また、簡牘を横断領域的に研究しようという場合には、その背後にある社会や生活にまで目配りすることが求められるため、上記研究計画との合同調査は好機であり、合同での調査を実施することとしたものである。

     調査結果の要旨等については、調査終了後、データの整理が終わり次第、随時紹介していく予定である。

    (執筆:高村武幸)

     

    居延漢簡実見調査

     本共同研究では、その前身となる研究『中国出土簡牘史料の生態的研究』以来、簡牘の実見と実測図作成とを主要活動の一つと位置付けてきた。本研究では、数ある簡牘史料群の中でも、今日の簡牘学の基盤を形成し、また多様な簡牘を多数含む居延漢簡を、継続的な実見対象として選定した。その上で、台湾・中央研究院歴史語言研究所の理解を得て、同研究所所蔵の1930年代出土居延漢簡(旧居延漢簡)について、実見・実測図作成を行なっている。これまで、2005年のプレ実見以来、2007・2008・2010・2011・2013年にわたる実見を実施し、のべ実見点数は600点以上、作成実測図は200点余に及ぶ。

     本研究において、実見・実測図作成にあたっては、一般的な簡牘の実見調査で行なわれる、単なる文字情報の確認は、無論重要ではあるが、最大の目的ではない。我々の最大の目的は、実物を実際に調査しない限りは絶対にわからない、形状や法量の計測、材質、加工痕、中国古代人が簡牘を便利に用いるために施した様々な工夫の痕跡(例えば、割り符に刻まれた刻歯や、簡牘の書写面に複数欄を設けて書写する際に欄が崩れないように刃物で薄く刻まれた線など)を判明する限り確認することなのである。そして、それらの調査結果は、個々の調査者で記録に極力ばらつきがでないように、2005年のプレ実見の経験から作成した調査票を利用することで標準化をはかっており、後日、どの記録を誰がみても記載内容を間違わず理解できるようになっていて、参加者の間で完全な共有がはかられている。

     調査データの記録・実測図作成は非常に体力と精神力を消耗する研究作業であり、また限られた期間の中で可能な限り多くの簡牘を調査しなければならないこともあって、恵まれた調査環境を有する中央研究院歴史語言研究所内の作業といえども、1日の調査を終えると、宿舎と同じ建物の中で夕食を食べることすら面倒になる程である。にもかかわらず、共同研究参加者から、この実見を打ち切ろうという意見は出たことがない。この活動への参加を通じて、簡牘史料が持つ情報を、文字以外の面も含めて「読み取る」能力が確実に向上し、それが歴史学を探求する際の大きな武器になっていることを、実感できているからである。

    (執筆:高村武幸)

     

    「肩水金関漢簡による漢代西北交通・防衛機構の研究」

    (科研費若手研究(B)、青木俊介代表、2012年度~2016年度)

     2011年8月、中国漢代西北地域の関門遺跡から出土した文書、肩水金関漢簡が公表された。中国古代の関所に関する最もまとまった一次史料群である。本研究は、この史料群を用いてこれまで定かでなかった関所の機能を解明し、さらに、そこを往来する人・物の記録、および漢代の郵駅遺跡より出土した敦煌懸泉置漢簡との比較から、当時の交通制度について考察したものである。さらに、漢代の西北辺境防衛施設からは居延漢簡が出土しており、それに基づいて防衛機構の研究がなされてきた。肩水金関漢簡は同時代同地域の史料であり、内容は密接に関係する。肩水金関漢簡の側から居延漢簡を見直すことによって、漢代西北防衛機構の再検討を試みた。

     本研究の中でまず注目したのが、現在の税関申告書に相当する「致」である。他の遺跡からはほとんど発見されていない関所ならではの書類であり、「致」によって人や物品の出入をチェックすることが、関所の大きな特徴であるとわかった。さらに、防衛機構との関係としては、肩水金関には騂北亭という亭燧が同居しており、それを統轄する肩水東部侯長の治所が置かれていて、肩水金関の遺跡とされていたA32が複合遺跡であることがわかった。また、近在する肩水候官とは一括運営されており、肩水金関は軍事系統の機関と協業関係にあることも判明した。

    (執筆:青木俊介)

     

    「周縁領域からみた秦漢帝国の総合的研究」(高村武幸代表)

     中国秦漢時代の研究は、各種出土史料の発見に支えられながら隆盛をみている。ことに従来は典籍文献史料が限られていた帝国周縁領域の実態について、例えば前漢期に領域となった西北周縁部では敦煌・居延から出土した漢簡、また秦代に領域となった西南部長江流域では里耶秦簡などの史料によって、非常に精密な研究が可能になりつつある。様々な異民族や異文化との接触・摩擦・融合を繰り返してきた周縁領域で如何なる社会が形成され、それは帝国全体にどのような意味があったのかをさぐることは、後の中華帝国の原型を形成した秦漢帝国全体の歴史的意義を考察していく上で、重要な意味を持つ。

     しかし、従来の周縁領域研究では、関連史料の偏在と散在という壁に阻まれ、帝国の四方に存在する多様な周縁領域に対する研究が別個に行なわれ、それらを比較検討して各周縁領域の特性を浮かび上がらせ、その成果を複合して秦漢帝国にとって周縁領域とは何だったのかを解明する総合的研究はなされてこなかった。

     そこで本研究では、出土史料・典籍文献史料の徹底した再検討を軸に、考古学・地理学の成果や衛星写真等の活用、実地調査による都市・耕地等の立地条件の考察を実施し、各領域の実像を現状で出来うる限り実証的に描き出す。その上で明らかになった各周縁領域の特性を比較検討して総合し、周縁領域の存在と変遷が秦漢帝国に与えた影響と、秦漢帝国領域に組み込まれたことによる周縁領域自体の変容を解明しようと試みる。

    (執筆:高村武幸)

     

    「新出簡牘資料を用いた戦国秦から統一秦にかけての国制変革に関する研究」

    (科研費 若手研究(B)、渡邉英幸代表、2014年度~2016年度)

     秦は紀元前221年、それまで複数の「邦」が分立していた「天下」世界を史上初めて「秦」一国の下に統合した。この統一秦の国制が以後の中国諸王朝に与えた影響は計り知れない。とくに戦国秦時代からの継承と変革の跡を解明することは、「統一」の実相を理解する上で不可缺の課題と言えよう。近年この統一秦期に関して、里耶秦簡や岳麓書院蔵秦簡など、待望久しい同時代史料が次々と発見・公表されており、研究が新たな段階に入っている。本研究課題の目的は、こうした新発見の簡牘資料の分析を通じて、当時の統合形態の変革や他国民編入・異民族統治のあり方、そして君主観念の変容を解明することにある。

    (執筆:渡邉英幸)

     

    「最新史料に見る秦・漢法制の変革と帝制中国の成立」

    (科研費 基盤研究(B)、陶安あんど、2016年度~2022年度)

     「秦漢時代」は、一括りとして語られることが多いが、暗黙の前提とされる表層的な継承性によって秦と漢の異質性が不可視化される。従来の研究においては、始皇帝によって初めて中国大陸が統一されたことが重視され、統一秦を以て二千年にわたる「帝制中国」の始点と見做す傾向が強かったのに対し、本研究は秦という国家の特異性を浮き彫りにするように努めた。

     郷という末端機関まで国家から給与を支給される役人を配置し、全人口に一定の身分を付与して個人情報を網羅的に蒐集・蓄積する秦の国家体制は、歴代王朝の歴史の中でも異彩を放つ。それは、社会の極めて高い流動性に特徴づけられる宋代や清代の近世国家とのみならず、郷における行政事務が徐々に住民に転嫁されて外部化される漢代や魏晋の状況とも顕著な差異を示す。短命に終わった始皇帝の統一事業は、帝制時代の始点というよりも、数世紀にわたる秦国の固有史の終着点と考えるのが実情に近かろう。漢語の使用を通じて、この国家の経験もその後多くの「漢語国家」によって絶えず再発見・再利用されることとなったが、その過程において国家体制は絶えず変質していった。その長い歴史プロセスの末に、近現代の国民国家としての中国も立ち現れるが、その複雑な歴史過程を単なる「中国史」に矮小化すべきではない。中国という近代的な国家は、その延長線上に位置づけられるにせよ、その必然的な結果ではないからである。「中国史」という枠組みは、多様な民族集団や個人によって創られてきた歴史を記述するにはあまりにも狭いから、本研究の代表者は今後「漢語国家」という新しい概念を樹立し、時代層を見分けつつその多様性を明らかにしていく予定である。この概念が開く斬新な視点が本研究の重要な成果と考える。

    (執筆:陶安あんど)

     

    「中国古代における 家族と「移動」の多角的研究─静態的家族観からの脱却をめざして─」

    (科研費基盤研究(C)、鈴木直美代表、2017年度~2020年度)

     本研究では出土史料(里耶秦簡や走馬楼呉簡などの簡牘)に残る住民名簿や各種帳簿・文書の復元と解読を通じ、中国古代社会における家族・世帯のあり方と、その構成員である人々の空間的、社会的移動の具体的様子を明らかにし、古代社会における社会的流動性の高さを確かめた。具体的には、秦から漢にかけて奉公による世帯間移動者が一定数いること、奉公人は擬制的家族として扱われること、および未成年男性が地方官で下級官吏として勤務しており、未成年者の奉公や仕官が社会的身分変化の契機となっていたことが明らかになっていた。また、三国呉における男女の結婚生活が長期継続しにくく、死別などによる再婚によって世帯が再編され、女性の世帯間移動がしばしば起こっていたことが判明した。

    (執筆:鈴木直美)

     

    「三国呉・長沙の年齢史─人生の諸段階と同居家族」

    (科研費基盤研究(C)、鷲尾祐子代表、2018年度~2020年度)

    研究の背景

     中国では古代より、流動性の高い社会における生存の保障を得るために、様々な方法で人と人とが結びついてきた。そのなかでも重要なものの一つが、家族である。そして、家族は古来の組織であると同時に、時代の変化にしたがい絶えず結び直されてきた「新しい」ものである。

     そのありようの後世まで継承される原則部分は、古代中世に確立している。それは大家族の理想、父母の尊厳と子(嫁)の服従、世代間の尊卑(輩行の原理)などである。しかし、伝世文献では、家族の姿について知れるのはエリートの目線によって取捨選択を経た事例の記載であり、それは往々にして倫理的に理想な家族や、逆に反面教師となる不出来な家族の例である。下々の家族の組織実態について、ありのままを知ることができる史料は少ない。

    研究の目的

     近年の出土文字史料には底辺の家族の実態をうかがい得るものが出現しつつある。なかでも1996年に湖南省長沙の古井戸より出土した走馬楼呉簡には、住民家族名簿を多数含む。それは、当時の一般の世帯の親族構成を知ることができる貴重な資料である。そしてそこには、文献にみえる世帯とは、相違する実態があらわれている。

     そこで、本研究は、このような貴重な史料を用いて、当時の人々の一般的な人生の姿と、家族の姿とは何かを探求するものである。それを、とくにライフイベントの発生年齢に着目して行う。婚姻や死亡は、家族の変化につながるからである。

    研究の方法

     現代社会でも結婚適齢期があり、みなだいたい似た時期に就職する。古代中世中国でもライフイベントが発生する年齢および人生の諸段階の時期には、社会の慣習として一定の傾向が存在する。本研究では、まず社会的な慣習の検討から出発し、湖南省長沙より出土した呉簡の住民名簿より、ライフイベント発生年齢の標準値を算出し、当地における人生の諸段階の時期の傾向を確認する。

     家族によっては婚姻が分家の契機になる可能性があり、また死別によって家族構成は変化する。本研究では、ライフイベント発生によって同居範囲がどのように変化するかを把握し、人生の過程で核家族から父母兄弟同居の家族まで様々な家族構成を経る状況について、説明を試みたい。

    参照:『資料集:三世紀の長沙における吏民の世帯─走馬楼呉簡吏民簿の戸の復原─』、東京外国語大学アジアアフリカ研究所電子出版物>https://publication.aa-ken.jp/ChangshaRegister.pdf、2017年

    (執筆:鷲尾祐子)

     

    中国古代簡牘の横断領域的研究

     本研究は、アジアアフリカ言語文化研究所の共同利用・共同研究課題として2011年度から2013年度にわたり以下の要領で実施された。

    研究課題の概要

     簡牘とは、木や竹で作られた「ふだ」のことをいうが、それは、中国では3世紀頃まで広く用いられていた書写材料の一つであると同時に、その形態に様々な意味が込められたモノでもある。例えば現在カードにICチップが埋め込まれるのと同様に、「符・券」という簡牘には、信憑性を確保するため、記載内容に合致する特殊な刻みが施され、またパスワードのように、文書に「封検」という特殊な形状の簡牘を組み合わせ内容漏洩を防ぐ工夫などもなされていた。こうしたモノとしての簡牘は、複雑で長いライフサイクルを有する。作成・作成目的に沿った利用と再利用から目的外の再利用と廃棄に至るまで、簡牘は時に形状と機能を変化させ時空を移動しつつ、社会生活の様々な局面に立ち会った。そのため、簡牘には当時の豊富な情報が刻み込まれている。本研究課題は、簡牘の文字情報の正確な解読を基礎に据え、中国古代の社会生活を語る証人としての簡牘に新たな生命を吹き込んで、新しい簡牘学の構築を目指すものである。

    研究課題の目的

     本研究の目的は新たな簡牘学の構築にある。日本には中国簡牘研究の長い伝統があるが、近年の中国では簡牘を中心とする出土史料が大量に発見され続けている。その中には、簡牘に対する従来の認識を塗り替えるものも多く、旧来の制度史的視点を主とする簡牘研究の限界が明らかになった。加えて簡牘の複雑なライフサイクルの存在が認識されるようになり、従来型の簡牘学には大きな変容を迫っている。同時に、中国でも出土史料の研究が空前の活況を帯びているが、出土史料には伝世の典籍史料と照合できる古代文献も多いため、中国の簡牘学はそちらに目を奪われ、簡牘を単に「木や竹に記された古代文献」と捉える傾向が強い。その結果、中国古代の社会に深く根を下ろしていた簡牘のモノとしての側面への注意が欠落している。このように、単なる文献学への堕落を避けつつも、制度史的視点への偏重といった旧来の簡牘学の限界を乗り越え、簡牘の多様性に対応した多角的視点を持つ簡牘学を構築する。

    研究課題の意義

     簡牘の多様性は、複数の研究者による横断領域的研究なくしては捉えきれない。簡牘の文字情報の正確な「解読」でさえ、一人の制度史家の手に負えない。簡牘に記される文字ひとつとっても、地域や時代、簡牘の使用目的によって、用いられる書体が大きく異なり、時には現在の楷書に連なる秦系漢字以外の文字も用いられ、言語学的特徴に大きな差異が生ずることすらある。簡牘の内容や形態・機能の多様性は、そのまま当時の社会生活の多様性を反映しており、文献史学の複数の専門領域による共同作業のみならず、出土状況や遺構の性質、遺物としての形態学的諸特徴などの基礎情報を正確に「解読」するための考古学的視点をも必要とする。すなわち、新たなる簡牘学には、簡牘の歴史的多面性を直視し、それを余さずに「解読」するための横断領域的な研究が求められるのである。この点にこそ、共同研究拠点としてのAA研の機能を十全に活用した簡牘学研究の意義が存在する。

    (執筆:陶安あんど)

     

    里耶秦簡と西北漢簡にみる秦・漢の継承と変革——中国古代簡 牘の横断領域的研究(2)

     本研究は、アジアアフリカ言語文化研究所の共同利用・共同研究課題として2014年度から2016年度にわたり以下の要領で実施された。

    研究課題の概要

     「里耶秦簡」と「西北漢簡」とは、地方官庁で作成・使用された文書や帳簿を主たる内容とする共通性を示しつつ、秦・漢の変革を跨るという時代的特性を持つ簡牘史料である。本研究は、「新簡牘分類理論」という本研究特有の研究手法によりこの二つの史料群の正確な解読と比較研究を横断領域的に進め、伝世文献によって映し出されている「秦漢時代」の連続性を打破して、秦・漢王朝の継承と変革の実態を明らかにすることを目的とした。

    研究課題の目的

     「秦漢時代」という言葉の背後には驚くべき異質性が隠れている。秦王朝は、戦国時代七雄の一つとして戦時総動員体制を敷き、官制や爵制等を通じて資源や労働義務の分配を中央集権的に掌握することに巧みに成功したが、統一達成後、国家による資源や労働力の丸抱えの非効率性等が露出し、体制は、新しい社会状況に対応できずに崩壊に傾いた。漢楚抗争を経て秦の故地を根拠地に再統一を成し遂げた漢王朝は、秦の法律や制度を継承しつつ、最初は運用面で工夫を凝らして制度を新しい実態に合わせ、前漢中期から後漢初期にかけて、儒教化の名の下で一種の文芸復興として再構築された経学の知識体系を参照して制度設計そのものにも大きな変更を加えていった。制度と文化の両面において先秦ないしは秦の概念が踏襲され、半ば意図的に継承性が演出されたが、本研究には、出土資料が提供する豊富な社会経済史的史料を通じて、不可視化された変革に肉薄する狙いが込められている。

    研究の実施計画

     出土資料は、拡散的性格の故、好都合な記述を掻い摘んで一般化する危険を孕むが、本研究は、簡牘というシステムの中で秦と漢を分析することによって、個別的事象を超えた歴史的連続性と不連続性を分析する視点を確保している。同時に、先行研究課題における方法論的探究によって、本研究は、多分野から集まった共同研究員が共有する認識基盤を獲得した。具体的には、「中国古代簡牘の横断領域的研究」においては、永田英正以来の「古文書学的簡牘研究」と籾山明が提唱した「出土簡牘の生態的研究」とを駆使しつつ、簡牘の多様性に対応した多角的視点を持つ簡牘学の構築に力を注いできた。「出土簡牘の生態的研究」とは、文字情報に加えて簡牘の出土状況・形態・綴じ方等に関する情報等を元に、製作から利用と再利用を経て廃棄に至るまでの「簡牘のライフサイクル」を明らかにする新手法を指すが、それを通じて、文字情報に止まらない広義の文脈情報が得られ、本当の意味における史料の発掘が可能になる。さらに、高村武幸によって、形態分類と機能分類を明確に区別する新たな簡牘分類理論が提示され、本研究を支える鋭利な分析道具となっている。

     一方、「里耶秦簡」と「西北漢簡」という二つの史料群は、地方官庁において作成された文書や帳簿を主たる内容とするが、地方官庁は、国家と地域社会の接点であり、そこに生成された文書や記録は地域社会の実態を語る一級の社会経済史料である。中でも、西北簡牘が、主として前漢中期から後漢初期にかけての時代に属するのに対して、里耶秦簡は、伝世文献がほとんど原形で残されていない戦国時代最末期から統一秦に掛けて形成された。つまり、時代は、秦・漢の変革以前にまで遡り、伝世文献史料等から想定されるのとは全く異なる社会事象を前提として文書や帳簿が作成されている。それを歴史学・考古学・法学の研究者が共同して解析することにより、「秦・漢」の歴史が一新される。

    (執筆:陶安あんど)

     

    簡牘学から日本東洋学の復活の道を探る――中国古代簡牘の横断領域的研究(3)

     本研究は、アジアアフリカ言語文化研究所の共同利用・共同研究課題として2017年度から2019年度にわたり以下の要領で実施された。

    研究課題の概要

     日本東洋学の衰退が叫ばれて久しいが、本研究は、輪読形式の研究会が緻密な史料考証を特徴とする日本の東洋学を基礎づけたという認識に立つ。中国古代簡牘という、様々な意味で正確な解読が困難な秦漢時代の基礎史料について、異分野の専門家が共同講読を行うが、大学院生や若手研究者にできるだけ広く参加を呼び掛けて、研究室単位の研究会に代わるネットワーク型の史料輪読会を構築し、簡牘学から東洋学の復活を図る道を探ることが、本研究の目的である。

    研究課題の背景

     日本の東洋学を特徴づけるものとは何か、それを支えていた支柱は何処にあるか、そしてその支えを失って衰退した理由は如何、様々な考え方があろうが、本研究は、「読書会」形式で行われてきた共同の史料講読に着目する。馬小紅(2014)に見られるように、大学院生や若手研究者を組織して定期的に史料を輪読する日本各大学の研究会は、中国でも「読書会」という名で知られており、高い評価を受けているが、師弟間の知識伝授よりも、若手研究者の間の切磋琢磨が基礎的研究能力の向上に繋がり、特に史料の共同講読を通じて史料に密着した研究風習を醸し出してきたように思われる。しかし、近年は、研究職の就職先の減少と教育環境の悪化、そして大学院志望者の減少という悪循環によって、各大学の研究室を中心とした「読書会」の運営が困難になり、それに代わるより広範なネットワーク型の読書会を運営する道を探る必要性が痛感される。

    研究の実施計画

     20世紀初頭の敦煌漢簡を皮切りに、1930年代と1970年代の居延漢簡を経て、近年の里耶秦簡や長沙五一広場東漢簡に至るまで、実際の行政の中で用いられた文書や簿籍の実物を内容とする中国古代簡牘が数多く発見されている。それによって、秦漢時代における法律や制度の運用実態を窺い知ることができる。また、1970年代の睡虎地秦簡を嚆矢として、張家山漢簡・放馬灘秦簡・嶽麓秦簡・北大秦簡等々、法律・算術・医学・占い書等の実用的書籍を現代に伝える簡牘群も陸続と出土してきた。こうした古代書籍は、諸制度や社会生活の運営を背後から支える知の体系を解明する手がかりを与える。その意味では、簡牘はもはや秦漢時代の歴史研究に欠かせない基礎史料となっている。

     ところが、古代簡牘は、その多様性の故、複数の研究者による横断領域的研究なくしては捉えきれない。簡牘の文字情報の正確な解読でさえ、一人の研究者の手に負えず、出土状況・形態的特徴等、考古学的遺物としての側面や法律等に関する専門知識を含めて簡牘を十全に「解読」するには一層多くの困難を伴う。そこで、本研究は、異なる専門領域の研究者を組織し、簡牘史料の共同講読を行った。 具体的には、原則毎月二回、合わせて三日間の簡牘史料輪読会を開催した。経費節約のため、東京と京都とで会場を設営し、ビデオ会議システムによって両会場を接続して研究会を実施した。共同研究員のほか、周辺の大学院生にも広く参加を呼び掛けて、本研究会を簡牘史料の共同講読拠点に発展させるよう努力した。

     中国古代史の大学院生に広範にアピールするためには、初年度の九月に、五日間の簡牘史料研究合宿( http://www.aa.tufs.ac.jp/ja/training/ilc/silc2017)を開催した。受講者の中から、後続の研究課題に新たに加わった共同研究員も生まれ、研究会の新陳代謝に貢献したと言えよう。

    (執筆:陶安あんど)

     

    秦代地方県庁の日常に肉薄する――中国古代簡牘の横断領域的研究(4)

     本研究は、2020年度から2022年度にかけてアジアアフリカ言語文化研究所の共同利用・共同研究課題として以下の要領で実施された。

    研究課題の概要

     本研究課題では、歴史学・考古学・文字学・法学等の異なる専門背景を持つ研究者が、秦代洞庭郡遷陵県の遺跡群(「里耶古城遺跡」)から出土した文書木簡(「里耶秦簡」)の定期的共同史料講読を通じて、当該県庁における日常的行政業務の実態を体系的に解明することを目的としていた。中国最初の古代帝国を建てた秦朝では、県という基層の行政機関は、住民の把握、人的・物的資源の徴発、武器や生産道具の製造等を担い、経国の主柱となっていた。この基層の実態は帝国そのものの運営実態を伝えると考える。

    研究課題の背景

     「簡牘(かんとく、文字の書かれた木・竹の札)」の発見は、中国近代歴史学の四大発見の一つに数えられるが、20世紀初頭ヨーロッパの探険家によって新疆の尼雅と楼蘭で発見された晋代の木簡を嚆矢として、膨大な量の簡牘史料は、中国の古代歴史を根底から問い直す材料を提供してきた。戦前は、甘粛省の敦煌や居延の軍事遺構から発掘された漢代の文書簡牘(「西北漢簡」)の数がすでに1万枚を超え、戦後は時代の幅が戦国時代まで広がり、内容も行政文書や帳簿等の記録に加えて、諸子百家の著作から法律・算術・医術などの実用書籍までと多様化してきた。本研究にとっては、文献学的研究傾向が強い中国の簡牘研究と違い、戦後京都を中心に日本で精力的に行われた西北漢簡の古文書学的研究が重要な方法論的基礎を提供したが、2002年に湖南省龍山県の里耶古城遺跡から出土し2012年から公表が本格的に開始された「里耶秦簡」によって、より原形に近い文書行政の実態が窺える材料がもたらされ、西北漢簡研究が変貌期もしくは衰退期の在り方を伝える史料に基づいていたことが明らかになった。本研究は、律令を通じて日本にも輸入され現代にまで影響を及ぼしている中国古代文書行政の原形を伝える里耶秦簡に対する最初の体系的な古文書学研究であった。

    研究の実施計画

     本研究課題は、先行研究課題に続けて簡牘の共同史料講読を中心に据えた。ビデオ会議システム等を活用して、毎月三日間の研究会を開催した。過去八年間半にわたり、一部のメンバーの入れ替えをへつつも、実際に延べ230日約1060時間の史料講読を行ってきた。中でも里耶秦簡という史料群に多くの講読時間を当て、すでに注の数が2600、紙幅がA4で800頁弱におよぶ訳注稿を作成している。

     訳注稿の最大の特徴は、全ての史料を、その史料自体に基づいて構築した様式論体系に則して分類して排列している点にある。文書や帳簿などの記録が一定の様式に基づいて作成されている以上、様式の把握は、正確な解読の前提となるのみならず、極めて小さな断片についてもその属性を見極め史料として活用することを可能にする。本訳注稿の様式論体系は、文字の配置や簡牘の形状に関わる項目を含んでおり、加筆・形状加工および破損など、簡牘の再利用および廃棄の状況に関する情報を集積することをも可能にする。それによって、簡牘の製作から利用と再利用を経て廃棄に至るまでのライフサイクルが可視化され、使用状況が復元できるという、元の使用空間から出土した遺構簡牘の強みが遺憾なく発揮されることが期待される。

    (執筆:陶安あんど)

     

    ホーム