進行中の研究

簡牘学から日本東洋学の復活の道を探る――中国古代簡牘の横断領域的研究(3)

 本研究は、アジアアフリカ言語文化研究所の共同利用・共同研究課題として以下の要領で実施されている。

研究課題の概要

 日本東洋学の衰退が叫ばれて久しいが、本研究は、輪読形式の研究会が緻密な史料考証を特徴とする日本の東洋学を基礎づけたという認識に立つ。中国古代簡牘という、様々な意味で正確な解読が困難な秦漢時代の基礎史料について、異分野の専門家が共同講読を行う予定であるが、大学院生や若手研究者にできるだけ広く参加を呼び掛けて、研究室単位の研究会に代わるネットワーク型の史料輪読会を構築し、簡牘学から東洋学の復活を図る道を探る。

研究課題の背景

 日本の東洋学を特徴づけるものとは何か、それを支えていた支柱は何処にあるか、そしてその支えを失って衰退した理由は如何、様々な考え方があろうが、本研究は、「読書会」形式で行われてきた共同の史料講読に着目する。馬小紅(2014)に見られるように、大学院生や若手研究者を組織して定期的に史料を輪読する日本各大学の研究会は、中国でも「読書会」という名で知られており、高い評価を受けているが、師弟間の知識伝授よりも、若手研究者の間の切磋琢磨が基礎的研究能力の向上に繋がり、特に史料の共同講読を通じて史料に密着した研究風習を醸し出してきたように思われる。しかし、近年は、研究職の就職先の減少と教育環境の悪化、そして大学院志望者の減少という悪循環によって、各大学の研究室を中心とした「読書会」の運営が困難になり、それに代わるより広範なネットワーク型の読書会を運営する道を探る必要性が痛感される。

研究の実施計画

 20世紀初頭の敦煌漢簡を皮切りに、1930年代と1970年代の居延漢簡を経て、近年の里耶秦簡や長沙五一広場東漢簡に至るまで、実際の行政の中で用いられた文書や簿籍の実物を内容とする中国古代簡牘が数多く発見されている。それによって、秦漢時代における法律や制度の運用実態を窺い知ることができる。また、1970年代の睡虎地秦簡を嚆矢として、張家山漢簡・放馬灘秦簡・嶽麓秦簡・北大秦簡等々、法律・算術・医学・占い書等の実用的書籍を現代に伝える簡牘群も陸続と出土してきた。こうした古代書籍は、諸制度や社会生活の運営を背後から支える知の体系を解明する手がかりを与える。その意味では、簡牘はもはや秦漢時代の歴史研究に欠かせない基礎史料となっている。

 ところが、古代簡牘は、その多様性の故、複数の研究者による横断領域的研究なくしては捉えきれない。簡牘の文字情報の正確な解読でさえ、一人の研究者の手に負えず、出土状況・形態的特徴等、考古学的遺物としての側面や法律等に関する専門知識を含めて簡牘を十全に「解読」するには一層多くの困難を伴う。そこで、本研究は、異なる専門領域の研究者を組織し、簡牘史料の共同講読を行う。 具体的には、毎月一回三日間連続の簡牘史料輪読会を開催する。経費節約のため、東京と京都とで会場を設営し、ビデオ会議システムによって両会場を接続して研究会を実施する。共同研究員のほか、周辺の大学院生にも広く参加を呼び掛けて、本研究会を簡牘史料の共同講読拠点に発展させるよう努力する。

 中国古代史の大学院生に広範にアピールするためには、初年度の九月に、五日間の簡牘史料研究合宿( http://www.aa.tufs.ac.jp/ja/training/ilc/silc2017)を開催し、その後、実績を見ながら毎年もしくは隔年実施する体制を構築して、研究会の新陳代謝を図る予定である。また、より充実した共同研究を遂行するためには、共同研究員全員で、基盤研究Sの科研費助成を目指して応募する予定である。

(執筆:陶安あんど)

 

居延漢簡実見調査

 本共同研究では、その前身となる研究『中国出土簡牘史料の生態的研究』以来、簡牘の実見と実測図作成とを主要活動の一つと位置付けてきた。本研究では、数ある簡牘史料群の中でも、今日の簡牘学の基盤を形成し、また多様な簡牘を多数含む居延漢簡を、継続的な実見対象として選定した。その上で、台湾・中央研究院歴史語言研究所の理解を得て、同研究所所蔵の1930年代出土居延漢簡(旧居延漢簡)について、実見・実測図作成を行なっている。これまで、2005年のプレ実見以来、2007・2008・2010・2011・2013年にわたる実見を実施し、のべ実見点数は600点以上、作成実測図は200点余に及ぶ。

 本研究において、実見・実測図作成にあたっては、一般的な簡牘の実見調査で行なわれる、単なる文字情報の確認は、無論重要ではあるが、最大の目的ではない。我々の最大の目的は、実物を実際に調査しない限りは絶対にわからない、形状や法量の計測、材質、加工痕、中国古代人が簡牘を便利に用いるために施した様々な工夫の痕跡(例えば、割り符に刻まれた刻歯や、簡牘の書写面に複数欄を設けて書写する際に欄が崩れないように刃物で薄く刻まれた線など)を判明する限り確認することなのである。そして、それらの調査結果は、個々の調査者で記録に極力ばらつきがでないように、2005年のプレ実見の経験から作成した調査票を利用することで標準化をはかっており、後日、どの記録を誰がみても記載内容を間違わず理解できるようになっていて、参加者の間で完全な共有がはかられている。

 調査データの記録・実測図作成は非常に体力と精神力を消耗する研究作業であり、また限られた期間の中で可能な限り多くの簡牘を調査しなければならないこともあって、恵まれた調査環境を有する中央研究院歴史語言研究所内の作業といえども、1日の調査を終えると、宿舎と同じ建物の中で夕食を食べることすら面倒になる程である。にもかかわらず、共同研究参加者から、この実見を打ち切ろうという意見は出たことがない。この活動への参加を通じて、簡牘史料が持つ情報を、文字以外の面も含めて「読み取る」能力が確実に向上し、それが歴史学を探求する際の大きな武器になっていることを、実感できているからである。

(執筆:高村武幸)

 

「周縁領域からみた秦漢帝国の総合的研究」(高村武幸代表)

 中国秦漢時代の研究は、各種出土史料の発見に支えられながら隆盛をみている。ことに従来は典籍文献史料が限られていた帝国周縁領域の実態について、例えば前漢期に領域となった西北周縁部では敦煌・居延から出土した漢簡、また秦代に領域となった西南部長江流域では里耶秦簡などの史料によって、非常に精密な研究が可能になりつつある。様々な異民族や異文化との接触・摩擦・融合を繰り返してきた周縁領域で如何なる社会が形成され、それは帝国全体にどのような意味があったのかをさぐることは、後の中華帝国の原型を形成した秦漢帝国全体の歴史的意義を考察していく上で、重要な意味を持つ。

 しかし、従来の周縁領域研究では、関連史料の偏在と散在という壁に阻まれ、帝国の四方に存在する多様な周縁領域に対する研究が別個に行なわれ、それらを比較検討して各周縁領域の特性を浮かび上がらせ、その成果を複合して秦漢帝国にとって周縁領域とは何だったのかを解明する総合的研究はなされてこなかった。

 そこで本研究では、出土史料・典籍文献史料の徹底した再検討を軸に、考古学・地理学の成果や衛星写真等の活用、実地調査による都市・耕地等の立地条件の考察を実施し、各領域の実像を現状で出来うる限り実証的に描き出す。その上で明らかになった各周縁領域の特性を比較検討して総合し、周縁領域の存在と変遷が秦漢帝国に与えた影響と、秦漢帝国領域に組み込まれたことによる周縁領域自体の変容を解明しようと試みる。

(執筆:高村武幸)

 

「肩水金関漢簡による漢代西北交通・防衛機構の研究」(科研費 若手研究(B)、青木俊介代表)

 2011年8月、中国漢代西北地域の関門遺跡から出土した文書、肩水金関漢簡が公表された。中国古代の関所に関する無二の一次史料群である。そこで本研究では、この新史料を用いてこれまで定かでなかった関所の機能を解明し、さらに、そこを往来する人・物の記録、および漢代の郵駅遺跡より出土した敦煌懸泉置漢簡との比較から、当時の交通制度について考察する。

 漢代の西北辺境防衛施設からは居延漢簡が出土しており、それにもとづいて防衛機構の研究がなされてきた。肩水金関漢簡は同時代同地域の史料であり、内容は密接に関係する。肩水金関漢簡の側から居延漢簡を見直すことによって、漢代西北防衛機構の再検討を試みる。

(執筆:青木俊介)

 

「新出簡牘資料を用いた戦国秦から統一秦にかけての国制変革に関する研究」(科研費 若手研究(B)、渡邉英幸代表)

 秦は紀元前221年、それまで複数の「邦」が分立していた「天下」世界を史上初めて「秦」一国の下に統合した。この統一秦の国制が以後の中国諸王朝に与えた影響は計り知れない。とくに戦国秦時代からの継承と変革の跡を解明することは、「統一」の実相を理解する上で不可缺の課題と言えよう。近年この統一秦期に関して、里耶秦簡や岳麓書院蔵秦簡など、待望久しい同時代史料が次々と発見・公表されており、研究が新たな段階に入っている。本研究課題の目的は、こうした新発見の簡牘資料の分析を通じて、当時の統合形態の変革や他国民編入・異民族統治のあり方、そして君主観念の変容を解明することにある。

(執筆:渡邉英幸)

 

「最新史料に見る秦・漢法制の変革と帝制中国の成立」(科研費 基盤研究(B)、陶安あんど代表)

 「秦漢時代」は、一括りとして語られることが多いが、暗黙の前提とされる表層的な継承性によって秦と漢の異質性が不可視化される。本研究は、変革時代の真只中に生まれた岳麓秦簡や里耶秦簡という新史料に基づき、秦・漢の法制における変革に新たな照明を当てる。具体的には、岳麓秦簡に含まれる法令集や里耶秦簡の文書史料を(再)整理し正確なテキストを構築した上、法源形式・刑罰制度・身分制度・行政制度を中心に法制の変革を解明する。「令」という法源形式の大量出現を始め、これらの領域における変化は、新領土における統治と深く関わっており、戦国の一雄から統一帝国へと領土国家が飛躍的な変質を遂げる過程、つまり「帝制中国」の成立を理解する鍵がそこに秘められていると考えられる。

(執筆:陶安あんど)

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