石原遼平「里耶秦簡8-660簡釈読覚書」

「里耶秦簡8-660簡釈読覚書」

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石原遼平(AA研共同研究員、明治大学研究員)

『里耶秦簡(壱)』[1] で公開された8-660簡は報償の受け取りに関連して、都郷から県廷に送られた文書だと考えられる。この簡は図版によって現行の釈文を修正できる部分があるため、以下にこれを示して当該簡を利用する者の参考に供したい。

1. 現行釈文
『校釈1』[2]の釈文に何有祖[3] の指摘を加えたものが、現在最も精度が高い釈文であるため、ここに引用する。

卅(三十)五年八月丁巳朔丙戌,都鄉守〼
士五(伍)兔詣少内,受購[4] 。●今□〼  (8-660正)
九月丁亥日垂入,鄉守蜀以來。瘳〼  (8-660背)

2. 新たに校訂できる文字
現行釈文では正面2行目末尾の文字は未釈読を示す「□」とされている。図版によれば当該字は〔図①〕のようになっており下半が欠けている。残存部分を8-2217や8-1090等の「遣」字と比較すると同じ形状であることがわかる。また、文脈からも「遣」で不自然な点はないため、「遣」と釈読して問題ないであろう。
図①〔図①〕 遣1遣(8-2217) 遣2遣(8-1090)
3. 校訂後釈文
校訂後の釈文は以下のようになる。

卅(三十)五年八月丁巳朔丙戌,都鄉守〼
士五(伍)兔詣少内,受購。●今遣〼 (8-660正)
九月丁亥日垂入,鄉守蜀以來。瘳〼 (8-660背)

 

【附記】
附記:小文は、アジア・アフリカ言語文化硏究所共同利用・共同硏究課題「秦代地方県庁の日常に肉薄する――中国古代簡牘の横断領域的研究(4)」における議論を踏まえているほか、科学硏究費(基盤硏究B、課題番号16H03487)「最新史料の見る秦・漢法制の変革と帝制中国の成立」の硏究成果を含む。

編集者注記:2020年7月2日入稿

[1]湖南省文物考古研究所編著『里耶秦簡(壱)』文物出版社、2012年1月。
[2]陳偉主編,何有祖、魯家亮、凡国棟撰『里耶秦簡牘校釈(一)』武漢大学出版社、2012年。
[3]何有祖〈読里耶秦簡札記(二)〉(簡帛網、http://www.bsm.org.cn/show_article.php?id=2257、2015年6月23日発布)
[4]「購」は原釈文および『校釈1』は未釈読であった。何有祖は注2札記において図版から「購」と釈読できることを指摘している。