日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト研究事業
領域II - (1) 平和構築に向けた知の展開

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古矢旬(ふるや・じゅん)
1947年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科中退。
現在、北海道大学大学院法学研究科教授。「『アメリカ研究』の再編」コア研究の代表。
主要業績:
『アメリカニズム 「普遍国家」のナショナリズム』(東京大学出版会、2002年)
『アメリカの社会と政治』(共編著、有斐閣、1995年)
ジョン・ハイアム『自由の女神のもとへ』(共訳、平凡社、1994年)


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 ジョン・ギャディスは、冷戦期を「長い平和」と見ましたが、私はこの冷戦観は虚妄だろうと思います。それはこのリスト(table-1)を見れば一目瞭然です。このリストは、1945年から冷戦終焉までにこれらの国々が経験した戦争被害の一覧です。つまり冷戦下の世界でこれだけの戦争が戦わされて、総計約2000万の人間が死んでいます。この黒い丸は国際戦争で、白い丸が内戦です。そのミックスしたもの、つまり内戦に国外からの介入があって戦争が広がった場合、あるいは対外戦争に引き続いて内戦が起こった場合が、お月様のように見えるものです。

 このリストを見るとわかりますが、シヴィリアン、一般市民の死傷者が冷戦期の紛争の中では多くなっています。内戦がたくさんあるから当然です。この冷戦型の戦争の多くにアメリカは介入しています。アメリカの側から、この時代をもし「長い平和」と呼ぶとすると、この「人間の安全保障」にとってきわめて危機的であった時代相を、ソビエトとの対立だけに還元する結果となりましょう。このように冷戦を単純化することによって、「長い平和」論は、アメリカの冷戦における「勝利」という、もう一つの虚妄に結びついてくるわけです。

 アメリカが、この間、対外介入を実行していくときに、東西両陣営や米ソ両陣営という言葉をわれわれは何度も耳にしましたが、「陣営」対立というとらえ方自体、ある種のフィクションであったと思います。アメリカは孤立した国家として介入するというよりは、むしろ国連や多国籍軍、反ソ同盟といった、介入主体をより国際的、多元的に見せる呼称を掲げることが少なくありませんでした。国際性や多元性もまた、冷戦期のアメリカの介入を正当化するもう一つの条件だったと思います。

 冷戦型の介入にはいくつかの制約条件がありました。一つはアメリカ外交に伝統的な孤立主義です。特に、多数のアメリカ兵士の犠牲を伴った大きな武力紛争への介入直後には、厭戦気分から次の対外介入を非常に厳しく戒める国内世論が持ち上がる傾向がありました。もう一つは地球大の軍事的な展開に伴う膨大なコストという制約条件です。冷戦期の介入は、具体的にある時点である地域に起こった危機に個別に対応することですまされるものではありませんでした。現実には、いつどこで起こるかわからない将来の危機に備えることが必要でした。したがって、そのような事態に備えるためには、アメリカは常に準戦時体制下になければならなかったと言えます。1950年の国家安全保障会議文書68(NSC-68)で、アメリカは国策として、ソ連を封じ込めるための長期的な軍事的関与を選択しました。1946〜90年の間、アメリカは全世界に向かって1336億ドルの対外軍事援助を行っています。むろんこれは目に見える予算だけです。このほかに、CIAや秘密のオペレーションをやる組織が使っていたとされるいわゆる「黒い予算」がどのくらいあるかはよくわかりません。

 軍事援助にくわえて、同じ期間にアメリカは世界に対して、2083億ドルにのぼる経済援助を供与しています。これも統計に出た分だけです。そして1989年、冷戦が終わった時点で、海外に375の軍事施設、50万の兵員を配置しているという、世界的かつ恒常的なアメリカの軍事的プレゼンスが存在していました。このプレゼンスを維持するための巨大な財政負担が、介入のもう一つの制約条件でした。

 また、冷戦下米ソ間対立は、核戦争による共滅の危機をはらんでいますから、実際には米ソ全面対決だけは、何があっても回避しなければならないことになります。その結果、各地で米ソの地域的、各国内的な代理による小規模紛争が頻発することになります。大きな戦争をできないという制約条件が、小さな介入と紛争を恒常化させたのです。

 そして代理戦争と同時に明示的な戦争が大戦争につながる危機がある結果、2の2の(b)であげたCovert Operations、つまり隠密作戦や秘密紛争が非常に増えてきます。これらの秘密戦争については、1948年の国家安全保障文書10の2で、以下のような定義がされています。すなわち、秘密作戦とはプロパガンダ、経済戦争、サボタージュなどに対する予防的直接行動、地下抵抗運動、ゲリラ、亡命解放集団への援助を通して行う敵対国家に対する破壊活動である。さらに、それらには自由世界にありながら危機に瀕している国々における土着の反共主義者たちへの支援活動も含まれていました。こういう規定を1948年の段階で国家安全保障委員会が提示し、その結果、アメリカは、実態の明らかでない非常に多くの数の介入作戦を展開してきたのです。

 これはアメリカの建国以来の主たる介入のリスト(table-2)です。20世紀に入ってから増えているのがわかると思いますが、これでもごく一部です。第二次世界大戦後、このほかにCIAやほかの陸軍の秘密組織などが展開した秘密作戦は、全体で500は超えるだろうと言われています。秘密作戦ですからデータもあまり表に出ません。実際にいくつあったかはわかりません。ともかく非常にたくさんの介入を実行しています。

 そういった目に見えにくい限定的な小規模の介入が、事態の推移とともに大紛争にエスカレートする危険性は常にあったといえます。ヴェトナムでもそうですが、限定戦争以前の例えば軍事顧問団の派遣などから始まり、CIAが巻き込まれ、やがて海兵隊や軍が巻き込まれる。限定戦争の長期化、泥沼化の過程は、アメリカが冷戦期、特に朝鮮戦争とヴェトナム戦争とで、悲劇的に経験することになりました。そこからアメリカがえた教訓に基づき、現在では、どうすれば介入を長期化させずに済むのか、どうすればアメリカ兵士の死者を抑えることができるかという配慮が、アメリカの介入を制約する非常に重要な原則になっていると思います。

 最後に、大急ぎで、ポスト冷戦期の介入について、私なりに考えてみたいと思います。私見では、1990年代以降のアメリカの介入の特色は、それ以前の介入をうながしてきた対立する両「陣営」というイメージが消失し、アメリカの軍事的一極体制が現出した結果、対外軍事行動が「警察化」したところにあると考えています。先ほど幡谷先生がコロンビアの例をお出しになりましたが、アメリカの対外介入の原型はラテンアメリカにあるだろうと思います。つまりラテンアメリカはモンロー・ドクトリンのときからアメリカの勢力圏だと見なされて、アメリカ政府が秘密裏に展開するCovertアクションが非常に多かった地域です。古くから、アメリカは、ラテン・アメリカを自らの一極支配下にあるとみなしてきました。ですから、そこにアメリカが軍事介入するときでも、対等な独立国家間の「戦争」「軍事対立」という認識よりは、自国の支配地域内の「秩序維持」−−したがって域内の「警察権」の行使という認識が表に出てきます。セオドア・ローズヴェルトが、いわゆる「モンロー・ドクトリンの系論」のなかで、中米、カリブにおけるアメリカによる「警察力の行使」の正当性をうたっていることは、まさにアメリカにとってこの地域が「準国内」と見なされたからにほかなりません。

 アメリカの介入のいわば「ラテン・アメリカ型」とは、つまり「軍事」の「警察化」を意味しています。そして、冷戦後の世界はソビエトという対立「陣営」がなくなったことによって、アメリカにとって世界は、その一極支配に服することになったと意識されるようになりました。いうなれば冷戦の終焉により、アメリカにとって、世界が「ラテン・アメリカ」になったのです。世界が、「準国内」になったのですから、アメリカ人にとってアメリカの軍事行動は、どこで行われようと警察行動と見なされる。つまり実際には戦争であっても、アメリカ人の意識のなかでは、戦闘は軍事行動よりは警察行動なわけです。冷戦後、頻繁に使用されるようになった「ならず者」という符帳も、まさに一国的な秩序の破壊をもくろむ犯罪者からの類推を思わせます。

 しかし散発的なテロやゲリラの掃討作戦ならばともかく、10万以上の軍隊を送って戦われた、湾岸戦争や今回のアフガニスタン、イラクに対する戦闘を、警察行動と呼ぶには無理があります。そうすると、アメリカの対外介入のもう一つの伝統的論理であるところのアメリカ例外論あるいは体制異質論の出番ということになります。つまりアメリカとは違う(劣った)政治体制下にある国を、よりよいアメリカ的体制を持つ国に変えてやる、という論理が強く浮かび上がることになります。

 ポスト冷戦型の介入の条件とは、ようするに、すでにアメリカに伝統的な孤立主義に復帰することは、アメリカの政治経済的権力の地球大の展開を前提とするならば、不可能である。事実としてアメリカは孤立していない。大規模な軍隊を展開し、大規模な経済援助を国外に送っています。それを早急に引き上げることは、今の段階では不可能です。しかし、この介入と大規模軍事プレゼンスを継続し、それを必要であるとアメリカ国民を説得するためには、アメリカが個別の小さな敵に対応しているというだけでは不十分です。したがって、今、世界を舞台とする「対テロ戦争」という枠組みが必要なのだと思われます。テロリズムは、そこでは個々バラバラな群小の無法者集団ではなく、アメリカを取り巻くネットワークで結ばれた単一の仮想の国家敵と見なされているのです。アメリカは、国内向け、あるいは国際向け、同盟国向けに、テロリズムと対決するという一種の仮想敵を提示することなしに、いまの介入を続けていくことはできないということです。

 ここで私の話は終わりですが、したがってアメリカの現在の介入を見るときに、必ずしも軍事力があって介入するというだけの単純な話ではありません。やはり個別のテロリズムの起こっているところの地域研究を結びながら、あるいはアメリカが行ってきたジェノサイダルな軍事行動を批判しながら、こまめにアメリカの対外関係を突き詰めていく必要があると思います。このプロジェクトの中でできるだけそれをやっていきたいと思います。以上です。(完)

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