日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト研究事業
領域II - (1) 平和構築に向けた知の展開

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幡谷則子(はたや・のりこ)
1960年生まれ。筑波大学大学院修士課程地域研究研究科修了。
現在、上智大学外国語学部助教授。
主要業績:
『ラテンアメリカの都市化と住民組織』(古今書院、1999年)
『発展途上国の都市住民組織』(アジア経済研究所、1999年)
『発展途上国の都市政策と社会資本建設』(共編著、アジア経済研究所、1996年)



  幡谷です。よろしくお願いいたします。いま速水先生が非常に含蓄のあるお話しをされたので、二番手としてはやりにくいのですが、報告させていただきたいと思います。

 私はコロンビアについて、紛争と政治暴力が構造問題化している社会の代表例というコンテクストでお話をしたいと思います。私自身は暴力の問題に正面から取り組んできたわけでもありませんし、長年見てきたのは、首都のボゴタの南部地域の貧困地区で、住民が生活のためにどのように日々闘ってきたかということです。そしてそのような人々が政府や機関とどのような緊張関係にあったか、ということを主にみてきました。

 その一方、コロンビアの国内紛争と政治暴力、それから現在大量の国内避難民が流出しているという現状があるわけです。これは、特に日本と関係のある事件が発生するとき以外、あまり伝わってこない問題です。しかしながらこれはラテンアメリカ、あるいは米州の中ではもっとも深刻な社会問題であり、ひいては今日のテーマである「人間の安全保障」にかかわる問題になって久しいのではないかと考えます。

 今日の話はまず、なぜコロンビアには構造問題として暴力の問題があるのかという背景を簡単にお話ししたあと、その中で地域的にもっともコンフリクトが著しく、かつ貧しい地域の一つであるマグダレーナ・メディオ(マグダレーナ河中流域)の実態と、開発の取り組みを紹介させていただきます。最後に、ボゴタのフィールドで私が日々考えてきたことから今日のテーマに関連してどんなことが言えるだろうか、ということを申し上げてまとめたいと思います。

 まず、なぜ政治暴力が構造問題化してしまったかということですが、時間が限られていますので、コロンビアの現代史を延々と申し上げることができません。ここで構造問題化と言うのは、基本的にコロンビアという国がラテンアメリカの中では異例に長期安定の民主体制の歴史を持ち、現在も制度上では安定民政を維持しているにも関わらず、内実、内戦を抱えているその過程を指します。つまり長期民政と内戦が共存しているという時代が過去50年以上続いていたということです。

 エリート中心の二大政党体制というかたちでの長期民政の安定という政治プロセスがあって、その結果、左翼勢力が市民政党として育たなかった。そして左翼勢力が政治の舞台から排除されてしまった結果、左翼ゲリラが形成されてしまった。またそれに対する「パラミリターレス」という極右準軍事組織というものが形成され、拡大していったという背景があります。

 他方、コロンビアという国はラテンアメリカの中では異例に、1980年代までは安定経済成長を遂げてきた国であるということが重要です。そして非常に堅調な工業化が進む中で、都市・農村間格差としての地域間格差、それから社会階層間の格差が非常に拡大してきた。結果的に農村部は切り捨てられ、政府不在の状態にありました。

 さらにこれを複雑化しているのが、1970年代以降特に拡大していった麻薬産業の発展と、政治暴力との関係です。麻薬ビジネスの発展は政治腐敗とも関連していますが、現在、より問題を深刻化しているのは、麻薬とゲリラとの関係です。1960年代形成された当時の左翼ゲリラには思想的な背景がありましたが、今日の左翼ゲリラは思想の支柱よりもむしろ麻薬ビジネスに活動基盤を置いたものである。それによって権力と経済力を獲得するといった状況になっています。それに対してアメリカが「麻薬撲滅」を掲げて、政府に対する軍事支援を続けてきました。米州間の関係でも、まさに安全保障の問題になってしまったのです。

 簡単にデータを紹介します。暴力はどういうふうに測られるかというと、一般的に人口10万人あたりの殺人件数で測られる「暴力指標」というもので、国際比較に使われます。コロンビアではここ数年の例をとっても、60〜70を推移しています。これは極めて高い数字で、ラテンアメリカの中では突出して高いわけです。

 しかも問題は、左翼ゲリラと政府軍との戦闘の結果命を落とすといった、明らかに政治暴力によるものと断定される件数は、増えてはいるのですが、全体のパーセンテージからすると4分の1にも満たない。むしろ政治暴力であるかどうか判断できないと報告されているケースで、リンチや拉致といった人権蹂躙の行為があった結果、命を落とす状況が非常に多いのです。

 それからもう一つ国内避難民の問題についても指摘したいのですが、特に1990年代後半以降急激に増えています。現在、公的に登録された数だけで言っても、過去3年でおよそ96万人の国内避難民が出ています。さらにこれが国境を越えて、国際避難民化しつつあります。過去10年の累積で200万人くらいが避難民化しているのではないかと言われています。

 これがだいたいのあらましですが、もっとも紛争の著しい地域の例と、その中で住民の自主性に着目して活動しているNGOのコンソーシアムの活動に触れたいと思います。これがマグダレーナ・メディオ(地域)の例です。ここは貧困問題をかかえる地域ですが、同時にコカの栽培地域と、FARCとELNという二大左翼ゲリラ、そしてパラミリターレスが共存するために非常に紛争の激しい地域でもあります。実はマグダレーナ・メディオ一帯は四つの県にまたがる非常に貧しい地域ではありますが、その中心都市に国内で最初の石油精製拠点があったという意味で、飛び地的な経済発展をしていたところでもあります。ただ石油から派生する経済の富のほとんどは、この地域に落とされないわけです。結果、七十数万人いる人口の大半が貧困以下の生活を強いられているという状態にあります。

 かたや、この地域には、1万5000ヘクタール相当のコカの栽培地もかかえており、異なる武装集団の間で紛争が絶えない地域といわれていますが、実際に訪れてみると、のどかな漁村、農村が連なる地域です。

 この地域はすでに述べたように二大左翼勢力のほか、「パラミリターレス」が制圧している地帯を抱えています。しかし、そんな中で現地の小さなコミュニティのイニシアチブを非常に大切にした、経済自立化プロジェクトが数多く生まれています。NGOのコンソーシアムが住民の主体性を第一に考え、紛争やコカの問題を抱えながらも、代替作物やノンフォーマル教育といったところに、生存政略として新しい発展の方向があるのではないかと8年前から努力している成果なのです。

 最後に私がフィールドとしているボゴタについて触れたいと思います。冒頭で述べたように私はボゴタを暴力の現場として見聞しているわけではありません。いま紹介したマグダレーナ・メディオという地域も、私は数回訪れているに過ぎません。その中で活動しているコミュニティの人たちやNGOの方々との交流と見聞に基づく紹介に過ぎませんが、実際に私が調査しているボゴタと、マグダレーナ・メディオのような紛争を抱えた地域とは今深刻な関係にあるのです。近年のボゴタは首都であるだけではなく、政治暴力を抱えた地域からの大量の避難民の流入先になっています。ですから先ほど見た地域とボゴタとではまったく違う二つの社会であるにもかかわらず、避難民の排出と受入先という密接な関係にあります。

 それからもう一つ、ボゴタという大都市には、あまり目には触れないのですが、暴力組織の都市部におけるシンパの形成地、またゲリラ兵のオルグの拠点として機能する部分があります。また武器の流通拠点としての大都市という機能もあります。どこの大都市もそうですが、ボゴタには二つの顔があります。近代的な建造物が林立する中心部がある一方、ほとんど観光には知られていないもう一つのボゴタがあります。南部の貧困地区はおおむね行政の管轄外に形成されたスクォッター・セトゥルメントであり、人々が自助、それから相互の助け合いで生活改善をしていくという状況にあるわけです。

 近年、新たな種類の避難民がこのような南部貧困地区に入ってくるという状況があります。この人たちは明らかにコロンビアの大西洋岸地域から来たアフロ・アメリカン系の人たちです。私の調査地の中でも、特に条件の悪いところにこういう人たちが入ってきます。問題は何かというと、もともと自助や互助という連帯の精神で生活改善をしてきた人たちが、こういう避難民を排除する。貧者が貧者を排斥するという、新しい差別の構造が都市で生まれるようになりました。

 非常に駆け足で申し訳なかったのですが、最後にまとめをします。私が常々ボゴタを拠点に見ている「人間の安全保障」ということですが、これは日常的な問題となりつつあるということです。これはもちろんコロンビアの文脈においてということです。ここで強調したいのは、社会格差が非常に著しい、あるいは構造的な貧困がある社会においては、暴力の問題は恒常化しやすいという点です。したがって地域社会における人々が生活や生存、経済自立化のために日々努力しているところに研究者が外部者として接近すると、必然的に「人間の安全保障」の問題に行き着くのです。

 ですから今回こういった課題をいただいて、「人間の安全保障」という問題について私なりの説明をしてみようと苦労したのですが、改めて「人間の安全保障」問題を考察しようというふうに入らなくても、それだけこれは日常性の強い問題だということを申し上げたいと思います。

 ただこれは同時に地域社会に立脚した問題でもあります。また一国単位で見た場合、地域限定的な暴力の表現もあるわけで、紛争の度合いの非常に高い地域とそうではない地域によって、暴力の渦中にいる人々と、見えにくい暴力の行為者あるいはその潜在力をもつ人々の中にいる人々との間で認識に違いがあるのではないか。そういったところに目配りをするのが、フィールドワーカーの仕事ではないかと考えています。

 それから二点目は、先ほど速水先生の報告の最後で触れられた点で、−私は非常に関心を持ったのですがーコンセンサスという概念に対していろいろなジレンマをお感じになったというご指摘についてです。私も同じような考えを持っています。それは現地の人たちの認識と、それから放っておいてもメインストリーム概念化してしまう言説との乖離ということです。先ほどマグダレーナ・メディオという地域でNGOの人たちとの交流を持ったと申し上げましたが、そこの人たちは日々、死活問題としてのコミュニティ開発の問題や、小規模経済開発プロジェクトの問題と格闘しているわけです。そういった人たちの中では、「人間の安全保障」という概念はまだ頭に入ってこない状況にあります。

 ただ実際、放っておいても、メインストリームという流れで議論が続くわけです。私たちの仕事は、彼らがそういう認識を持たないという是非を問うわけではなく、むしろメインストリーム化していく言説が、ローカルコンテクストにおいて不適切なかたちで解釈されないように努力することではないか、と考えます。

 最後に、これは黒木先生がおっしゃったところともかかわりますが、「人間の安全保障」という問題は、国際関係における利害関係から発生します。国家安全保障の問題とも近いのですが、つまりコロンビアで見た「人間の安全保障」の問題は、必然的にアメリカの軍事介入という問題とリンクしているわけで、不可避的にそういった国家安全保障の問題もかかわってくるわけです。まさにオルタナティブとしての地域研究からの「人間の安全保障学」を構築することを目指すものであれば、そういった複雑性を持つ部分を私たちはどういうふうにとらえればいいのか。これは一つの課題ではないかということを問題提言としたいと思います。

 以上です。ありがとうございました。

 

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