日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト研究事業
領域II - (1) 平和構築に向けた知の展開

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古矢旬(ふるや・じゅん)
1947年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科中退。
現在、北海道大学大学院法学研究科教授。
主要業績:
『アメリカニズム 「普遍国家」のナショナリズム』(東京大学出版会、2002年)
『アメリカの社会と政治』(共編著、有斐閣、1995年)
ジョン・ハイアム『自由の女神のもとへ』(共訳、平凡社、1994年)


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 今朝、日本が初めて国際的舞台に自衛隊を送って、軍事介入を開始するという歴史的な第一歩が踏み出されました。そこで思うのは、そういう事態に対してアメリカ研究がきちっと対応しているのだろうかということです。別に実務家に具体的提言を行ったり、政策を策定したりということではなく、いま日本がアメリカに追随して対外介入していくような状態を、われわれ研究者は学問的あるいは歴史的にどういうふうに説明できるのか、という問題意識がどうも稀薄なような気がします。言い方を換えれば、これまでのアメリカ研究は、地域研究をやっていると言いながら、実はその視野が現実の日米関係の中に閉じ込められてきたのではないかという感じがしています。

 今日これまでお話をうかがっていても、ほとんど全部のお話で、背後にアメリカという巨大な影が存在していて、それがグローバル化の推進力を供給していると言っていいだろうと思います。その巨大で圧倒的なアメリカの力の背後に一体何があるのか、ブッシュの顔の背後に何があるのかという関心を起点として、もう少しインターナショナルな視点を入れながら、アメリカ研究を考えなおさなければいけないのではないかと思います。このプロジェクトに入れていただいたことをいい機会として、多面的な視野に立ついろいろな研究から教わりながら「アメリカ研究」の再編を進めていきたいと思っております。

 黒木さんの「介入」について考えろというご示唆に従い、私は結構真面目に、といってもお正月にお屠蘇を飲みながらではありますが、このところ一生懸命考えていました。いままでのお話は介入される側の話が多かったと思いますが、アメリカを論じるからには、介入する側のことを考えなければいけないと思います。

 アメリカの歴史をもう一度、介入という視点から読み直してみるとどういうことが見えるかということを考え直したにすぎませんから、新しいリサーチも何もありません。ですから歴史的なアメリカの介入の論理の変化のあとをざっと提示して、アメリカの介入の意味を多角的に検討、批判する際のご参考になればと考えています。

 お手元にレジュメが渡っていると思いますが、この全部を克明に話すと2時間くらいかかってしまうと思いますので、前半についてはごく簡単にお話ししたいと思います。レジュメの1は「米国対外軍事介入論の史的展開」、2は「20世紀アメリカの対外介入−−基本的類型−−」となっておりますが、これらを論じることで明らかにしたかったことは、レジュメの最後に挙げておきました、アメリカの対外介入の基本的性格であります。

それは、ようするに現在アメリカが国外に介入する場合、1)目標が非常にイデオロギー的に、かつ全面的に設定されがちであること。それから 2)ほかの民族国家、あるいはネーションステートに対するアメリカの道義的な優位性が自明の前提とされる傾向が強いこと。そしてさらに 3)介入は合衆国の圧倒的な軍事的優越を背景としてなされるということ、つまり世界のほかの国々すべての軍事費を集めたくらいの軍事費をアメリカは消費していること。こういう3つの背景があって、いまアメリカは世界を「帝国」として支配していると見えるわけです。

 そこで、一体どうしてこういう性格が、一国の歴史の展開の中で生まれてきたのか、ここからはアメリカの地域研究の話になるのですが、通常の地域研究の個別的対象としての一地域をはるかに越えるような人類史、文明史的な重大性を帯びた国家として、いまアメリカは立ち現れてきていることが問題となります。

 はじめにアメリカの介入を考える際に一つ注意しておかなければいけないのは、アメリカは決して建国当初から、いまのようないわば「介入国家」であったわけではないということです。たしかに、たとえばアメリカ合衆国は、ヨーロッパのアメリカ大陸侵略の先兵とみなされがちです。実際、アメリカに移住したヨーロッパ人とその子孫は、先住民を大量に殺戮しています。このへんの問題は、石田さんのジェノサイドのプロジェクトとどこかでつながってくると思いますが、その意味でアメリカはジェノサイドの歴史の上につくられた国家であるといえます。あるいはアメリカは、奴隷制という他民族支配のシステムの上につくられた国家である、ということも当然、念頭におかなければならないと思います。

 しかし、初期アメリカ国家のこうした特色を、そのまま延長して、アメリカの現在の介入があるとは私は考えていません。そのことを明らかにするためには、まずアメリカ合衆国ができたころの国際システムが帯びていた二重性について考えなければなりません。
  一つには、当時すでに国民国家の体をなしていた独立国家間の平等性という問題があります。それらの国家は(ヨーロッパに集中して現れましたが)、イデオロギー的基盤も、王朝の由来も、政体も違いますが、そうした国内的事情を抜きにして、各国民国家は相互に平等であるというシステムが、ウエストファリア体制以後形成されています。

 しかし、この平等主義的な国際システムには隠されたもう一つの側面があって、そのシステムの外側にヨーロッパによって支配され差別されて当然とみなされ、実際に支配、差別されている国や地域も存在している。そして、そこにはそれらの国や地域に対しては、文明史的な優越意識をもって侵略していくことが許されるという価値観がつきまとっている。この二つの側面−−内側における国家間平等と外部世界に対する支配−−を、ヨーロッパを中心としてできあがった国民国家システムは含んでいたということです。

 アメリカ合衆国はまさにヨーロッパの他地域侵略の先兵、あるいは植民者として成立したという側面がありながら、同時に国家が成立したあとの国民国家としては弱小な途上国として出発するわけです。この事実からくる国家的意識がアメリカの介入論の原型を作ったと私は考えます。つまりアメリカは自らが介入したり、侵略したりという意識をほとんど持たずに先住民を殺戮したけれども、その反面自らがヨーロッパの列強から介入され侵略されることを非常に恐れた国でもあったのです。ヨーロッパに対しては、弱小性、後発性を自覚するからこそ、彼らの政治経済的な対外活動の基本的性格は、非常に防衛的で、介入される恐れが前面に出ていたといえます。つまりヨーロッパ的な権力政治的国際関係の見方を受け入れながら、その中で自分たちは弱小な途上国であるという意識を非常に強く持っています。

 したがってレジュメの2番目のところにある有名なモンロー・ドクトリン(1823年)は、なによりもまずヨーロッパ列強によるアメリカ介入の不当性をうたわなければならなかったのです。それをうたう際にモンロー大統領が支えとしたのは、いわば体制異質論です。つまりアメリカという国は、ヨーロッパのような腐敗した王朝システム、カトリシズムに蝕まれた国家ではなく、まったく新しい体制、共和制の国家であり、人類の未来を担う希望の国家であるという論理を立てるわけです。言い方を換えれば、このように異質な体制に立脚するわれわれアメリカは例外的国家である、ヨーロッパ史の中の例外であるという言い方をすることで、ヨーロッパからの介入を回避しようとしたわけです。

 これによってアメリカは、北米大陸、さらには広く西半球にあって自らの勢力範囲内では、ヨーロッパ型の領土拡張、侵略支配、帝国主義的な他民族支配を続けながら、同時にヨーロッパの他列強からの侵略の危機に際しては、自分たちはヨーロッパの国家システムとは違う原理を持った国々であり、中南米まで含めて共和主義の領域であるという体制異質論をもって、ヨーロッパからの介入を牽制していたわけです。これが19世紀のアメリカの発展の過程で出てきた介入論の二面性です。

 ところが20世紀に入るころから、アメリカは産業国家として非常に巨大となった結果、自らが介入されるという長年の恐れからは解放されます。逆に今度はもっぱら外部世界に介入できる立場に立つことになります。そして経済的に見れば資本主義発展を遂げて、国外市場を獲得するために介入をしなければならない国になります。つまり介入できる、そして同時にしなければならないという状況の中から、新しい介入正当化論が生まれてきたと見ることができます。

 そうした介入正当化論は、レジュメの「20世紀アメリカの対外介入」の1のところで述べているように、ヨーロッパの世界観を享受しつつ、それに修正をくわえていきます。新しい介入論は、かつてはヨーロッパのパワーポリティカルな世界の中で被害者であったアメリカが、今度は介入の主体となる可能性を前提として、アメリカなりにヨーロッパ的な立場を選び直し、世界をもう1回見直す必要から、そのための多面的な理論的模索の中から生まれてきたわけです。

 一つはヨーロッパ流の権力政治の観点を、アメリカも取り入れて、対外介入を正当化する。つまり世界との関係では、アメリカはヨーロッパと同様の帝国主義国家に変身することになります。もう一つには、経済発展の結果、アメリカも自らの経済的な利益に従って海外の利権を求めて対外介入するのは当然であるという論理を立てていきます。たとえば、東アジアまで延びてくる鉄道利権や資源開発にまつわる利権やそのほか様々な国際的利権や投資機会を目的として、介入論の刷新を図っていきます。

 しかしこの二つだけだとアメリカはモンロー・ドクトリン以来の、体制異質論を全部捨てなければなりません。アメリカもいわば「普通の帝国主義国家」となり、そうなるとヨーロッパとアメリカの侵略や介入の質的違いを言い立てることはできなくなります。つまりこれまで、アメリカはヨーロッパ型の侵略はしないということを世界に向かって言い続けてきたのに、それがもう言えなくなってしまう。アメリカの介入に際して、ウィルソン大統領のような指導者が、民主主義や自由を強調したり、あるいは、セオドア・ローズヴェルトがやったように、モンロー・ドクトリンの体制異質論を、単に防衛の論理としてだけではなく、介入や侵略の正当化論理へと拡張したり、組み替えたりしなければならなくなるわけです。こうしたヨーロッパ型とアメリカ型とを組み合わせた三つの介入正当化論を、アメリカは独自に20世紀の介入論として打ち出していきます。

 そこで、これらの介入正当化論理にしたがって、20世紀のアメリカが現実に行ってきた対外的武力介入の実例をみてゆくならば、連邦憲法に明示された議会による宣戦権を通して公式の戦争を行ったり、あるいは行政府の長である大統領が軍事行動の目的を議会に諮ってその承認をえた上で武力行使するというケース、つまりOvertな軍事行動は、実はそれほど多くないのです。実際には、特に冷戦期がそうでしたが、あとに書いた2、3のCovertとClandestineという二つの介入の仕方が多くなります。 CIAのような情報機関によるCovertなあるいはClandestineな軍事行動や軍事的介入は、要するに国の内外に向かって公にできないような目的で対外介入を行うケースは、20世紀アメリカの対外行動の顕著な一側面であったと言っていいと思います。

 ただし、戦間期まで、つまり第一次世界大戦と第二次世界大戦の間は、アメリカは基本的には介入に対して非常に、慎重で懐疑的であったといえます。ヨーロッパのような明示的な植民地、フォーマルな植民地を各地につくるということは、フィリピンやカリブ・中米の若干の例を除けば、していません。冷戦期のアメリカになって初めて大々的な対外介入が開始されたといってよいと思います。NEXT >>

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