文字を書くということ

中国簡牘学のアプローチ

古代中国の人々は何に文字を書いていたのだろうか。紙より早く木や竹の札(=「簡牘」)などが使われ、「簡牘から紙へと」と書写材料が移行したとされるが、単なる「書写材料」として片づけられない所に、実は中国簡牘学の面白さがある。

残す文字と残る文字

日頃私たちは色々と文字を書く。手帳にメモを書き込んだり、携帯メールでメッセージを打ったり、あるいは現在筆者のように、キーボードをたたいて電子媒体に文章を記憶させて印刷業者に印字させたりもする。このような場合には、「書く」ことを強く意識して文字を綴っている。『新明解国語辞典』の言い方を借りれば、私たちは「(あとに残すために)表そうとする何にかを目に見える形で示す」ことになる。

一方、書くことさえ意識せずに文字を書く行為も、日常生活をみなぎっているにあふれている。自動改札機に磁気ICカードを当てたり、電子マネーで買い物をした際は、私たちの様々な個人情報が多くの記憶装置に書き込まれる。そこに書かれる「文字」は、通常目にできないが、商業目的などに確実に利用されている。

目にできる文字でも、「書く」ことや書かれた内容があまり意識されないことは珍しくない。スーパーのレシート・鉄道会社の乗車券・出入国に使うパスポートなどには、私たちが通常注意してみる代金・乗車区間・氏名・生年月日などのほかに、様々な文字が印字されている。例えば、パスポートには、発行国によっては、相手国に所持者の通行許可と保護を依頼する文言やパスポートが発行国の所有に属する文言が入ったりする。パスポートの所持者も、入国審査官もこれらの文字を滅多に読まないし、ある発行国が通行許可依頼をパスポートに印字しないからといって、その所持者が通行を拒否されるわけでもない。しかし、それでも、そうした滅多に読まれない文字に一定の意味が込められており、それらを集めてみれば、私たちの社会生活に関する様々な情報が得られる。しかも、こうした意識されない文字の存在は、何も磁気ICカードが横行する現代社会に限ったことではない。古代社会においても、残すために書かれた文字のほか、「書く」ことをあまり意識せず、いわば様々な社会行為に附随して記される文字が数多く存在する。それらを通じて、古代の社会生活を知ることができる。残す意図なく残ってしまった文字は、古代社会の誠実な証人と言えよう。

残す簡牘と残る簡牘

ところが、残すために書かれた文字が代々受け継がれて、いわゆる「(伝世)文献」として残りやすいのに対して、社会行為に附随して記される文字は、社会行為とともに立ち消えていく運命にあり、通常は後世に残りにくい。そのため、伝統的な歴史学では、これらの文字が証人台に立つ余地はあまり大きくなかった。むしろ、考古学が発掘してくれた古代社会の遺物に、残そうとして書かれていない文字が多く残っており、歴史学に新しい可能性を切り開いてくれる。

「簡牘(かんとく)」も考古学がもたらした遺物の一種である。日本では、木製のものが使用されていたため、「木簡(もっかん)」(木の簡(ふだ))としてよく知られているが、中国の場合、竹と木とが併用されており、材質に対して中立的な「簡牘」という概念が多く使われている。木簡の「簡」と同様に、「牘(とく)」も、原義としては「ふだ」、つまり文字などを書きつけるための木もしくは竹の切れ端を意味し、「簡牘」とは、いわば「札(ふだ)」の漢語的表現と考えて大差なかろう。

では、簡牘には、どういう文字が残されているかというと、それは、時代と地域によって実はまちまちであるが、大雑把にいえば、これも、「残そう」という意思の有無によって大きく二種類に分けられる。一つには、古代のお墓から出土した簡牘がある。これらは、墓主とともに埋葬された「副葬品(ふくそうひん)」であり、私たち発見者のためではないにせよ、明らかに残そうとして残った遺物である。書かれた文字も、大半は、著作などの図書資料で占められており、「伝世文献」に対して、通常「出土文献」と呼ばれる。執筆という行為に、最初から「書く」もしくは「残す」意識が託されている。

もう一つには、「遺構」に偶然に残った簡牘がある。「遺構」とは、残存する古い廃れた建築物等、過去の人間活動の痕跡で、固定していて動かすことのできないものをいうが、例えば、中国西北辺境地帯の望楼・城砦や関所・駅亭からは、施設が廃止された時に、搬出も破壊もされずに残った簡牘が数多く発見されている。いわゆる「居延(きょえん)漢簡(かんかん)」や「敦煌(とんこう)漢簡(かんかん)」がその典型例である。或は古井戸に廃棄されて自然条件によって偶然にも今日まで残った簡牘がある。「里耶(りや)秦簡(しんかん)」といわれる38000点余りからなる資料群がその一例である。遺構から出土した簡牘には、「文献」の断片が含まれることもままあるが、大半はむしろ遺構の元来の機能と関連して作られた文書や帳簿・記録の類である。これらは、その機能を果たした暁には、立ち消えになるはずだったが、何かの拍子でその一部は今日にまで残った。

残った簡牘をよむ

この遺構簡牘に書かれた文字は、文書の定型句のように、当時の人々にもあまり意識されずに書かれたものや、帳簿の諸種の管理記号・記録のように、単独では解読すら困難なほど、帳簿の機能と密着しているものが多い。つまり、それは、私たちが日ごろ「文字を書く」時に考える文字とはやや異質である。そのため、読む人にも少し違う心構えが求められる。出土地・出土状況・簡牘の形態や同時に出土した他の簡牘などをいろいろと比較して始めて解読可能になることが珍しくない。逆に、単なる書写材料ではなく、文字が書かれた遺物として解読を進めていけば、古代人の社会生活が見えてくる。例えば、関所の遺構には、人や物の通関にかかわる「伝(でん)」や「致(ち)」と呼ばれる通関書類が残っており、当時人や物がどのように移動したかを語ってくれる。また、県役場や駅舎などの文書や帳簿には、「券(けん)」などの証明書類が数多く含まれ、役人・兵士あるいは旅行者にどのように給料や食糧が支給され、それに基づいてどういう消費がなされたかが分かる。あるいは生産道具の貸し出・労働力の徴発・物の売買・遺産の分割など、古代における社会生活の隅々まで照らし出す実態を伝える様々な文字情報が得られる。その一部は、「刻歯(こくし)」といわれる刻み込みによって暗号化され、まさに我々が日々使う磁気ICカードを彷彿させるものがある。そうした社会生活の実態について、「文献」はあまり語らないので、遺構出土の簡牘は、歴史学にとっては極めて重要な史料となっている。

性質が大きく異なる中国古代の簡牘を扱う学問領域は、言語学・哲学・歴史学などと多岐にわたる。それらは、とても一人でカバーできるものではない。多くの仲間で知恵を分かち合った方がより正確な読みが可能になるし、楽しさも増してくる。まだまだ道半ばではあるが、専門領域を超えて中国簡牘の共通の理解を目指して発足したのが、AA研の共同研究課題「中国古代簡牘の横断領域的研究」である。古代社会の読みを一層深めるために、今後も多くの分野から仲間を募って中国簡牘の証言に耳を傾けていきたい。

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(文責:陶安(すえやす)あんど)