日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト研究事業
領域II - (1) 平和構築に向けた知の展開

back to Homepage

Japanese / English      サイトマップ

 ホーム >> 研究会報告 >> 国際シンポジウム「人間の安全保障」Top >>松林公蔵報告
←戻る  インデックス  進む→
matsubayashi_photo

松林公蔵(まつばやし・こうぞう)

1950年生まれ。1977年京都大学医学部卒業。1987年京都大学医学博士号取得。
現在、京都大学東南アジア研究センター教授。
主要業績:
『インカの里びと』(高知新聞社、1995)
『長寿伝説の里』(高知新聞社、1992)
「その他の痴呆症疾患」(折茂肇編:『新老年学』東京大学出版会、1999)

2/2

   << 1ページ目に戻る

<<スライドを開く>>

  さて日本での高齢化はいま申し上げたような状態ですが、社会の高齢化はアジアにおいても進行しております。スライド20は、アジアの諸国の65歳以上の高齢者の割合の1950〜2050年の推移を示していますが、1950年ごろは、日本を含めたアジア全域で高齢者の割合は4〜5%でした。それが2050年にはすべてのアジアの国々で7%以上の高齢化社会(Aging Society)となります、一部の社会では14%をこえる高齢社会(Aged Society)となります。

 一方、スライド21は、それと表裏してある子供の割合ですが、1950年現在、アジア全域の国でほぼ40%が子供の占める割合でした。それが2050年にはアジア全域で20%に収斂します。したがって少子高齢化は先進国だけの問題ではありません。

 これらにどういう背景があるかというと、スライド22は世界190カ国の65歳以上の割合と1人あたりのGDPの値の相関をとってみたものですが、非常に高い相関率です。すなわち経済が高い国は高齢者が多い。これは当たり前かもしれませんが、これほど高い相関があるわけです。一方、平均寿命ですが、平均寿命は乳児死亡が非常に引っ張りますので、貧しい国は乳児死亡が高い。そこで、スライド23は、60歳から何年生きられるかという平均余命を見ていますが、やはり経済と平均余命は男も女も非常に高い相関を示します。したがって経済問題は高齢社会にとって、大変重要な問題であることがわかります。

 本邦と同様の高齢者の健康度、生活機能調査をインドネシアの西ジャワの高齢者400人、ベトナムの400人、京都の3000人で行い、その所見を比較検討してみました(スライド24)スライド25、26は西ジャワのシーンです。スライド27、28、29、30はベトナムです。スライド27は水牛と農夫、ベトナムの平均的な農村の風景かと思います。スライド28は診療風景です。ベトナムの75歳以上の高齢者はほとんどがベトナム戦争、フランス独立戦争の生き残りの勇士ですので、非常にいろいろな話が聞けます(スライド29)

 スライド30は様々な医学の指標を高齢者の経済ランク別に示したものです。たとえばヘモグロビンは貧血の指標ですが、インドネシアではこれと経済状況を、貧しい方、中くらい、お金持ちの3段階に分けています。血中アルブミンは栄養の指標です。それから日常生活の自立の度合い、高度な日常生活、それからいわゆるうつ病、ディプレッションの頻度、これらはすべて経済が高いほうがいいということがわかりました。当たり前のことなのかもしれませんが、スライド31は、ベトナム高齢者における医学指標と経済関係を示したものです。 ここで、Odds ratioと申しますのは、貧しい層の高齢者の日常生活が完全に自立している人の割合のを1とした場合、経済的に中等度の層、裕福な層ではどれくらいになるかといった表しかたをいいます。つまりベトナムでは、裕福層では日常生活が完全に自立している人は、貧しい層の3倍自立しています。一方、Depressionの頻度すなわち、うつ病の頻度は、貧しい層を1とすると、裕福層は0.2倍であるという見方が出ています。

 経済が高齢者の健康指標に影響するという事実は東南アジアだけかと申しますと、そうではありません。スライド32は、高度な日常生活機能の自立の度合いを経済層で分け、日本、インドネシア、ベトナムで比較したものです。このスライドからは二つのことが見てとれます。すなわち、ひとつは、明らかに高齢者の健康状態は経済状況に依存していること、これは途上国と先進国に共通した普遍的な現象のようです。しかしもう一つの点で、経済が健康に影響する度合いは多様性があるということが言えると思います。

 ではその貧しい高齢者たちにどう対応するかということが、もちろん「人間の安全保障」としては対策が要求されることですが、スライド33はミャンマーの仏教系老人ホームです。Aged poorと言って、70歳以上の身よりのない貧しい人たちが入所している老人ホームです。このミャンマーにおける仏教系老人ホームでも、同一の高齢者評価指標を用いて健診を行いました。日本でも貧しくて身よりのない方が入る老人ホームに、「養護老人ホーム」というものがあります。一方日本には、最近、数千万円払えば入居できるケア付きマンションがあります。スライド35は、ミャンマーの仏教系老人ホームに入居している貧しい高齢者、日本の養護老人ホームに入居している日本の貧しい高齢者、そして日本のケアー付きマンションに入居している裕福な高齢者の三者で、いきがい(QOL)を比較したものです。QOLの内容としては、自分がどれほど健康と思っているか。家族関係が満足しているか、友人関係が満足か、経済状態が満足か、幸福感はどうかといったことです。この三者を比較すると、日本の養護老人ホームに入っている方がいちばん低い。もちろん日本の高級ケア付きマンションの方は高いのですが、主観的な幸福度はミャンマーの仏教系老人ホームがいちばん高くなります。ミャンマーの仏教系老人ホームの方は瞑想することが最大の喜びであるといっておりました(スライド36)

 すなわち高齢者のQOLは、もちろん身体的問題、メンタルな問題、ソーシャルの問題、エコノミカルな問題がありますが、それに加えてスピリチュアルという問題があるようです(スライド37)。多くのアジア諸国では宗教がスピリチュアルな問題を支えていますが、アジアで得られた知見を日本に持ち帰って、日本の高齢者にとってスピリチュアルなものは何かということを、これから追求していきたいと考えています。

 スライド38に示しますように、フィールド医学、地域研究を通じて私が学んだことは、まず医学的な問題ですが、臓器に還元せず、個体全体としてとらえる視点を神経学で学びました。一方、老年医学からは、生物的な個体ではなくて、地域に生活する生活者としてとらえる視点、さらにフィールド医学というか地域研究からは、単なる生活者ではなく、その自然環境や文化背景も視野に入れるという生態学的視点、このように広がってきました。

 そういう意味でいままで臨床医学、ベッドサイド、病院医学が医学の中心でしたが、地域研究を通じて臨地医学、いわゆるフィールド・メディシンというものを重要な領域として確立すべきであろうと思います(スライド39)

 最後にマルチ・ディシプリナリーというテーマですが、インター・ディシプリナリーという語感は、ディシプリンとディシプリンの合間を埋めるといった、消極的な語感があります。一方、マルチ・ディシプリナリーという言葉は、先ほどの調査と同じように多くの人が集まってやるけれども、経済用語で言う合成の誤謬というか、バラバラにやっているということがぬぐい去れません。

 そういう意味ではディシプリンを統合していく、スーパーという言葉がいいかどうかはわかりませんが、ディシプリンを統合して設計していくという視点がこれから重要ではなかろうか(スライド40)と思います。ご清聴どうもありがとうございました。

2/2

←戻る  インデックス  進む→

▲ページトップに戻る ▲

 
研究会・ワークショップ・シンポジウムのお知らせ | 開催済み研究会等の報告
Home | about us | contact us | Link

サイトポリシーについて
copyright (c) 2004-2006 地域研究による 「人間の安全保障学」の構築プロジェクト All rights reserved.