日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト研究事業
領域II - (1) 平和構築に向けた知の展開

back to Homepage

Japanese / English      サイトマップ

 ホーム >> 研究会報告 >> 国際シンポジウム「人間の安全保障」Top >>総合討論1
←戻る  インデックス  


1 | 2 | 3

総合討論(1/3)

 司会【飯塚正人(東京外国語大学AA研) 第1部の報告者の方々に対するご質問もいただいています。まずガルトゥング先生にいくつか問題にお答えいただいて、それから池澤先生にも1点お答えをお願いしたいものがございます。そのあとさらに全体に対する質問、ご要望等も届いておりますので、午前中の部と合わせてお答えいただいていくというかたちで、まずは進めてさせていただきます。

 今日は「人間の安全保障」に関してたくさんの論点があり、そもそも「人間の安全保障」は否定的な面もあるけれども、そのまま簡単に受け入れていい枠組みなのか、という問題提起もいただいています。前のほうに本日の講演者の方々に並んでいただきましたが、時間がなくて、もっとこういう話をしたかったという方もいらっしゃると思いますので、適宜そうしたご意見もお話しいただくというかたちで進めさせていただきたいと思います。

 ガルトゥング先生に対しては、英文で直接書いていただいたものもあります。それはいまお渡ししていますが、これ以外のものも私からまず紹介させていただいたあと、ガルトゥング先生にお渡ししたいと思います。

 まずガルトゥング先生に日本語でいただいた、一つ目です。「ベーシック・ヒューマン・ニーズで四つのポイントの中の「アイデンティティ」という点で、「私は一体何なのか」という問いの答えを持っていることが、人間が存在する上で必要なものだと思います。これについてどう思われますか」。要するにベーシック・ヒューマン・ニーズの四つ目のポイント、「アイデンティティ」についてもう少しお話しいただければということです。

 それから二つ目です。「ガルトゥング先生には大変興味深いお話をありがとうございました。地域研究にとって深層文化が重要であるとのお話に共鳴いたします。これまで先生の国際政治学会でのご講演、『ガルトゥング平和学入門』等、勉強させていただいていますが、本日お話しいただいた深層文化を把握する方法について、もう少しお教えいただけますと幸いです」。深層文化について把握する方法をご提言いただければということです。

 それから三つ目は、「パレスチナ・イスラエル問題、クルド問題、イラク問題のいずれにおいても連邦制・連合体構想が具体化すると、民族が混住しているところで、新たな境目をつくる必要があると思いますが、その点に関して先生のご意見をうかがいたい」。

 これは順にそちらにお持ちして、お答えいただきたいと思いますが、その前にすでにそちらにお渡ししている英文の質問が2点ほどありますので、そちらから順次お答えいただければ幸いです。

 ガルトゥング とてもいいご質問をたくさんいただきまして、ありがとうございます。まず飯塚先生が読んでくださった第一の、ベーシック・ヒューマン・ニーズ(人間の基本的必要)からお答えしたいと思います。

 まず人間というものは、物理的な意味での体、心、それから精神です。日本語ではどれも「精神」になってしまうのですが、英語で言う場合のmindとspiritに分けて考えると、body、mind、spiritという要素から成ったものが人です。人間の存在は個としての人と、それから環境との狭間で生きていくものだと思います。

 一つの方法としては、人間の体のうち、オープンなところに目をつけてみたらどうかと思います。たとえば目や口は開いていますが(この目や口です)、目はものの印象を受けます。それに対して口は何かを言うわけですから、外に向かって表現するというとらえ方ができます。

 ここでニーズと関係してきますが、たとえば表現の必要、あるいは印象の必要、それと心の動き、mindとの関係がどうなっているかを見るわけです。また口は、ただ物を言うだけではなく、もっと大事なことは食物を食べるということです。同様に口は、喉を通して空気を吸うわけです。人間の肉体的にオープンな部分との関係でベーシック・ヒューマン・ニーズを考えるわけです。

 つまり、目で印象を受けるという自由が奪われる、あるいは口から食物を摂るという基本的な必要が阻止されるとしたら、もはや人間として存在しなくなってしまうということです。

 それからもう一つの方法は、客観的にそうとらえるだけではなく、いろいろな人と話し合って聞いてみることです。「これ以下では絶対に生きていくことができない、それは何ですか」と会話で聞いてみるわけです。ここでは生存あるいはウェルビーイング well beingを超えて、自由あるいはアイデンティティと関係してくるわけです。

 ですからお上が、これが基本的に必要だと決定するのではなく、生きている人が自分にとって基本的必要とは何かということを自分で表現する、それに耳を傾けるということです。それが二つ目の非常に大事な方法です。

 たしかにこういうことは宗教的に定義することもできれば、哲学的に定義することもできる。あるいは心理学的に定義することもできます。しかし宗教的、哲学的、あるいはアメリカ流の心理学を使って、人間の基本的必要は何かというものを決めるのではなく、人々に自分がどう思うかと聞くわけです。

 私がこういうことを言うと、先生方の中にはマスロー(アブラハム・マスロー、1908-70、アメリカの心理学者)流ではないかと考えておられる方もいらっしゃるでしょう。しかし私が言っているやり方と、マスロー先生のやり方とは根本的に違う点があります。

 マスロー先生と私の大きな違いは、彼の場合はベーシック・ニーズというものにヒエラルキーを付けて、何がより大事で、何が低いと決めたわけです。たとえば人間の肉体と関係するベーシック・ニーズは下の段階で、心あるいは精神と関係するものは高いレベルのベーシック・ニーズというふうにされました。つまりマスロー先生流に言えば、まず肉体的な満足を必要充足した上で、より高度な心や精神の必要も充足できるとなります。

 私はこれは根本的に正しくない、間違っていると思います。世界中の何百万、何千万の人たちが、自分の生命を犠牲にしてでも自分の言葉を話したい、自分の言語を守りたいと思います。それから自分の宗教のためには死んでもいいという考えを持つでしょうし、またある意味で自分自身の指導者、政治的指導者のためには、どんな犠牲を払ってもいいという発想をするわけです。ですから、ヒエラルキーをつけるのは正しくないと思います。そういう点でこれはアイデンティティを考えるための良い例です。たとえば言語、宗教、それから指導者とのアイデンティティです。

 これは世界的に共通する自然の法則でもあると思います。仮に非常に専制的なひどい指導者であったとしても、外国人に統治されるよりは、自分たちの仲間の誰かに統治されたほうがまだましだと、普通は考えられます。

 これは自然の法則だと言いましたが、イラクの場合ですと、シーア派の人、それからクルドの人たちもやはりそう思うでしょう。それからアフガニスタンのウズベク系の人々についても同じことが言えると思います。

 たとえばアフガニスタンで、いまパシュトゥーンのカルザイさんが統治していますが、ウズベク系の人たち、あるいはほかの民族の人たちにとっては、パシュトゥーンに支配されたくないということです。私が言うところのベーシック・ニーズは、どれも根本的に同等のベーシック・ニーズで、大事さは全部同じです。それなしでは人間として生きていけない。そういう点でのベーシック・ニーズです。

 それでは次のご質問の深層文化です。これは心理学がいうところの、個人の人間のいろいろなパーソナリティ、性格に相当するものを、集団の場合にあてはめたものといえると思います。たとえば日本人という集団のパーソナリティが深層文化であるといえます。

 たとえば私たちの性格を知る上で、私たちの深層文化に相当するものを知るために、フロイト流のやり方で夢を通して潜在意識を分析することができます。それではフロイトの夢に相当する、集団としての、たとえば日本の民族としての集団の夢はどうやって把握することができるのか、しかもそれをどうやって分析できるのかが問題です。

 これはどういうところに表れるかというと、民族が持っている神話が一つです。それからみんなが愛している歌の中にどういうものが表れているか。たとえば国の、日本で言えば文部省のようなところが決めるカリキュラムにも表れます。また公園などにある銅像にも表れます。それから道の名前の付け方にも、集団としての夢というか深層文化が表れています。

 たとえばフランスの、ラテンアメリカの、そして日本の道路の名前の付け方を分析することによって、その国の人たちがコンフリクトというものをどうとらえようとしているかが、よく把握できます。深層文化は別の表現を使えば、集団の潜在意識という言い方もできると思います。それが結局、たとえば道路の名前の付け方などに表れるわけです。

 こういう点で私は地域研究というアプローチに疑問があるというか、一言コメントしたいと思います。地域研究というのは多くの場合、地理的に地域を分ける。つまり世界をそういうふうに区分して、その地域間の関係、横の連携、つながりというものを見落としがちです。そこに問題があると思います。

 私がプリンストン大学の教授のときに、イラン学者の会議に呼ばれて、イランに行ったことがあります。そこで出てきたのはイラン地域専門家の先生方がおられましたが、2日間の会議の間中、USという言葉が一度として使われたことがなかったわけです。ですからこれはオーストリッチが頭を砂の中に隠しているようなもので、全体像がとらえられていない、いい証拠だと思います。

 三つ目の質問ですが、連邦制、フェデラリズムのアプローチです。これは今日はあまり深く申し上げられませんでしたし、これにも欠点があることは私も十分承知しています。ことに中東に関してです。しかし欠点はありますが、それはイラクのような非常に複雑で、しかも多民族的な地域に対して統一国家の形態を押しつける欠点に比べれば、はるかにましなのです。

 たとえば日本は典型的な単一民族国家、ユニタリー・ステートではありますが、日本の中にもいくつかの他民族はいるわけです。たとえばアイヌあるいは琉球の人たちにもっと自治権を与えたら、日本という国のありさまはもっと良いものになるだろうと思います。

 そういう点ではソ連は文化的な自治権を与えましたが、政治的・経済的独自性を許しませんでした。

 連邦制として成功している例はエチオピアです。エチオピアはハイレ・セラシェの当時は単一国家的な形態で、独裁的な厳しい国でした。これはハイレ・セラシェの下では、ダーグという言葉があるそうですが、コミュニストという意味でのコミッティの独裁政権でした。

 1994年にエチオピアは連邦制をとるようになりました。これは12の部分から成る連邦です。彼らには60くらいの言語がありますが、その60の言語を絞って12くらいにして、その12の部分からなる連邦制をとったわけです。

 1994年以来、ハイレ・セラシェの統治下、あるいは共産政権の統治下で行われたような、暴力的な闘争は一度も起こっていません。もちろん暴力状況がまったくない、闘争が何もないと言っているわけではありません。しかし60が12に絞られて、ほかの認められていない部族間の戦いはありましたが、その暴力状況は前に比べれば非常に減りました。

 先ほどから何回も申しましたように、どうやってこういう結論に達するか。それは人々に、何を求めているのか、何がゴールなのかを聞いてみるわけです。彼らの答えは、自分たちの同族に支配されたい、たとえば同じ言語を話す人たちに統治されたいという答えが出てきます。

 たとえばエチオピアの北西部、アスマラあたりに行って、その人たちに聞いてみる。彼らから見たら、アディスアベバは外国的な発想で異質だという意識が非常に強いわけです。たとえば琉球に行かれて、琉球の人たちに何を求めているかを聞いてみます。彼らは1879年に日本に征服された以前のことを考えていると思います。

 次に英語のご質問ですが、「アメリカのイラクにおける神がかった目標は一体どうしますか」というものです。これはもちろん非正当な目標です。ブッシュの目標は中東におけるイスラエルの安全を保障することです。これはたしかに正当な目標ですが、だからといってイラク人3万人の犠牲の下にそれを達成するのは、非正当な目標です。この短い期間に3万人のイラク人が殺されたことになっていますが、一人ひとりの死者の背後には、それを悲しむ10人の遺族がいます。つまり30万人がアメリカを憎んでいます。そういう憎しみは必ず返ってくるということです。

 これには打開策があるのかないのかというと、あります。打開策は和解です。そのちょうどいい例がドイツです。ドイツはかつて占領した18カ国、それから虐殺しようとした二つの民族、ですからある意味では20の交渉相手に対して和解を成功させています。それがいい手本になります。日本はまだそれができていません。

 「安全保障」自体は何ら間違っていません。非常に大事なことです。これを目標にするのはいいけれども、そのやり方が問題です。そこで、第二次世界大戦後、西ヨーロッパがヨーロッパでやったことが、中東の平和のいいお手本になると思います。

 パレスチナ人を死に追いつめたり、あるいはパレスチナを占領したりすることによって、安全保障は絶対に獲得できません。それはより多くの死、より多くの戦争を生むばかりです。ブッシュの提案されたロードマップは、たしかに道はありますが、この道は平和につながる道ではなく、結局ぐるぐる回りである。そのぐるぐる回りをやっている最中に、結局、自分で自分のしっぽを噛むようなことになるわけです。

 もう一つ質問がありますが、これは大変良いご質問です。特にブッシュとの関係で、日本やわが国ノルウェーをより独立国家にするにはどうしたらいいかということです。日本政府もノルウェー政府もできることは限られていて、大したことはできません。やはり彼らはアメリカを恐れているので、可能性はあまりありません。

 おそらく先生方は皆ご存じだと思いますが、一度アメリカの子分になったら、そこで反抗をした場合には、ひどい目に遭います。歴史はこのことをはっきり証明しています。たとえばサダム・フセインはアメリカの本当に良い仲間であったわけです。それからポル・ポトもソマリアのアイディードもそうだった。ひとたび反抗すると、どんな目に遭うか。これはよく証明されています。

 ですから日本政府もノルウェー政府も大したことはできない。これははっきりわかっています。しかし日本の市民そしてノルウェーの市民の側はできることが多くあるはずです。たとえばコカ・コーラを飲まなくてはいけないという決まりはないわけで、この素晴らしい日本のサントリー天然水を飲んだら良いのです。たとえばマクドナルドのハンバーガーを食べなければいけないとか、スターバックスのコーヒーを飲まなくてはいけないという法律もないわけです。

 皆さんがもしコカ・コーラの中毒だったら、コカ・コーラをやめて、いまは22カ国でメッカ・コーラが出ているそうですが、まがい物ですけれども、そちらに切り替えることもできます。ディーラーにこっちへ切り替えてくださいと申し入れて、そこから出た収益の一部は、たとえばパレスチナに寄付する。でももし皆さんがアメリカの帝国主義を支持したいのなら、どうぞ引き続いてコカ・コーラをお飲みいただきたいと思います。

 皆さんに選択の余地があるなら、たとえばボーイング製の飛行機に乗らない。それを使っている航空会社はボイコットするということです。なぜかというとボーイング社は世界最大の「死」製造工場です。これはアウシュビッツの比ではありません。もちろんそのうちの一つの飛行機B29が日本で何をやったかは、皆さんご存じだと思います。これがボーイングです。ある国(米国)の大使館がこの近くにありますが、スミソニアン航空宇宙博物館でエノラゲイの展示をやるというのは、ダハウやアウシュビッツでガスチェンバーの展示をやるような無神経さです。

 それからもし皆さんが外国旅行される場合には、ドルはいま毎日少しずつ値打ちが下がっているので、その点でも持っていかないほうがいいと思います。ドルを外貨として使わないで、たとえばユーロ建てを使うとか、円を使うという、ボイコットの仕方もあると思います。

 もう一つ言えるのは、アメリカの戦費をいちばん多く負担しているというか、無意識のうちにやっているのですが、肩入れしているのはある意味では日本や中国の無名、無数の普通の市民です。なぜかというと日本政府あるいは中国政府は、アメリカの莫大な国債や公債を買い込んでしまっているからです。

 ですからこれに対する答えは、政府を頼りにしないで、市民の側がアメリカ製品のボイコットをする。ことにアメリカの帝国主義的な分野での製品のボイコットです。それと同時にアメリカ文化と協力していく、あるいはアメリカ市民と手を結んでいくということです。それと絶対に忘れてはいけないのは、ガンジーの非常に大きなポイントでもありますが、アメリカ市民との対話です。それをベースにして、こういう行動をとるということです。

 つまりここで何度も申し上げたいのは、反米、反アメリカの運動を言っているわけではなく、反アメリカ帝国主義というか、アメリカ政府の政策に反対する行動を言っているわけです。ですから私たちがアメリカの市民と協力して、アメリカ市民がアメリカの帝国主義的な行動から解放されるような手伝いを共に協力してやるということです。

 これは政府としては非常に難しいことです。歴史上、ひとたびアメリカの子分になっていたのに反旗を翻したらどんな目に遭うかは、皆さんよくご存じだと思います。ですから日本の場合は日本政府を頼りにすることはできない。できることは限られてしまっています。ひとたび反旗を翻すと、シラクにしてもシュレーダーにしても、まるで悪魔視されてしまう。ですから小泉さんもひとたびアメリカに反旗を翻したら、彼も悪魔にされてしまうわけです。政府があまりできないから、市民の側がやらなくてはいけない。

 これは何も私一人が言っているわけではなく、たとえばマイクロソフトの代わりにリナックスを使うと、世界中のいろいろな人が言っています。実はアメリカ政府当局がいちばん恐れているのは、世界の市民が手を組んで行動をとることであって、テロリストではないのです。つまり非常に暴力的なテロリストに対してはより大きい暴力で対抗できるわけですから、むしろ歓迎している側面があります。しかし市民側の非暴力的な行動を彼らはいちばん恐れています。

 これはある意味では市場の力、マーケットの力を私たちの手に取り戻すことです。それで自分たちでこれは欲しくない、これはボイコットすると、市場の力を逆手にとっているわけです。ですからアメリカは巨人ではあるけれども、脆弱性を持った巨人であるということです。

 司会 よろしいでしょうか。ガルトゥング先生、どうもありがとうございました。実はガルトゥング先生は今回のシンポジウムのために、当初は今日1日の日帰りということでオーストラリアからおいでになって、終わったらすぐにオーストラリアにお帰りになるので成田へ直行というご予定でした。それを何とか今晩一泊していただけるようなかたちになりました。今朝オーストラリアからお着きになって、明日にはお帰りになるという、本当にこのシンポジウムのためだけにお越しいただいていますので、こういうふうに会場からご質問をたくさんいただきまして、主催者としても大変よかったと思っています。

 NEXT>>

1 | 2 | 3

 

←戻る  インデックス  

▲ページトップに戻る ▲

 
研究会・ワークショップ・シンポジウムのお知らせ | 開催済み研究会等の報告
Home | about us | contact us | Link

サイトポリシーについて
copyright (c) 2004-2006 地域研究による 「人間の安全保障学」の構築プロジェクト All rights reserved.