中越国境地帯の変貌


(1)資料作成の目的

 私は1996年以降,科研の代表者あるいは研究分担者となることによって,ベトナムと中国の国境地帯を継続的に調査する機会に恵まれました。1985年12月から1987年3月まで,ハノイに留学していた時,両国関係は冷え切った状態にありました。市内に中国人の姿はなく,中国大使館は固く門を閉ざしたままでした。大学にランソン行きを申請しましたが,「国防省の許可が下りない」という理由で実現しませんでした。それが帰国を前にした1987年3月に許可が下りました。ベトナムの公安当局が私に花を持たせてくれたとは思えませんが,日帰りでランソンに行くことが認められました。初めて目にするランソンの街には中越戦争時の破壊の跡が生々しく残っていました。その時,ランソン省の役人が「中国は軍事侵略ではなく経済侵略に移った」と語っていたのが忘れられません。私には国境地帯の住民間の交易が再開され,それに対してベトナムの政権は黙認していることがわかりました。
 あれから22年が過ぎました。両国は1991年に関係を正常化し,ハノイの街には中国人観光客の姿が目立つようになりました。ランソンも見事に復興し,戦争の痕跡を探しだすことは困難です。国境ゲートも開き,簡単に往来ができるようになりました。このコーナーでは1996年以降の中越国境地帯の大きな変貌の様子を記録しています。なお,写真のデジタル化にあたっては,アジア・アフリカ言語文化研究所附属情報資源利用研究センター(IRC)の支援を得ています。

(2)資料編

エリア   内容 国境ゲート
(ベトナム―中国) 
 地点
 A1  ハノイ=南寧回廊幹線部  Huu Nghi -友誼関  ランソン Tan Thanh―浦寨 憑祥 南寧 
 Dong Dang-憑祥
 A2  ハノイ=南寧回廊周辺部  Ta Lung-水口  カオバン
 Tra Linh-龍邦
 Soc Giang-平孟
 B1  ハノイ=昆明回廊幹線部  Lao Cai-河口  ラオカイ周辺 開遠 蒙自 箇旧 昆明
 B2  ハノイ=昆明回廊周辺部(東)  Thanh Thuy-天保 ハザン ドンヴァン メオバック  文山 麻栗坡 富寧
 Sam Pun-田蓬
 Pho Bang-董干
 B3  ハノイ=昆明回廊幹線部(西)  Ma Lu Thang-金水河  ライチャウ
 C  環トンキン湾(北部湾)経済圏  Mong Cai-東興  ハイフォン ハロン 防城港 北海 欽州