中越国境は張り合いの場でもある。それが最も顕著に現れているのが,ラオカイ・河口であろう。中越友誼大橋が建設されてまもない2001年の時点では,ラオカイのベトナム側イミグレはプレハブのような建物で,河口の中国側イミグレに比べると貧相であった。しかし,2004年には中国側イミグレに十分匹敵する巨大な建物が姿を現した。現在ではプレハブの建物は姿を消し,すべて新庁舎の方で手続きが行われている。また,中越友誼大橋開通当初に建てられた,日本の神社の鳥居によく似た朱塗りのゲートも,最初は朱がまばゆかったが,年がたつにつれて薄汚れたものになってしまった。現在はこれも石造の重厚なゲートに取って代わられ,河口側に比べて遜色のないものとなっている。