海外学術調査フォーラム

連続ワークショップ 『フィールド・サイエンスと新しい学問の構築』第三回 講演

「北極観測の進展に見る海外の大型フィールド調査:大気科学の例」
  岩坂 泰信(名古屋大学大学院環境学研究科)

はじめに

 日本の研究者が北極での大気観測を系統だって始めたのは、1990年代に入ってからである。もっとも、大気の中にいわゆる超高層を含めればその歴史はもっと古くなるがこのことはここでは触れず、観測対象の大気とは地表面近くの対流圏や成層圏を示すものとしておく。


北極での大気観測

 日本の研究者が北極圏においてフィールド研究を始めた1990年代というのは、世界的に見ても決して古いものではない。それまでの北極圏でのフィールド調査といえば、アラスカ大学で行われている霧や雲に関する研究、火山噴火によって生じた噴煙が極地方へ拡散することをモニタリングするもの、ヨーロッパ中心部から北極へ流れ出す汚染大気の集中観測、キャンペーンに呼応して行われる単発的な気球観測(スェーデンに放球施設があり、ヨーロッパあるいはヨーロッパとアメリカの研究グループが中心で行うことが多い)、などが代表的なものであった。以下この様子を概観する。

 1980年代にはいって、ヨーロッパでは汚染大気の越境問題が大きな関心を呼び、そのなかで北極ヘイズ(Arctic Haze)と呼ばれる現象なども研究・調査対象として浮かび上がってきている。北極圏におけるフィールド大気科学はそのような状況の中で次第に重要性が認められるようになってきたが、さらにそれを加速させる問題があらわれた。オゾンホールの発見とチェルノブイリ原発事故である。

 1986年に起きたチェルノブイリ原発の事故によって、多量の放射性物質が大気中に放出された。その影響は、ヨーロッパ各地で広く観測され、人の健康被害、農業や漁業への被害という観点から「ヨーロッパ各国が関与する、北極圏での大気の組織的なモニタリング」の必要性をヨーロッパ各国の人に強く訴えることになった。我々が、調査のために使用しているノルウェーのスピッツベルゲン島(スバルヴァール諸島)のニーオルスンにおいて、いち早く、ヨーロッパ諸国が共同で大気モニタリング拠点を設置し、現在にいたっている。

 1985年南極で観測されたオゾンホール現象は、人間が大気中に放出してきたクロロフルオロカーボン(ここではフロンと呼ぶことにする)が原因でオゾン破壊が現実に進行していることを示すものであった。南極と北極の大気構造における高い類似性から見て、オゾン層破壊が北極でも起きているのかどうかに大きな関心が向けられた。もし、北極でも南極と同じようにオゾン層破壊が起きるなら、南極と異なり北極では数多くの人が住んでいるために、人への影響は南極とは比べ物にならないほど大きくなるであろう。

 このようにして、1980年代の終わりごろには、ヨーロッパでは各国が協力して北極域の大気観測を行おうとする機運が生まれていた。いろいろなチャネルで構想が練られ「各国がそれぞれ国内の施設を利用しながら観測することに加えて、ノルウェー領のスバルヴァール諸島のニーオルセンにおいてヨーロッパ各国が共同で大気のモニタリングを行う」ことになっていった。ノルウェーではニーオルセンをいわゆる国際的な科学都市として発展させてゆこうとの意思を持っていたために、このような計画はうってつけのものであったろう。

 南極で発見されたオゾンホールの研究については、日本の南極観測隊の貢献は相当に高く、日本においても多くの研究者が「北極の成層圏におけるオゾン破壊」について強い関心を向けたのは当然である。1990年に渡辺興亜(現、極地研究所所長)と岩坂泰信(名古屋大学)が行ったニーオルセンの予備調査の結果を受けて、「南極には顕著なオゾンホールが観測されているのに、北極ではそれほど大きな破壊が観測されない」などの興味で大気環境面での調査活動がこの地で行われるようになった。

 ここでの研究は、数名規模の試料の採集を中心にしたものから、いくつかの国のファシリティを援用して行われる大がかりなものまである。

 報告者が直接関係してきた気球やライダーの観測は、国内における規模を超えたものであり、関与する研究グループがそれほど多くない(国内では、名古屋大学のほか、国立極地研究所、福岡大学)とは言え、装備の面から見て大規模な野外調査に分類されて叱るべきであろう。これらの観測においては、安全性の面ではニーオルセン基地の維持にあたっているノルウェー極地研究所をはじめ関係機関、気球の放球やこの地方の航空法や電波の法的規制にかかわる対応においては主としてドイツのアルフレッドウェーゲナ−極地海洋研究所やノルウェー大気科学研究所に頼っており、これらをすべて日本の研究者で受け持とうとすると大変なロードがかかるのは容易に想像できる。おそらく、南極観測隊を超える規模の組織をもたなくてはやっていけないことになろう。


大型フィールド調査の将来

 大気科学では(そしておそらく多くの分野では)、研究上の重要な地域に多くの研究者が同時に同一地域にやってくることがしばしば起きる。その上、いくつかのグループは先端的な技術を利用した大型装備をそこへ持ち込んでくる。近年こうしたことが頻繁に起こり始めたのは、世界がいろいろな意味でグローバル化していることや地球環境問題が大気科学と深いかかわりを持っている学問分野であることによっていると考えられる。であるとすれば、このようなフィールド調査の傾向はここしばらくは強まりこそすれ弱まることはない様に思われる。

 このようなことを如実に示す例を挙げるなら、ACE-Asia(Aerosol Characterization Experiment in Asia)と名づけられた国際プロジェクトを挙げることができるであろう。このプロジェクトは、アジア地域の大気の中に浮遊する微小な粒子(ちり、ほこり、砂、微水滴、その他)の性状を解明し、地球温暖化現象の会目に資する目的で企画されたものであった。研究を終始リードしたのはアメリカの研究者である。企画当初から、観測には大型の航空機を投入することの重要性を主張し、多くの国の研究者がその点に合意した。2001年には、日本の岩国基地をベースにしてC113を使った大がかりな航空機観測が実施され、一時は中国の研究陣とひと悶着起こしたりしたが、世界の研究者を動員するものとなった。アジア地域から放出している多量の黄砂や大気汚染物質が地球環境、とりわけ地球温暖化、へどのような影響を与えているかを探ることが大きな目的であったため、世界の研究者にとって「戦略的に重要な地域がアジアになった」のである。アメリカやその他のいくつの国は、航空機を投入し日本ではさらに船舶も動員された。また、中国の北西部(中国の砂塵発生源のおおくはこの地域である)での現地観測、黄砂の通り道(北京、ソウル、済州島、日本各地)にあたる地域での種々の観測にもアジアの研究者の他にもアメリカやヨーロッパの研究者が多く参加した。さすがに、日本における観測ではほとんどの場合日本人研究者が似ずうから見てもまた研究の企画においても日本の研究者がリーダーシップ発揮してフィールド観測が行われていたが、全体としてはアメリカの研究陣の活躍が目立ちアメリカの主導する航空機観測にあわせて、日本その他の国のプログラムが動いていった。

 この事例は、「研究戦略上重要と考えられた地域は、アジアの砂漠地帯、なかんずく中国の砂漠地帯とその風下地域であった。そして、研究を主導したのはアメリカの研究者であった」ことを如実に示している。このような状況を生んだ原因についての分析はここでは避けるが、ある地域が研究戦略上きわめて重要であると認識されたときに、その地域の調査に活躍する研究者がその国や地域の研究者でないことがしばしば生じていることを再度指摘しておきたい。小さい規模ではそのようなことが今までも多くあったと思われるが、重要な点は大型の野外観測においてもそのようなことが生じていることである。

 北極の大気観測では、「北極圏の大気を調べることが、地球環境問題を考える上で極めて有用な知見をしばしば与える」ということが広くみとめられるようになって、誰もが認める研究戦略上の重要な地域となっている。ということは、先ほど述べた「アジアの大気中の微粒子研究」と同じように、どの国からでも研究者が集まってくることが予想されるし現にそのようになっている。集まってきた研究者グループの研究課題は、大枠としてある方向を目指したものではあるが、必ずしも同じではない。それゆえ、研究に必要とされる測器や研究を進める体制・スタイルは互いにある程度の重なりを持ちながらも異なったものになる。研究グループの中に圧倒的に大きな存在がない場合には、研究現場の状況は、一種の共存共栄とも言うべき情況を呈する。時間はかかるが、相互に何度も話し合いや作戦会議を持ち、いわば持ちつ持たれつという空気の中で行動計画が出来上がってゆく。

 北極観測に関しては、アメリカは北極圏に自国の領土を持っているためにわざわざノルウェーの基地を使わなくてもすむことが多い。このために、先ほどの「アジアの大気中の微粒子研究」のようなことが起こらずに、ヨーロッパ諸国の中に日本のグループが混じりこんだ様相を呈している。ここでは、相互に測器、情報、人員を融通しながら「単独のグループではなしえないレベルの観測が模索される」ことがしばしばある。そして、そのいくつかは成功裏に実施されてきた。代表的な例は、気球観測と航空機観測であろう。

 気球観測には、前述したように、技術的な問題を解決しなくてはならない上に、各国の法的な規制に見合うように実施しなくてはならない。気球装備品の安全基準、電波法規、ガス取り扱い基準、航空法、など多岐にわたる。この種のことは、基本的にはその地の関係者が最も詳しい。それゆえ、ニーオルスンではドイツの研究グループがもっともこれらのことに詳しく、彼らの支援なくしては、気球観測は不可能であろう。

 日本では、古くから気球搭載型の大気微粒子計測装置を開発してきており、成層圏での低温・低圧条件下でも適切に稼動するモータの製作ではアメリカとともに世界水準を争っている。このきっかけは、報告者が南極観測の際に行った気球による成層圏エアロゾル粒子観測に端を発している。

 気球によって得られる上空の情報はきわめて利用価値が高く、種々の科学的な目的に使用される。しかし、日本では気球や航空機を使った大気観測はそれほど一般化しておらず、多くの場合、宇宙科学研究所の気球観測プログラムに頼るのが普通であり、技術の積み上げは一般の研究者の間ではほとんどなされていない。宇宙科学研究所の支援を受けない場合には、気象庁の現業の気球観測データを利用することになり、調査対象としている項目(たとえば、大気中のフロン濃度、炭酸ガス濃度、その他)は、気象業務用になされているものに限られてしまう。このような事情のために、北極の大気観測では、日本とドイツが互いに自分達の技術を提供しあう形で気球観測が実現したのである。

 航空機観測においても同様な事情がある。一般的に、日本の大気科学においては航空機観測の経験が乏しく欧米の研究陣に一日の長がある。このことを、重く見て、日本の気象界では航空機観測に多くの時間と式をつぎ込み、ギャプを埋める努力をしてきた。南極観測では、早くから物資の輸送や人員の輸送をはじめ、各種の偵察や観察に航空機を使ってきた経緯があり、このことが比較的早く「北極観測に大型航空機を使用した観測を始める」空気を作ったと思われる。日本が、主体的に航空機を北極で使用したことが契機となって、ヨーロッパでは日本のフライトの呼応した航空機観測が企画されるなど、急速にこれまでの空白を埋めつつある。


大型フィールド観測と評価

 研究基盤が豊富に準備されている実験室とはことなり、フィールド(特に極地、高山・高原、砂漠、など)で大型の機器を使用する調査は、大気科学では着実に増えている。また、いくつかの研究のパラダイムもこのような大型のフィールド観測から生まれてきている。最も代表的なものは、オゾンホールの発見であろう。

 オゾンホール発見に至る過程で、日本の研究人がなした功績はきわめて大きい。そして、その後この分野で活躍する研究者の数は飛躍的に増えたことから見て、日本人研究者の間で新しい意識(たとえば、この分野に対するある種の近親感のようなもの)が生まれたとも思えるのである。ふりかえって、このようなパラダイムを生むまでのいきさつを考えると、観測機器の基準を長期間にわたって維持することや観測結果を決められた約束に従って処理したものを時系列データとして保存するなど、装置開発から装置を使って得られた結果の処理法にいたるまでよく管理された体制を数10年にわたって継続してきたことが決定的に重要な要素になっている。

 ゼロから観測体制を整備し、それらがある程度大掛かりなものであるゆえに装置の維持管理については特定個人に任されることなく、時にはアマチュアであっても、何代にもわたって引き継がれるように体制を作り上げることの重要性を示唆している。しかも、その間、継続的に研究者に強い関心を持続させる何者かの存在もまた必要である。それゆえ、目に見える研究成果、たとえば科学雑誌に掲載される論文など、の形になるまでには必然的にかなりの時間がかかることになる。いったん、目に見える成果が出るとその記録は短時間に多くの研究者の目にさらされ、飛躍的に類似の(とはいえ、それぞれいささかのオリジナリティもある)研究成果が出てくる。このようなタイプの研究活動は、「特定個人が、準備段階から最終的な結果の公表までをすべて行う」ものとはおよそ正反対に位置する性格を持っている。しかし、この種の研究活動に対する評価手法はいまだ確立しておらず、調査に当たる当事者は世間の無理解をなげき、世間は当事者たちを非能率な研究をやっているものと(時にはけったいなことをやっている典型として)非難する。

 大型化した調査施設は、当初目的とは異なる使用のされ方をすることがある。そのような利用者は当然のことながら、企画立案段階には参加していなかった研究者である。施設がある程度出来上がってから参加してきた人には、全体の流れから見れば遅れてやってきた(表現が妙であるがご理解いただきたい)人達であるが、研究のダイナミズムを作り出す上で大きな貢献をすることが多い。この点でも、野外観測が持っている何者かが存在するような気がする。

 大型化した北極の大気科学研究は、フィールドサイエンスの持つ性格をあらわにし、さらには新たな評価への必要性を暗示している。