海外学術調査フォーラム

連続ワークショップ 『フィールド・サイエンスと新しい学問の構築』第一回 講演(報告)

イネ科穀類の起源・系統文化・伝播に関する研究
 阪本 寧男(龍谷大学国際文化学部)

 1966年より1992年までの約25年間に、イネ科穀物およびその祖先野生種ならびに近縁野生種を探索・収集する目的で、ユーラシア大陸とアフリカを中心に17回にわたりフィールドワークをおこない(表1)、収集した多数のサンプルを用いて幅広い研究をおこなった。その際、基本的に心掛けたことは、次の4点である。

  1. 種子から胃袋まで”を考慮したフィールドワークをおこなう、
  2. できるだけ広い地域を踏査して、イネ科穀類を畑・市場・農家から収集し農耕慣行も聞き込む、
  3. 上記の野生種は雑草性を持つものが多いので、その生態的背景をよく把握する、
  4. 収集したサンプルを圃場などに栽植し、詳細な調査・分析をおこなう。

そのうちの 2.3.の研究について略述する。


  1. 四倍性野生コムギの系統分化

     栽培コムギはイネやオオムギのように単一の種ではなく、4種からなっている。それらは二倍体の栽培一粒系コムギ、四倍体の栽培二粒系コムギと栽培チモフェービ系コムギ、ならびに六倍体の栽培普通系コムギである。その系統図と栽培コムギの起源を示したものが、図1 である(阪本、1985)。このうち、野生二粒系コムギと野生チモフェービコムギは、遺伝的に類縁関係が高く、少なくとも一つのゲノム(AA)を共有している。このことを更に詳しく調査するために、1970年京都大学メソポタミア北部高地植物調査隊が派遣され、これらの野生コムギの収集を実施した。その収集地点を示したものが 図2 である(Sakamoto, 1982)。

     収集した野生二粒系コムギと野生チモフェービ系コムギは、外部形態が類似し、フィールドで両者を区別することはほとんど不可能に近かった。そこで、収集したサンプルを圃場で栽植し、各サンプルに既存のパレスチナ産の野生二粒系コムギとアルメニア産の野生チモフェービ系コムギを交雑し、その雑種第一代植物の染色体対合と花粉稔性から、これらの各サンプルがいずれに属するかを分析した。その結果を図示したものが 図3 である(Tanaka and Ishii, 1973)。この図を見ると、調査地域には野生二粒系コムギとともに野生チモフェービ系コムギおよびそれらの混合集団が分布することが判明した。その結果、これら2種の四倍性野生コムギは、調査地域において共通の祖先型植物から遺伝的分化を起こして2種に種分化したと推測された。


  2. ユーラシア大陸におけるアワの地方品種群の分化と分布

     雑穀の中でも、アワとキビは古くからユーラシア大陸全域で広く栽培されてきた穀類である。本研究で東は日本から西はスペインまでさまざまな地域からアワのサンプルを集めることができた。それらのうちから選んだ83系統を用い、異なる地域に由来する3テスター系統(日本、台湾、ベルギー)を交雑した。その雑種第一代植物の花粉稔性を調査し、花粉不稔性の出現のパターンから、6型の地理的地方品種群に分類した(表2)(Kawase and Sakamoto, 1987)。各型の地理的分分布を 図4 に示す(阪本、1988)。この図からユーラシア大陸全域にそれぞれ固有の地方品種群の存在することが明らかになった。このことはアワが長い栽培の歴史を持つこと、および栽培化された起源地域からその栽培が広がる過程で、このような遺伝的分化を生じたことを具体的に示すものである。


  3. ユーラシア大陸におけるアワとキビの利用法について

     ユーラシア大陸の各地域に栽培されているアワとキビの利用法について、農村調査を通じて聞き込みを行った結果と、二、三の地域については文献によって調べてものをまとめたものが(表3)である(Sakamoto, 1987)。両種の場合には、粒色、碾き割り食、粉食および飲料として利用する場合があった。調理法としては、炊飯、粒粥、餅、碾き割り粥、パン、非アルコール飲料およびアルコール飲料(酒)の8種類が見出された。

     この表をおおざっぱに見ると、たいへん面白いことに、アジア東部では食用の場合に、粒食が主で、炊飯、粒粥、餅をつくり、またアルコール飲料を醸造する。これに対して、東南アジア、インド以西からヨーロッパなでは、碾き割り食や粉粥、パンをつくり、非アルコール飲料をつくって飲む場合が多いことが指摘できる。これらのことは、ユーラシア全域にわたって、アワとキビの多様な伝統的利用法が存在することを物語っている。両種の穀類がたいへん重要な存在であったことを示している。


  4. パキスタン・カラコラム山村におけるアワの3品種群の分布

     1978年アフガニスタン東北部で収集したアワとキビは、草丈が低く、分けつが多く、きわめて小さな穂をつけるという原始的な栽培型と思われる特徴を具える系統であった。このタイプのアワとキビがどのような分布域を持っているかを明らかにするため、1987年パキスタン・カラムラム山村の調査を実施した。その結果、図5 に示すように、西北辺境州、キルギット州およびバルチスタン州で、大量のアワとキビが栽培されており、主として無発酵パンをつくって利用されていることがわかった(河瀬、1991)。

     そのうち、収集したアワを京都において比較栽培した結果、カラコラム山村のアワは、(表4)のように明瞭に異なる3群に分けられることがわかった(Ochiai et al., 1994)。その分布を示すと 図6 のようになり、このうちChitoral群のアワの特徴は、前に述べたアフガニスタン東北部のそれと同一の系統であることがわかった。このように、特徴的に明瞭に異なるタイプのアワがこの地域に栽培されているという事実は、この地域を含む中央アジアのステップ帯からインド亜大陸西北部のサバンナ帯が、アワの地理的起源地域であることを強く示唆するものである(Sakamoto, 1987)。


  5. フィールドワークに伴って直面した諸問題

     以上述べたようなフィールドワークに伴って、下記のような諸問題を解決する必要性を経験した。

     (1) 調査地域での探索・収集を行うための公的許可の取得

     (2) それに伴う当該地域の研究者との共同調査

     (3) 畑におけるサンプリングの問題

     (4) 収集活動の挙動不審性

     (5) 収集サンプルの当該地域研究機関への折半分譲

     (6) 収集サンプルの国外持ち出し許可の取得

     (7) 植物検疫法に基づく日本国内への輸入許可の取得

     (8) 研究成果の公表の方法

     (9) 収集サンプルの有用植物遺伝資源としての系統保存事業の実地

     このうち(1)(2)(5)(6)は、現在高まりつつある各国または各地域における植物遺伝資源は、とくに1992年開催された「環境と開発に関する国連会議」で成立した条約によって、その保全・取得・利用などに際しての重要な内容が盛り込まれているため、避けることができない課題となっている。しかしそれよりずっと以前からこれらの諸問題をふまえて探索・収集を行ってきたので、とくに問題が生起するような事態は経験しなかった。

     (3) は、例えば、よく手入れされた黄金色に稔ったムギ畑でサンプリングを行う場合、畑を荒らさないで行うことは難しい。そこで、農家が刈り取り作業をしている畑を選び、その中の苅束をランダムに選んでサンプリングをすることにした。これは完全なランダム・サンプリングとはいえないが、それにきわめて近いものであることがわかった。

     (4) は、とくにイネ科穀類の祖先野生種や近縁種が、しばしば路傍、空き地、畑の周縁部に生育することが多い雑草性の植物であることに起因する。これらを調査・収集・写真撮影を行う活動そのものが、その地域の人びとに対して見慣れない人間の不振な挙動とみなされ、しばしば警察や軍隊に捕縛されたり、国境守備隊に狙撃されそうになったり、麻薬用植物標本所持の疑いをかけられたりすることを経験した。

     (7) は、栽培植物はその種類や栽培地域ちよって、日本国内への持ち込みは禁止されている。その場合には、たいへん煩雑な付帯条件が設定されている輸入禁止品輸入許可申請を農林水産大臣に提出し、公的許可を得てからでないと国内には持ち込めない。

     (8) は、科研費の場合。研究整理費の交付を受けて報告書を作成するが、これはごく限定された個人または機関にしか送付されないし、調査が完了すれば研究グループも解散してしまい、報告書発行の責任者すらわからなくなる。それで、市販される報告書を出版できる体勢を造ることが望ましい。われわれの1985-89年度のインド亜大陸調査の結果は、『インド亜大陸の雑穀農牧文化』という出版物として、1991年学会出版センターから公刊され、多くの人びとにその研究成果を読んでいただく機会を提供できた。

     (9) は、われわれが収集したイネ科穀類とその近縁野生種は、植物遺伝資源として価値があるものが多い。そのため、研究材料としてのみでなく、収集したサンプルをできる限り系統保存してゆく事業を遂行しなければならない。幸いコムギとその近縁植物については、京都大学農学部に国際的な保存施設が存在し、収集サンプルはそこで保存されている。しかしその他の雑穀などは目下、研究者個人の努力で保存されているのが現状である。


【文献】

河瀬真琴(1991):
インド亜大陸の雑穀とその系譜, インド亜大陸の雑穀農牧文化(阪本寧男編),学会出版センター: 33-98.
Kawase, M. and S. Sakamoto(1987):
Geographical distribution of lanrace groups Classfied by hybrid pollen sterility in foxtail millet, Setaria italica(L.) P. Beauv. Japan. J. Breed. 57: 1-9.
Ochiai, Y., M. Kawase and S. Sakamoto(1994):
Variation and distribution of foxtail Millet(Setaria italica P. Beauv.) in the mountain areas of Northern Pakisan. Breed. Sci. 44: 413-418.
Sakamoto, S.(1982):
The Middle East as a cradle for crops and weeds. In W. Holzner and M. Numata(eds.): Biology and Ecology of Weeds, Dr. W. Junk Publishers, pp. 97-109.
Sakamoto, S. (1987):
Origin and dispersal of common millet and foxtail millet. JARQ 20: 84-89.
阪本寧男(1985):
コムギの起原と伝播の考古学. 遺伝 39(1): 71-79.
阪本寧男(1988):
雑穀のきた道—ユーラシア民族植物誌から—.日本放送出版協会.
阪本寧男(1996):
ムギの民族植物誌—フィード調査から—.学会出版センター.
Tanaka, M. and H. Ishii(1973):
Cytogenetic evidence of the speciation of wild Tetraploid wheats collected in Iraq, Turkey and Iran. Proc.4th Intern. Wheat Genetics Symp., Columbia, Mo.,1973: 115-121.


表1 1996-1992年にわたる17回の国外調査のまとめ

調査年 地域 出費先 調査対象植物 収集サンプル
1996 トルコ・
コーカサス
海外科研 ムギ類 777
1967-8 エチオピア 募金 栽培植物 1825
1970 イラク・
トルコ・
イラン
募金 ムギ類 1151
1975 ネパール 海外科研 栽培植物 78
1977 アフガニスタン・
ルーマニア
海外科研 ムギ類・雑穀類 47
1977 韓国 海外科研 雑穀類 101
1978 アフガニスタン・
ルーマニア
海外科研 ムギ類・雑穀類 477
1978 韓国 海外科研 雑穀類 123
1979 スペイン IBPGR ムギ類・マメ類 159
1980 トルコ・
ギリシャ・
ルーマニア
海外科研 ムギ類 1129
1982 ギリシャ・
トルコ
海外科研 ムギ類 3017
1985 パキスタン・
インド
海外科研 雑穀類 1511
1987 パキスタン・
インド
海外科研 雑穀類 1481
1988 中国四川省・
チベット
木原財団 ムギ類 553
1989 パキスタン・
インド
海外科研 雑穀類 1107
1991 スリランカ JICA 栽培植物 109
1992 チリ JICA 穀類 124
(総計 17回) (13769)


表2 3テスター系統を交雑した雑種代一代植物の花粉稔性(%)

(セルの背景色が濃い箇所は、75%以上の花粉稔性を示す)

 



(♀)
テスター系統
(♂)
 



(♀)
テスター系統
(♂)
地域



A B C 地域



A B C
日本 1 - 17.2 31.9 ?
43 - 34.4 37.2 ?

2 95.4 19.9 39.6 A (蘭嶼) 44 48.7 40.4 17.8 X

3 97.9 26.7 40.7 A
45 41.5 23.8 21.6 X

4 96.1 25.5 35.5 A
46 66.7 44.8 33.2 X

5 96.1 38.9 - ?
47 38.5 46.1 - ?

6 80.0 42.4 37.4 A フィリピン 48 36.2 51.9 59.4 X

7 77.5 - - ?
49 20.2 29.8 66.7 X

8 98.2 29.0 25.5 A
50 45.6 48.5 42.1 X

9 82.3 29.3 - ?
51 45.2 46.3 18.7 X

10 98.1 37.8 56.9 A
52 50.7 38.2 28.5 X

11 41.1 17.2 8.2 X インドネシア 53 - - 75.4 ?
(南西諸島) 12 - - 44.9 ?
54 40.5 68.3 73.5 X

13 13.9 88.5 36.8 B タイ 55 16.8 50.4 38.6 X

14 20.0 81.9 29.6 B ネパール 56 - 30.8 66.9 ?

15 11.5 77.8 54.2 B
57 26.5 31.4 86.3 C
韓国 16 83.1 14.2 25.6 A
58 31.2 37.8 - ?

17 93.4 17.9 19.6 A インド 59 38.1 77.2 92.9 BC

18 92.3 41.2 53.4 A
60 40.5 90.8 78.7 BC

19 91.9 28.2 20.0 A
61 50.5 78.2 86.5 BC

20 90.9 28.2 33.8 A
62 49.5 - 89.4 ?

21 92.6 20.4 27.5 A
63 58.6 82.5 95.3 BC

22 89.7 24.2 46.2 A
64 49.1 41.0 73.9 X

23 99.1 37.8 57.7 A
65 52.6 87.2 93.9 BC

24 98.1 24.4 48.2 A
66 55.5 41.1 - ?
中国 25 93.7 11.8 - ?
67 54.1 - 97.3 ?

26 93.4 42.0 46.8 A
68 98.4 26.9 47.9 A

27 93.6 39.3 39.2 A アフガニスタン 69 63.9 31.5 85.9 C

28 20.2 9.2 13.1 X
70 95.9 - 85.8 ?

29 68.9 - - ?
71 96.4 33.1 93.8 AC

30 88.2 58.1 42.9 A
72 95.0 48.6 96.5 AC

31 93.3 34.2 - ?
73 - 19.0 65.8 ?

32 94.7 19.4 33.5 A ソ連(当時) 74 63.3 45.2 57.1 X

33 16.9 - 20.1 ?
75 82.3 43.5 62.3 A

34 70.4 35.2 74.7 X
76 96.3 - 67.8 ?
台湾 35 32.9 77.6 26.0 B ドイツ 77 30.0 9.3 36.3 X

36 25.1 97.0 53.9 B ベルギー 78 47.2 31.3 91.0 C

37 47.2 85.4 55.1 B
79 31.0 19.7 76.7 C

38 37.9 86.5 35.5 B フランス 80 65.2 48.6 88.2 C

39 33.2 97.2 38.9 B
81 56.9 58.9 - ?

40 34.2 92.8 42.6 B
82 57.3 56.7 96.1 C

41 65.9 54.4 22.1 X スペイン 83 62.0 38.2 92.7 C

42 32.8 94.6 55.9 B



表3 ユーラシア大陸におけるアワとキビの調理法の比較

加工


地域
粒食 碾き
割り
粉食 飲料
炊飯 粒粥 碾き割
り粥
粉粥 パン 非アル
コール
アルコ
ール
日本 ウルチ            
モチ           
韓国 ウルチ               
モチ           
中国 ウルチ        
モチ          
台湾 ウルチ              
モチ          
バタン諸島              
ハルマヘラ島              
インド        
アフガニスタン            
コーカサス            
トルコ              
ブルガリア          
ルーマニア            
イタリア              
フランス                


表4 カラコラ山村のアワ3群の比較

(京都における比較栽培の結果)

   Chitral群 Valtistan群 Dir群
有色芽生えの頻度 低い 高い ない
出穂までの日数 短い 短い 長い
本葉の数 少ない 少ない 多い
草丈 非常に短い 短い 高い
分けつ数 多い 分けつしない 多い
穂の長さ 非常に短い 短い 長い
穂の形 短錐形 円錐形 長錐形
刺毛の長さ 長い 短い やや長い
やくの色 オレンジ色 白色 オレンジ色
穎果の形 楕円形 丸い 楕円形
穎果の表面 光沢あり 光沢なし 光沢あり
フェノール反応 無着色 無着色 着色・無着色
脱落性 ある なし なし