海外学術調査フォーラム

  • ホーム
  • next_to
  • 過去のフォーラム
  • next_to
  • 2014年度
  • next_to
  • V 北ユーラシア・中央アジア・極地・北米・ヨーロッパ
  • V 北ユーラシア・中央アジア・極地・北米・ヨーロッパ

    座長本山 秀明(国立極地研究所)
    深澤 秀夫(AA研)
    話題提供者田邊 優貴子(早稲田大学高等研究所)
    タイトル「歩く、漕ぐ、潜る ~極地での湖沼生態系調査~」

     話題提供者である田邊優貴子氏は,植生生理生態学・陸水学・生態系生態学を専門とし,これまでに南極・北極を各3度訪れ,生態系に関する調査・研究を進めてきた。その豊富な経験に基づき,本地域分科会においては,田邊氏のこれまでの研究内容,調査方法についての報告が行われた。

     南極の大陸氷床は,地球上の淡水の70%を占めている。その南極において,露岩域(氷に覆われていない地域)は生物にとってのオアシスである。南極大陸全体の2-3%にすぎない露岩域においては,藻類・地衣類・苔類が生態系のトップに立つなど,シンプルな陸域生態系が観察される。また南極の年平均気温と降水量は,地球上の他地域よりもむしろ火星と近く,非常に乾燥した地域である。

     昭和基地の周辺には,100以上の多種多様な湖が存在する。これら南極湖沼群の湖底を観察すると,貧栄養にも拘わらず,多様な形態・構造をもつ豊かな植生が一面に広がっている(シアノバクテリア,藻類,苔類など30-40種が存在)。湖底は,外気温が-40度まで下がっても,常に2-4度を保つなど,真冬でも温かい。一方,南極の夏の日射量は東京の約1.8倍で,紫外線も非常に強い。植物にとっては重要な光エネルギーであるが,この強光は湖底にも到達し,植物プランクトンはそれにより死滅してしまう。それにも拘わらず湖底の植生が生息できるのは,表面の色素類によって光の防御を行っているためである。即ち,表面では光を防御し,その下においては穏やかな環境で活発に成長するという層構造をとっているのである。また光環境の変動に応じ,色素の調節も行っている。更に,光合成生産に必要な栄養自体が乏しい環境でありながら,豊かな植生を保っているのは,シアノバクテリアによる窒素固定により,湖底植物における栄養が湖水よりも圧倒的に高いためである。湖底から湖水へと栄養塩が拡散しないのは,湖底と湖水との境界における乱流,湖底生物による吸収,湖底の粘性などが原因と考えられる。このように,生態系の発達とともに,生物相とエネルギーの流れが変わってきたことが見て取れ,将来,南極の湖も,温度など何らかの要因が変化すれば,生態系が大きくシフトすることもあり得る。南極の湖沼は,同じエリアに同時期に生じたものであっても,それぞれが異なっており,一つ一つがいわば小宇宙を成している。これら南極湖沼群の生態系調査は,生命の起源・進化,生態系の発達の研究にもつながる。南極湖沼群は,ガラパゴスを凌ぐフィールドと言っても過言ではない。

     田邊氏の南極における調査は,陸地と氷の上をひたすら歩き,ボートで水上を漕ぎ,更には水中に潜ることにより行われている。調査に出かけるに当たり,治安や人権・倫理の面では特段の心配はないが,綿密な調査手続き(研究・調査計画の策定,ヘリコプター運用計画,環境省への調査許可取得,試料採集・持ち帰りの許可取得,身体検査)が必要である。また,観測隊員候補者に選ばれた後には,事前に応急処置方法などについての訓練があり,また滞在中も単独行動が禁止されるなど,徹底した健康・危機管理が行われている。全行程航空機を使用する場合には旅費のみで500万円以上かかるという南極調査故,若手研究者にとっては予算獲得が一番の苦労である。

     田邊氏は自らの研究における経験を一般にも広く公開する活動を行っており,著書『すてきな地球の果て』を刊行した他,「南極なう!」というエッセイをナショナルジオグラフィック日本語版において連載している。

     質疑応答においては,南極の海洋中における植生の性質,南極沿岸において観測することで苦労する点,調査地におけるインターネット接続状況や食生活,データ分析地,科研費使用におけるレートの問題,極地研究を志す若手研究者の状況,実際のフィールドワークにおける様々な経験等について,活発な報告・情報交換が行われた。


    (報告:伊藤 智ゆき(AA研))