海外学術調査フォーラム

III 東アジア

座長窪田 順平(総合地球環境学研究所)
蓮井 和久(鹿児島大学大学院医歯学総合研究科)
話題提供者松林 公蔵(京都大学東南アジア研究所)
タイトル「東アジアにおける高所医学研究とフィールド老年医学の展開」

 世界最高峰の山であるエベレストに初登頂を果たしたのは,1953年,英国隊であったが,ヒマラヤ初登頂を前提として創設された京都大学士山岳会(Academic Alpine Club Kyoto, AACK,1931年~)も,1936年にはヒマラヤK2登頂を目指していた。その計画は日中戦争勃発のため実現しなかったが,戦後になり,AACKはチョゴリサ,ノシャック,サルトロカンリ,と立て続けに初登頂を成功させた。その当時,話題提供者の松林氏は高校生であった。

 後,松林氏は京都大学に入り,AACKの一員として活動を始めた。1985年には中国同志社大と合同でナムナニ峰での登山が行われ,松林氏は医師として,隊員の健康を管理した(高所肺水腫等)。この登山を通じ,高所における人間の生理的適応について関心を持つようになった。

 1964年に発表された研究によれば,エベレスト頂上においては,酸素の補給なしには静かに横たわることのみ可能,とされていた。しかし1978年,二人の人間が無酸素でエベレスト登頂を果たしたことで,米国生理学会は,隊を組織し,なぜ彼らが無酸素でも登頂に成功したのかについて調査を開始した(登頂当時の血液中の酸素濃度測定等)。結果として,1984年には,エベレスト登頂は,酸素補給がなくとも生理的に可能である,と修正されたが,他の身体の様々な機能が登頂時どのようになっているかについては,依然として不明であった。

 このようなことを背景とし,1989-1990年には京都大学ヒマラヤ医学学術登山隊が組織され,隊員である医師自らが被験者となり,高所での生理的検査が行われた。たとえば,最大酸素摂取率,呼吸機能,血液分析,眼底カメラによる脳の分析,超音波による心臓の検査などが実施された。ヒマラヤ登山の鉄則として,登頂後は速やかに撤退すべきというものがあるが,この隊では,松林氏を含む三人が,一晩だけ直下で過ごし,その時のデータを収集した。この研究成果は,Himalayan Study Monographsに掲載された。

 一方松林氏は,高知県及びアジアの諸地域を対象として,フィールド研究を行い,高齢者の健康実態について調査を進めてきた。「病気」の概念には,disease(「疾病」,近代科学に基づく原因志向的概念),illness(「病い」,diseaseの結果としての主観的体験の有り様を重視する概念),sickness(「病的状態」,illnessやdiseaseが,正常ならざるもの,よからぬ状態,異状として社会化された概念)の三つがあり,現在の医学研究は専らdiseaseのみを対象としているが,フィールド研究を通じ,病院だけでのケアとは違い,地域で一体となったケアが必要であるとの考えを抱くようになった。そうした中,高所に住む人々の疾病と加齢について,考え始めた。

 松林氏は,アンデス・チベット・エチオピアの三つの高所においてフィールド研究を行い,住民の低酸素に対する適応の仕方が異なっていることを見い出した(アンデスではヘモグロビンを増加させ,チベットでは血管を開き血流量を増加させている,等)。のみならず,これら三つの高所では,栽培植物・家畜利用・精神文化(宗教)も異なっていた。即ち,進化的に人の低酸素適応のあり方が異なるだけでなく,生業・文化が構成する「高地文明」も異なっていたのである。

 また,中国青海省において,漢族・チベット族の老人の検診を行った。その結果,チベット族は漢族に比べ,身体的機能において不健康な人の割合が高いが,一方で,主観的満足度においては,チベット族の方が漢族よりも高いという調査結果を得た。このことには,宗教的基盤の違いや,地域コミュニティーのあり方が関わっていると見られる。

 このようなことは,高齢者の健康,生きがいについて,再考を促すものである。たとえ身体的には健康でなくとも,いかに最期まで楽しく生きていくか──いわゆる病院だけでのケアとは別の問題である。高齢者ケアにおいては,家族,コミュニティー,宗教ネットワークの果たす役割が非常に大きいと言える。

 質疑応答においては,高所各地の主観的満足度と家族形態との関連性,高山病のタイプ・年齢による差と対処方法,漢族・チベット族の間に見られる糖尿病の違い,現代の医療機器の機能,中国における高齢化問題,現地の人との共同研究の進め方や謝金の取り扱い,各国からの検体持ち出しの問題等について積極的に意見・情報交換がなされた。


(報告:伊藤智ゆき(AA研))