海外学術調査フォーラム

全体会議 講演

「SARS 報告」
 蓮井 和久
 (鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 感染防御学講座免疫病態制御学領域(旧医学部解剖学第2))

<はじめに>

 2002年11月に、重症急性呼吸器症候群(Severe acute respiratory syndrome: SARS)は中国広東省で発生し、香港を経由して、グローバルな広がりを示しましたが、現在、沈静化の方向にあるようです。私が何故に、SARSで報告することになったのかは、中国でのウイルス関連悪性腫瘍の海外学術研究が注目されたのであろうと理解しています。

 従って、この報告は、1)ウイルス感染症の基礎的な理解、2)慢性ウイルス感染症の後期合併症としての成人T細胞白血病ないしリンパ腫(ATLL) の鹿児島での病理疫学的検索の状況、3)SARS に関するウイルス病理学的観点からの解釈と海外渡航におけるSARS の理解という構成にしました。


<報告>

  1. ウイルス感染症の基礎的な理解

     ウイルス感染症には、急性と慢性のものがあります。 慢性ウイルス感染症の晩期合併症として腫瘍発生があります。ウイルスはどんな細胞にも感染するのではなく、感染する細胞を選びます。そして、ウイルスと感染細胞との関係が、感染細胞の運命を決定します。 ウイルス感染症では、そのウイルス関連抗原に対する抗体が感染者の血清に認められます。

     ウイルス発癌が注目されてきた1970年代後半に出版された本に、ウイルス発癌の基本的考え方を見ることが出来ます。

     ウイルスの関連物質の発現は、RNAウイルスはそのプロウイルスDNAに、DNAウイルスは直接そのDNA情報に依存し、感染細胞の酵素等に依存して、関連抗原の発現、自己再生を達成します。ウイルスが細胞に感染する時には、感染細胞を選ぶと共に、感染の様式も細胞によって決ってきます。

     ウイルスの感染様式には、lyticとabsorptiveのものがあります。前者では、ウイルスの多量な産生の後に細胞は死滅します。これは急性ウイルス性感染症の感染様式と云うことが出来ます。一方、absorptiveな感染では、ウイルスの産生はなく、ウイルス関連蛋白の発現や、ウイルス由来増殖遺伝子産物が発現し、感染細胞のトランスフォーメーション・腫瘍化が生じます。これが、ヒトの慢性ウイルス感染症の晩期合併症の腫瘍発生の引き金となります。


  2. 慢性ウイルス感染症の晩期合併症としての成人T細胞白血病ないしリンパ腫(ATLL) の鹿児島での病理疫学的検索の状況

     ATLLは、高月清先生らにより、1970年代後半に発見されました。このATLLは、地理病理的に西南日本に多発する傾向をしめす疾患です。このATLLには、臨床病型として、くすぶり型、慢性型、リンパ腫型、急性型があります。病理学の分野で扱ったのはこのリンパ腫型であります。ATLLの原因ウイルスであるHTLV-1の発見は、高知医科大学の三好勲教授によるウイルス産生細胞株の樹立が契機となりました。HTLV-1は外套とコアを示すRNAレトロウイルスであり、吉田光昭先生が、このプロウイルスDNAの塩基配列を決定され、その後の分子生物学的研究の勃興の先陣を切り、HTLV-1ウイルスの関連蛋白p40Taxとp27Rexを研究されて、その病原性が関連蛋白p40Taxに由来するものであることを実験的に証明されています。

     HTLV-1のライフサイクルを簡単に説明しますと、感染したウイルスはRNA-DNA reverse transcriptaseによりDNA型になり、細胞の遺伝子に組み込まれます。これがプロウイルスDNAです。

     このpX領域の活性化で、p40Taxとp27Rexが産生されます。Taxは自己増殖的に遺伝子を活性すると共に感染細胞の諸遺伝子の活性化を誘導し、RexはTaxの機能を調節すると共に、ウイルスの自己再生への遺伝子活性化を招きます。従って、HTLV-1感染症における病原性はTaxに依存すると言われる所以です。

     HTLV-1のヒトへの感染には、1)周産期の母子垂直感染、2)性交等による男性から女性への感染、3)輸血等による感染があることが知られたています。周産期の母子垂直感染の防止に、断乳が行われています。ATLLの発病に関係するHTLV-1の感染はこの周産期の感染に関係があるとされ、それが30年以上の経過後にATLLが発症している理由です。このATLLは発病の遅れは、HTLV-1感染における免疫学的メカニズムの解明を必要としました。また、ATLL以外にも、HTLV-1関連疾患があります。これらのHTLV−1関連疾患の発病には、免疫学的遺伝背景が関係していることが、鹿児島の園田俊郎教授らの精力的なHLAの研究で明らかにされています。HTLV-1のプロウイルスの関連蛋白が、HLAの自己抗原として発現されることで、免疫学的監査機構からHTLV-1感染細胞が逃れるという現象です。HTLV-1感染T細胞の突発的な増多症が生じており、免疫監査機構を逃れたHTLV-1感染T細胞による関連疾患の病理組織形成が起こり、また、腫瘍化への進展があることが予測されています。

     HTLV-1の民族疫学的研究は、田島和夫先生らにより推進 されたの 非常に有名です。HTLVはベーリング海峡を渡って南アメリカ大陸に移住したモンゴロイドと共に感染が維持されており、私も田島先生の紹介でアルゼンチンのアンデス地方のリンパ腫を検索する機会がありました。その結果は、現在のモンゴロイドの子孫にもATLLの発生をみます。また、一方で、リンパ腫の新しい細胞系列の発見に伴いアジアに多いとされるNK/T細胞性リンパ腫も見られることを確認しております。

     一方、臨床血液学では、多剤併用化学療法から移植療法への転換期に現在あります。

     一方、人体血液病理学に於けるATLL研究は、花岡正男(京都大学)、須知泰山(愛知県がんセンター)、菊池昌弘(福岡大学)、佐藤栄一(鹿児島大学)らの研究があり、ドイツのProf. Lennert Kとの共同研究で、日本でのATLLを含むT細胞性リンパ腫の研究がupdated Kiel分類に採用され、その後のREAL分類とWHO新分類に継承されて、大きく貢献しています。

     鹿児島での研究は、ATLLの病理組織学、病理解剖、電子顕微鏡による検索、細胞周期からのリンパ腫における白血病との関係の検索、更に、病理疫学的鹿児島の悪性リンパ腫の発生状況の把握、HTLV-1以外にEpstein-Barr virus (EBV)の感染を伴う例の発見、ATLLのリンパ腫細胞ではHTLV-1のpXのTaxの遺伝子の発現をIn-situ hybridization (ISH)法で証明できること等を報告しています。

     病理疫学的検索は、一地方で病理検索された症例の記録と保存標本を利用して、症例の収集を行うことで、特定の病気のその地方における発生の特徴を疫学的検討します。この検索が疫学的な意味を持つのは、その地域の臨床での悪性腫瘍のいわゆるevidence-based medicineにおける病理組織学的検査のレベルに依存しています。1970年代までの検索では、悪性リンパ腫の検索数も発病率も増加傾向を示しています。病理組織診断の普及の時期に相当すると考えられます。疫学的研究での発展途上地域では、疾病は見せ掛けの増加を示します。日本全国との比較は、癌登録の資料と比較すると、ATLL流行地である鹿児島と長崎で、他の地域の2倍の悪性リンパ腫の発生がありました。鹿児島では、悪性リンパ腫の発病率が、1980年代には倍になっています。病理組織学的検索数と死亡統計による白血病とリンパ腫の数は、1980年代前期に逆転し、この頃の悪性リンパ腫の発病率は、10万人に対する年齢補正の発病率で見ますと、10人前後です。鹿児島の悪性リンパ腫の患者さんの年齢分布では、50代以降の高齢者が多い。鹿児島での同年代での成人の悪性リンパ腫では、HTLV-1キャリアーに対して、1000分の1でのATLLリンパ腫型の発生で、鹿児島の悪性リンパ腫の70%はT細胞性例であり、ATLLを含む影響があることが示唆されています。

     その後、HTLV-1 lymphadenitis(菊池・大島)/HTLV-1-associated non-neoplastic lymphadenopathy (HANNLA, 蓮井・佐藤)の存在を見出し、その病理組織形成のHTLV-1ウイルス免疫組織学的理解は、感染T細胞の崩壊による関連蛋白の免疫系の認識、その反応としての抗体産生細胞の形成の場であるリンパ小節の胚中心のエイズリンパ節様の変化、それに、免疫監査機構から逃れた感染T細胞の腫瘍化の過程から構成されていると報告しています。

     そして、現在、ATLLのリンパ腫型以外の3つの臨床型の検索が出来るように、末梢血組織標本の作成方法を考案して、白血病の免疫学的形質やHTLV-1関連蛋白であるTaxとRexも検出可能あることを見出して、病理組織学の研究試料としての検討を行い、組織化学分野での技術開発を応用の検討段階であります。

     従って、慢性ウイルス感染症としてのHTLV-1感染症の晩期合併症としてのATLL検索は、臨床ウイルス学、血液学、分子生物学、免疫学、腫瘍学、人体血液病理学、腫瘍(病理)疫学といった多面的な学問にて、ウイルス発癌のヒトでの例として、精力的に検索されて来ていることがご理解できたと思います。


  3. SARS に関するウイルス病理学的観点からの解釈と海外渡航におけるSARS の理解

     SARSは、日本になく、瀋陽にもなく、直接資料がないという3つの "ない"の 状況ですが、病理学的論文が2つありますので、それの解剖病理学的解釈を中心に、紹介します。

     現在、SARSの一般的な情報は、国立感染症研究所の感染症情報センターのホームページで知ることが出来るようです。また、新聞社の特集のホームページも充実しています。検疫所のホームページは、現実的な対応の情報はあります。

     広東の食用の猫(ハクシビン)のウイルスが、ヒトに感染して、昨年11月頃からSARSが広東で流行し始めたようです。この広東から香港に飛び火したのです。香港等での感染は院内感染として拡大したようです。そして、香港から、航空機にて発病前の患者のグローバルな移動が、カナダ・アメリカ、ヨーロッパ、中国各地、そして、ベトナム等に、感染値域を拡大させたことは新聞等で 報道されています。

     SARS コロナウイルスがSARS の原因であると報告した論文を2つ紹介しドイツからのもので、Drostein C et al. The New England Journal of Medicine, Identification of a novel coronavirus in patients with severe acute respiratory syndromeです。一つは、香港、ベトナム、アンリかの研究所での共同検索の結果のもので Ksiazek TG et al. The New England Journal of Medicine, A novel coronavirus associated with severe acute respiratory syndromeです。この2つの論文は、SARSウイルスが新種のウイルスであることを遺伝子距離の検討から報告しています。Ksiazek TG et alの論文では、SARSウイルスを細胞株に感染させ、患者血清中にウイルス関連抗原に対する抗体があることを証明し、感染させた細胞株でSARSウイルスを電子顕微鏡で同定しています。

     SARSウイルスの検出では、喀痰と気管支肺胞洗浄液(BAL)で検出され、咽頭でも微量存在し、発病9日ではウイルス血症を示すことがDrostein C et alの論文で報告されています。便にも、SARSウイルスは検出されるようですが、発病初期のデータがないようです。喀痰、BAL、そして、咽頭、便にウイルスが認められることから、発病9日には、ウイルスの排出が盛んで、一部は咽頭を経由して、消化管にないとしていることを示唆します。因みに、SARS ウイルスは強い酸性にも耐えることが報告されていますから、容易に、胃を通過して、小腸に達するのではないかと考えられます。

     ただし、発病早期の便に果たして、ウイルスが居るのか否かは、気管支?肺が初期の感染病巣なのか、消化管に初期病変があり、高熱で 発症する時期にウイルス血症を示し、リンパ管経由で上大静脈に達して、肺に感染する可能性を、急激に伸展する肺炎の進行状況は示唆するものであるかも知れません。

     琉球大学の斉藤教授 (2003.6.13、鹿児島での講演) によると、SARSでは、発症直後には、限局した気管支炎ー肺炎を示し、胸部Ⅹ線だけでは不十分で、CTでの肺炎との鑑別が必要であるそうです。

     Ksiazek TG et alは、SARSの肺の組織像を提示しています。肺の正常構造が破壊され、泡沫細胞等が多く出現し、多核細胞を認めます。肺胞マクロファージは単球由来であることを考慮すると、SARSウイルスないし関連抗原が単球ー肺胞マクロファージに認められることにを示しています。しかし、単球ー肺胞マクロファージは貪食能がありますので、この猫コロナウイルス抗体での陽性像は、SARSウイルス感染を直接示唆するのか、ウイルス関連物質をこれらの細胞が貪食した結果であるのを判別できません。ウイルス由来のmRNAシグナルの検出が必要であるようです。 また、彼らは、コロナウイルスに対する抗体は、かなり、他のコロナウイルス関連抗原との交叉反応を示すことを報告しています。SARSウイルスに対する特異な抗体の作成が難しいと言われていたことを意味しているようです。

     Ksiazek TG et alは、BALで採取された細胞にも、SARSウイルスを確認できることを報告しています。ただし、この細胞が肺胞上皮細胞であるのか、単球-肺胞マクロファージであるのかの記載がこの論文にはありません。一般に、BALでは、肺間質への浸潤細胞を検索する方法ですが、剥離肺胞細胞が多い時には、当然、そのような細胞の混入もあるのです。単球-肺胞マクロファージに感染していると、前に述べました初期病巣は消化管にあり得て、経口感染もSARSでは起こり得るということになります。こう云った感染ルートが、香港のマンションでの感染蔓延では考えられたのではないかと思われます。

     次に、香港からNicholis JM et al.(Lancet. Lung pathology of fatal severe acute respiratory syndrome)によるの肺の局所解剖と全身の病理解剖による肺の詳しい報告がなされています。6例のSARS患者で、血清中の抗SARSウイルス抗体は、発症後1週間で陽転しているようです。しかし、1週間から1ヶ月で死亡しています。全例で、び漫性の肺胞障害といわれる肺の組織破壊が生じています。気管支の線毛の消失した化生細胞が出現しており、喀痰の排出障害があったことが示唆されます。閉塞性気管支炎も、原因は喀痰の排出障害によることが考えられます。また、赤血球貪食現象が観察されており、非常に強いストレスが免疫系に加わった証拠であると考えられます。

     示された顕微鏡写真は、肺胞隔壁の肥大、肺胞上皮細胞の消失、異型核を有する肺胞細胞を示します。肺胞細胞の剥離と粘液細胞化生が見られ、また、ヒアリアン膜の形成も認められます。肺胞全体に浸出液を認め、異型肺胞細胞を認めます。そして、多くの細胞がCD68陽性で、単球-肺胞マクロファージであることが解ります。 気管支の扁平上皮化生は非常に強い再生像からNicholis JM et alは、成長因子等の分泌亢進があるのであろうとしています。肺胞隔壁の浮腫状の炎症病変でも、CD68陽性のマクロファージが出現しています。GM/M-CSF等が主体になった高サイトカインの微小環境になっていることが示唆されているようです。しかしながら、電子顕微鏡観察では、肺胞上皮にSARSウイルスがいることを示していますが、CD68陽性細胞については、記載がありません。

     従って、SARSの肺病変を文献的報告されているものでまとめると、肺胞上皮は脱落している。これは、RDS発症を示唆します。肺胞上皮にSARSウイルスが認められることから、SARSウイルスの肺胞上皮細胞への感染はLyticな感染であることが示唆されます。多くの単球-肺胞マクロファージの増加を伴い、肺胞炎は、ウイルス感染との関係は不明ですが、GM/M-CSF産生の微小環境を示唆している。 巨大・多核巨大細胞の出現は特徴的でありますが、治療に対するないしウイルス感染に対する反応性と考えられます。 赤血球貪食症候群は、免疫系の破綻:肺炎の進行と共に、免疫系への強いストレス があることが示唆されます

     従って、SARSの検索では、SARSウイルスの扁平上皮細胞の感染の有無、消化管上皮への感染の有無の検討による感染ルートの解明が、防疫の観点からも期待されるようです。この点から、Nicholis JM et alによる全身の病理解剖例の詳細な報告が期待されます。

     一方、斉藤琉球大学教授(感染症学)の講演(2003.6.13の鹿児島城山ホテル)で、広東の中山医科大学との交流で、治療方法、胸部XP写真を入手し、その他のインターネット等の情報を併せると、治療は、抗ウイルス剤とステロイド療法で、世界的に見ても、適切な治療が全例で行われている。しかし、抗ウイルス剤の副作用の考察が今後必要であろう。再発が、ステロイド剤からの離脱で起こっている。もっと大量のステロイド療法が必要かもしれない。 一般的には、空気感染が考えられるが、WHOは飛沫感染と言っている。消化管に感染はあると思われるが、経口感染の可能性もある。

     SARSは非常に怖い急性ウイルス感染症であることが解りますが、二次感染はあっても、三次感染は非常に少なく、特定の患者がウイルス排出の極期に感染させただけだと判断できると考えられるそうです。


これらの情報から考えられる海外渡航に関するSARS対策を以下のように考えました。

  1. SARSは、その地域の人々にとっても重篤な急性ウイルス性疾患である。従って、その発生は、その地域の情報の収集で対応可能である。
  2. 新規のSARS患者がいない地域は、最後の発病者の発生から、少なくとも1ヶ月以上経てば、問題ない。
  3. 一般論として、公衆衛生の向上で、最近の日本人は、一般的な感染症に対しても無防備になっている。これは、日本国内では減少傾向を示す感染症も、輸入感染症としての今後の対応が必要になると思われる。
  4. 一般論として、グローバル化が進む現状では、新興・再興感染症に対する対策は必要であり、SARS対策も、これに準じたものが妥当であり、過小ないし過大なものは無用であり、適切な対応を、上記の1.と 2.を基礎にして行う必要があると思われます。

 また、海外学術調査における渡航では、現地の海外研究協力者に、SARSその他の感染症の情報を得て、十分に活動範囲での安全性を確認できれば、現在の段階では、海外学術調査での渡航を制限する理由もなく、また、無駄な自主隔離の措置も必要ないのではないかと考えられます。


Copyright(C)2003, HASUI Kazuhisa, All Rights Reserved.

戻る