海外学術調査フォーラム

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    「生物多様性条約のインパクト(長峰報告の背景)」
     山本 昭夫(農林水産省 農林水産政策研究所)

     私からは、長峰報告の背景(経緯・開発途上国の感情)を説明する。なお、説明に入る前に一点注意喚起する。学術研究であれば、研究相手国のカウンターパート(所長や教授)が遺伝資源の持ち出しを了解すれば問題ないと思われているかも知れないが、これは生物多様性条約(以下「CBD」という)によって変わってしまった。学術研究であっても、相手国政府の定める手続きに従うことが必要となっている点にご留意願いたい。


    さて、私のコメントは、次の四つの仮想的な質問に回答する形で進めたい。

    1. なぜ、多数の国がCBDに加盟しているのか?

    【回答】
     CBDが環境保全のための条約から経済条約(利益配分条約)へと変質していったことである。つまり開発途上国には、この条約に加盟すれば先進国から技術や資金が流れ込んでくるのではないかという期待がある。

    【説明】
     CBDには、現在187カ国(ECを含む)が加盟している。この数を、国際連合加盟国数191カ国、WTO加盟国数146カ国と比べると、いかにCBDへの加盟国が多いかわかる(ただしアメリカは加盟していない)。ここに至るまでの遺伝資源関係の歴史を簡単に整理すると、次の4期に分かれる。

    • 第1期~1983年
      FAOがIU(注)を採択するまで(遺伝資源へのフリーアクセスか?)
    • 第2期〜1992年
      CBD採択まで(IUの合意解釈、CBD、GATT等多数のフォーラで相互作用か?)
    • 第3期~2001年
      CBDの特例措置設定のためのIU改定交渉妥結まで
    • 第4期 2002年~
      CBD、IT(= 改定IU)の実践へ

    注:「International Undertaking on Plant Genetic Resources」(植物遺伝資源に関する国際的申し合わせ) 法的拘束力のない申し合わせ。これを改定したものがIT(法的拘束力あり)である。

     第1期は83年のIU採択までで、それまで「遺伝資源は人類の財産」と明文化されていなかったが、そのような考え方(フリーアクセス)が概ね通用していた。これがIUで明文化された途端に先進国からの反発があった。これは遺伝資源の定義に最新の育成品種も含まれることから、UPOV条約(植物の新品種の保護に関する国際条約、知的財産権保護の一制度)に反するのではないかとの懸念があったためである。
     第2期には、次表のように、FAO以外の様々な場所でもそれぞれの視点から遺伝資源にも関連する議論が始まった。ここでは政治的な要素も加わり、議論はもはや科学者の手の外で行われたと感じられる。また、これら各フォーラムの間で相互に作用があったと思われる。

    第2期における相互作用
    87年:
    ・GATT(WTO)TRIPS協定(注1)交渉開始
    ・UPOV条約の改正決定(91年に妥結)
    ・UNEPでCBDの策定決定
    89年:
    ・FAO総会決議(IUの合意解釈、「農民の権利」)
    ・UNCED(注2)の92年開催を決定
    ・CBDに生息域外も含める
    91年:FAO総会決議(人類の財産も国家の主権に従属)
    92年:CBDテキストの合意 UNCED開催

    注1:「Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights」(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定、WTO協定附属書1-C)
    注2:「United Nations Conference on Environment and Development」(国連環境と開発会議、いわゆる地球サミット)

     この時期には、TRIPSやUPOVなどで知的財産権の保護が強化される方向に動いたので、それによる利益が北側に囲い込まれるのではないかといった思いなどから、南側からは反発が強まった。「農民の権利」(農民が何世代にもわたり遺伝資源の保全、改良、提供をしており、これからもするであろうことによる貢献)は、UPOVで認められている育成者の権利に対抗する概念として、南側から提唱された(89年のFAO総会で認知)。
     CBDの策定も87年に合意されたが、89年になるとその対象に生息域外で保全されている生物を含め、さらに経済社会的な要因も考慮するなど、CBDの性格が変化してきている。91年には、FAOにおいて「遺伝資源は人類の財産」という従前の考え方も、各国の主権に従属するとされた。

     第3期では、農業植物遺伝資源についてはCBDが想定する2国間交渉(バイラテラルな交渉)による移転という考え方がうまく当てはまらないので(質問3.を参照)、CBDの特例措置を作るため、FAOではCBDとも調和させつつIUの改定を交渉した。このような交渉は、CBDのテキストとともに採択された「ナイロビファイナルアクト決議3」(92年)によって可能となったものである。なおCBDでも、遺伝資源問題は締約国会議で議論が続いた。

     第4期では、こういった遺伝資源に関する国際ルール(ITやボンガイドライン)をいかに実際に機能させるかという点が課題となっている。

    2. CBDは、遺伝資源アクセスルールにどのような影響を与えたか?

    【回答】

    1. 遺伝資源提供国の主権的権利が認められ、各国がアクセス規制法の制定に動いた(フリーアクセスの否定)。
    2. 遺伝資源の利用から得られる利益(金銭的・非金銭的)を、遺伝資源提供国と配分しなければならなくなった。

    【説明】
     遺伝資源へのフリーアクセスが否定され、各国の主権的権利が認められた結果、遺伝資源取得の可否を決める最終的な権限は、それが存する相手国政府の手に委ねられた。さらに遺伝資源の利用から得られる利益(これには金銭的なものとそうでないものがある)を、遺伝資源提供国と公正かつ衡平に配分しなければならなくなったが、とくに金銭的な利益配分に関連する問題では激しい論争が行われている。こうして遺伝資源へのアクセスと利益配分は常に一つのセットになって、ABS(Access and Benefit Sharing)という言葉ができている。
     このような状況の中で、遺伝資源へのアクセスに関するルールの具体的な運用がはっきりしていない国も多く、どういう手続きで海外遺伝資源へアクセスしたらよいのかわからない人が多いのが現状である。なお、 CBDにおいて、条約の具体的な実施のあり方まで合意できなかったことに起因する混乱は、既に92年11月の近藤次郎先生の次のご発言のとおり予見されていた。

     「過激なことを言えば、・・・生物多様性条約も、ブッシュさんがサインしませんでした・・・。すべて、問題が後に残ってしまって、今度は、そういう意味で一つのお祭りというか、事の出発点ではなかったのかと思うのです。・・・例えば、生物多様性条約は、日本の製薬会社では、今後大変大きな問題になってきまして、農水省あるいは通産省も入って、環境庁の間で、相当もめる火種になったのではないだろうか。・・・」
    (座談会:地球サミットを終えて「ジュリスト」No.1015 93年1月)

     さて、遺伝資源からの利益配分に関するCBDの条文を具体的に見てみよう。
    第15条「遺伝資源取得の機会」から二つのパラグラフを選ぶ。
    1 各国は、自国の天然資源に対して主権的権利を有するものと認められ、遺伝資源の取得の機会につき定める権限は、当該遺伝資源が存する国の政府に属し、その国の国内法令に従う。
    7 締約国は、遺伝資源の研究及び開発の成果並びに商業的利用その他の利用から生ずる利益を当該遺伝資源の提供国である締約国と公正かつ衡平に配分するため、・・・、適宜、立法上、行政上又は政策上の措置をとる。その配分は、相互に合意する条件で行う。

     このほかCBDでは、原住民(注)等の伝統的な知識(TK:Traditional Knowledge)についても利益配分を求めている。例えばシャーマンが持っている地元の薬草利用に関する伝統的な知識を聴き取って薬品開発に利用する場合がこれであり、応分の利益配分なしに利用してはいけないこととされた。

    注:ここではCBDの公定訳に従う。現在では「先住民」と訳される。

     TKについては、CBD第8条(j)が規定している。
    第8条(j)
     自国の国内法令に従い、生物の多様性の保全及び持続可能な利用に関連する伝統的な生活様式を有する原住民の社会及び地域社会の知識、工夫及び慣行を尊重し、・・・並びにそれらの利用がもたらす利益の衡平な配分を奨励すること。

     以上がCBDのABS等関連規定の概要であるが、いざ実行の段階にさしかかると遺伝資源を取得する側(主として北側)と提供する側(主として南側)の間でなかなか折り合いがつかない。この背景にある南側の感情は、次のようなものと考えられる。

    1. 南北問題(南北間の経済格差への不満)
      72年のストックホルムでの「国連人間環境会議」では、先進国と開発途上国で大きな対立があった。おおざっぱに言えば、開発途上国側は公害を出しても自分たちは開発したいと主張したのである。しかし92年のリオデジャネイロでの「地球サミット」では、そこまでは主張しないが開発途上国も持続可能な開発が可能となるよう、先進国側に技術や資金の提供を求めたのである。しかし、南北間の経済格差は必ずしも縮小していない。
      さらに80年代末から90年代初めに冷戦が終結し、東西からあらためて南北にという対立軸の変化が意識されたこともあろう。
    2. グローバリズムへの反発
      グローバリズムに対しては、南側に反発の感情がある。WTOや知的財産権制度も含め、各種の国際ルールが北側のイニシャティブで決まっていくことに対する反感がある。この感情が、遺伝資源問題の場にも反映されていると思われる。
    3. バイテクの進歩への期待
      バイテクが進歩すると、遺伝資源が実際には利益を産み出すかどうかわからないものの、これが非常に大きな利益につながるのではないかとの期待が高まった。とくに遺伝資源は南側の国に豊富にあると言われているため、遺伝資源利用からの利益配分に対する南側の期待は、北側の想定より大きくなりがちである。

     なお、CBDの世界では、以上のような南側の感情から遺伝資源へのアクセス規制があまりに強まり(厳しい国内法の制定等)、これが純粋な学術研究の足かせとなってきた。科学者からは、例えば次のような不満の声が上がっている。

    1. Calestous Juma (注)1995 at ICW(国際会議での発言)
      「Developing countries in particular are indicating a desire to exert sovereignity over their germplasm in a way that could make future international collaboration extremely complicated.」
      注:初代CBD事務局長。
    2. Jeffrey A. McNeely 1999 雑誌「Plant Talk」April
      「Hands off our Genes」
    3. Andrew C. Revkin 2002 新聞「The New York Times」May 7th
      「Biologists Sought a Treaty; Now They Fault It」

    3. IT(注1)は、なぜ必要か?

    【回答】
     生息域内の生物多様性の保全・利用を中心に考えるCBDと異なり、農業植物遺伝資源には、強度のバイラテラルな考え方の導入が困難である(既存システムにも親和しない)。

    【説明】
     農作物は、古くから人とともに移動し、また、自然的・人為的交配や選抜が行われてきた。例えば国際機関CIMMYTで育成されたコムギ品種VEERYは、26カ国から集めた51の遺伝資源を3170回交配して選抜・育成されている。このように農業植物遺伝資源では、遺伝資源の原産国を特定できず、また、各遺伝資源の寄与の度合いの推定も困難である。CBDでは、生息域内保全されているもの(遺伝資源の原産地が明確)を中心に考えているのでバイラテラルな仕組も可能であろうが、農業植物遺伝資源ではこの仕組が円滑に動きにくいという状況がある(さらに、一つ一つの遺伝資源について個別交渉するのではコストが大きい)。加えて、国際機関も含め既に多数の植物遺伝資源が生息域外保全されていたという実態がある(約600万サンプルが、1320の保存施設で保全(96年のFAO会議資料))。
     そこで農業植物遺伝資源は、バイラテラルな仕組を弱めて他の遺伝資源とは別に扱わなければならないということになった。このため、FAOのIUをCBDと調和させつつ改定することとなり、その結果がマルチラテラルな遺伝資源交換システムを基礎とするITである(注)。

    注:ITの対象となるのは、附属書1に掲載されている35作物及び29属の飼料作物である。

    4. ボンガイドライン(注2)で、どのような方向に向かうのか?

    【回答】

    1. 純粋な学術研究(分類学)には、一定の配慮か?
    2. 生息域外保全物の扱いは、簡素化か(生息域内のものでは、その余地は少ない)?
    3. しかし、知的財産権取得時の利用遺伝資源の原産国開示や適正な国境間移転の認証制度など、厳しい議論は続くだろう。
    4. 遺伝資源と関連TKがセットで議論されるという変化が生じた。

    【説明】
     2002年にCBDの枠組の中で合意されたABSに関するボンガイドラインには、手続きを簡素化する面と煩雑化させる面がある。
     CBDに基づく取組の中で、GTI(Global Taxonomy Initiative)という生物多様性把握のための分類研究が進められているが、このように純粋な学術研究には一定の配慮をしようということになった。また、ジーンバンクのような生息域外保全のものについては、政府から保全機関の長に予め権限委譲しておけばいちいち政府の了解がなくとも済むようになる可能性がある。
     一方、海外からの遺伝資源やTKを利用した研究成果に対して知的財産権保護を取得しようとする際、利用した遺伝資源の原産国やTKの出所を開示する措置の奨励や、ABSのルール遵守を行う機関に関する任意の認証制度の導入といった新たな措置もうたわれている(この原産国開示要求は、CBDだけでなくWIPO(世界知的所有権機関)などでも行われている)。また、このガイドラインが法的拘束力を持つものにすべきとの意見も、南側から出ている。
     さらに、ボンガイドラインにおいて、今までは原則的に別の話だった遺伝資源問題(ABS)と伝統的知識問題(TK)がセットになって論じられるようになった。つまり、遺伝資源を海外に持ち出そうとすると、それにまつわる知識の持ち出しも同時に一つのガイドラインで規制されることとなり、より慎重な対応が必要になる。


    注1:FAOで2001年に採択された「International Treaty on Plant Genetic Resources for Food and Agriculture」(食料農業植物遺伝資源に関する条約(仮称))。まだ発効していない。

    注2:CBDで2002年の第6回締約国会議(COP6)における決議24「Bonn Guidelines on Access to Genetic Resources and Fair and Equitable Sharing of the Benefits Arising out of their Utilization」(遺伝資源へのアクセスとその利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分に関するボンガイドライン)。


    全体の総括

     遺伝資源の国境間移転については以上のような国際的状況にあるが、CBDなど国際条約の今後の検討スケジュールを見ると、ここ1〜2年のうちに国際ルールがさらに具体化されていくと予想されるので、今後の動向を注視する必要がある。

     なお、各国における遺伝資源へのアクセス規制制度の整備が不十分な状況下で仮にある遺伝資源の移転が見過ごされたとしても、5年・10年先にそれを使った研究成果(研究発表、知的財産権取得、商業化等)が出る段階になって、その国境間移転過程が表面化して問題となる可能性も否定できない。このため、海外からの遺伝資源の取得においては、現時点で守るべきルールは遵守するという対応をお願いしたい(注)。

    注:国際条約は、あくまでもそれに賛同する締約国間に適用される。我が国はCBDに加盟しているが、IT(未発効)には現時点で加盟していない。


    後記

    以下に、有益と思われるURL等を記す。

    1. CBDテキスト:http://www.biodiv.org/doc/legal/cbd-en.pdf
    2. CBD締約国:http://www.biodiv.org/world/parties.asp?tab=0
    3. ボンガイドラインテキスト:http://www.biodiv.org/decisions/ から、DecisionⅥ/24を選択。
    4. ITテキスト:ftp://ext-ftp.fao.org/waicent/pub/cgrfa8/iu/ITPGRe.pdf
    5. 山本昭夫宛電子メール:yamaaki@primaff.affrc.go.jp

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