海外学術調査フォーラム

研究連絡会 講演

「マヤ考古学調査と遺物・情報の持ち出し-ホンジュラスとグアテマラの事例から」
  青山 和夫(茨城大学)

 本発表ではまず19世紀以来のマヤ考古学の発展と現地の人々が置かれた知の植民地主義的状況を概観する。
 次に1984年以降日本人研究者が実施してきた中央アメリカのホンジュラスとグアテマラにおける現地調査の事例を紹介・検討する。
 最後に日本人研究者として、英語・日本語などによる論文・研究書の執筆・出版や日本における教育・啓蒙活動を行う他に、現地への調査成果の還元に努めることが重要であると結論する。


1. 植民地主義人類学としての近代マヤ考古学の発展

  1. マヤ文明は、19世紀に欧米人探検家たちによって「発見」(再発見)された。
  2. 近代マヤ考古学は、19世紀末から本格的に開始され、遺物と情報の両方が持ち出された。
  3. 20世紀半ばまで、主に上流階級に属した欧米マヤ学者たちが古代マヤ文明を研究した。
  4. 古代マヤ文明は「熱帯雨林の中で突然起こった、戦争のない平和な文明であり、都市は発達せず、神官たちが天文学や暦の計算に没頭」した「世界史上まれに見る神秘的でユニークな謎の文明」として、英語、フランス語、ドイツ語などの外国語で表象された(サブロフ 1998)。
  5. 筆者は、こうした古代マヤ文明を調査する側にあり、現地社会に対して政治的・経済的・文化的に優位な権力格差を有していた当時の欧米マヤ学者たちのまなざしを「マヤ・オリエンタリズム」と呼んでいる(青山 2000・2001)。


2. 現地の人々による調査研究体制の整備の遅れ

  1. 国立人類学歴史学研究所が設立されたのは、グアテマラでは1946年、ホンジュラスでは1952年であった。
  2. 文化財保護法が制定されたのは、ホンジュラスでは1984年、グアテマラでは1997年であった。
  3. ホンジュラスでは、いまだに国内の大学に考古学の専攻講座が開講されていない。
  4. ホンジュラス国内には、アメリカ、メキシコ、ドイツといった外国に留学したホンジュラス人考古学者が4名いるのみである。これらの考古学者の多くはデスク・ワークに追われ、資金難から自ら調査に従事できない状況にある。
  5. グアテマラでは、国立サン・カルロス大学と私立バジェ大学に考古学の専攻講座がある。
  6. グアテマラ国内には、アメリカなどの外国留学・学位取得者をはじめとして、100名以上のグアテマラ人考古学者がいる。しかし資金難のために、現在グアテマラで実施中の圧倒的大部分の考古学プロジェクトは、アメリカをはじめとする外国の資金に依存している。多くのグアテマラ人考古学者が共同調査団長として働いている。


3. 古代マヤ文明の新モデルの構築と知の植民地主義

  1. 1960年代以降、調査・研究の積み重ね、アメリカにおける人類学としての新しい考古学の理論・方法論の変革、及び新しい科学技術の導入によって、より現実的でより客観的な古代マヤ文明の見方が構築されている(サブロフ 1998)。
  2. 古代マヤ文明は「徐々に都市が発展し、王たちが戦争を繰り広げた決して平和ではない文明であり、碑文には支配層の歴史も記録された」、以前ほど「神秘的で謎の文明」ではなくなっており、世界に数ある特徴をもった古代文明の一つになっている。
  3. マヤ考古学の調査や遺物分析の成果・情報の大部分が、英語をはじめとする外国語で出版されるという知の植民地主義的状況が続いている。


4. 日本人によるマヤ考古学の調査(ホンジュラスとグアテマラ)

  1. ラ・エントラーダ考古学プロジェクト(第一期1984−1989年、第二期:1990−1993年)は、日本人が組織的に最初に行ったマヤ考古学調査であった。国際協力事業団青年海外協力隊と国立人類学歴史学研究所の協力によって実施された。

    第一期:1984−1989年(「面の調査」による基礎データの収集)
    1. 遺跡の踏査(全面調査法により150平方kmの調査地域で635遺跡確認)。
    2. 遺跡の測量(マウンドを有する全遺跡の500分の1の平面図作成)。
    3. 試掘調査(階層化ランダム・サンプリング法により37遺跡の試掘調査)。
    4. 土器、石器、その他の遺物の分析。

    第二期:1990−1993年(エル・プエンテ遺跡の発掘・修復・公園化)
    1. エル・プエンテ遺跡の全面発掘。
    2. エル・プエンテ遺跡の修復。
    3. 国内第二の国立遺跡公園として一般公開。
    4. 土器、石器、その他の遺物の分析。

    調査の成果
    1. 先コロンブス期における人間の居住シークエンス(紀元前1400年−西暦900年)が確認された。
    2. ラ・エントラーダ地域がマヤ文化と非マヤ文化のクロスロードとして繁栄していたことが解明され、さらに先コロンブス期の交易網が復元された。
    3. これまで未確認の黒曜石原産地が、ラ・エントラーダ地域から西に約30kmのサンタ・バルバラ県サン・ルイスにおいて確認された。

    現地への還元
    1. スペイン語による全三巻の研究報告書が発刊された。
    2. 地元や全国各地で講演会を開催した。
    3. 地元の高校で毎年、考古学展示会を開催した。
    4. ホンジュラス国立自治大学で考古学の集中講義を行った。
    5. ラ・エントラーダ考古学博物館の開館に協力した。
    6. ホンジュラス人への技術移転(専門技術者の育成)を行った。
    7. 現地の学会においてスペイン語の研究発表を行った。
    8. 現地の学術雑誌にスペイン語論文を執筆した(たとえば、Aoyama 1989)。

  2. その後、筆者を含む同プロジェクトに参加した日本人が、ホンジュラスのコパン遺跡などで現地調査を実施した。スペイン語・英語による論文及びバイリンガル版の研究報告書を刊行した(Aoyama1999)。

  3. グアテマラのアグアテカ考古学プロジェクト(1996−2003年)。
    1. アメリカのNSF、日本の科研費・三菱財団その他の研究補助を受けた。
    2. 「マヤ低地のポンペイ」アグアテカ遺跡において、古典期マヤ人の日常生活を研究した。
    3. 調査団長:アリゾナ大学助教授の猪俣健
      共同調査団長:エリック・ポンシアーノ、ダニエラ・トリアダン、青山和夫
    4. グアテマラ、日本、アメリカ、カナダ、スイス、ドイツ、ポーランドの国際的な調査団員が、共同研究を行った。
    5. 支配層の住居跡を全面発掘した。
    6. 多種多様な遺物の実証的なデータを互いに検証する学際的な研究が行われた。

    調査の成果
    1. 遺物の分析によって、アグアテカ遺跡が敵襲にあった「最後の時」(800年頃)を復元した。
    2. 敵がアグアテカ遺跡中心部を徹底的に破壊していることから、戦争の激化が古典期マヤ文明の衰退の重要な要因の一つであったことが実証的に明らかにされた。
    3. 支配層住居の空間利用には一貫性が見られ、食糧の貯蔵・調理・飲食をはじめとする広範な日常活動だけでなく、中央の部屋を書記の活動の他に訪問客の接待や会議に利用されたことが実証された。
    4. 支配層住居は単なる家族生活の住居空間であったのではなく、政治活動にも利用された。つまり宮廷の行政機能は、空間的に複数の地位の高い貴族の住居に分散していた。
    5. 発掘された全ての支配層の住居跡から手工業品の半専業生産の証拠が見つかり、支配層が奢侈品や実用品の生産を広く行なっていたことがわかった。
    6. 古典期マヤ支配層に属した書記兼工芸家は、複数の社会的役割を担っていた。

    現地への還元
    1. 現地の研究者との共同研究として、スペイン語による調査研究書を毎年提出した。
    2. 現地の学会でスペイン語の研究発表を行った。
    3. 現地の学術雑誌にスペイン語論文を執筆した(たとえば、Aoyama 2000)。
    4. 国立考古学遺跡公園であるアグアテカ遺跡の整備へ協力した。
    5. 現地の博物館展示に協力した。
    6. 現地の大学で講演を行った。
    7. 現地人大学生の教育・訓練・技術移転に力を入れた。

  4. 両国では特殊な分析を除き、遺物は基本的に国外に持ち出せないために現地で分析した。分析の成果・情報は国内に常に残した。また、その後は、国外へ持ち出すことが可能になった。

  5. 例外としては、グアテマラでは実施不可能な高倍率の金属顕微鏡を用いた石器の使用痕分析を筆者が日本で行うために、グアテマラ国立人類学歴史学研究者から毎年700点前後の石器サンプルを借り受けた。石器サンプルを返納し、スペイン語による調査研究書を提出した後に、新たな石器サンプルを借り受けるという手順を踏んだ。

5. 結論

 日本人研究者として、英語・日本語などによる論文・研究書の執筆・出版や日本における教育・啓蒙活動を行う以外に、いかに現地に調査の成果を還元できるかが重要である。具体的には以下の活動は挙げられる。

  1. 現地の研究者との共同研究として、スペイン語による調査研究書や現地の学術雑誌にスペイン語論文の執筆・出版。
  2. 現地の学会でのスペイン語の研究発表。
  3. 遺跡の発掘・修復と国立考古学遺跡公園の設立・整備へ協力。
  4. 現地の博物館展示への協力。
  5. 現地での考古学展示会の実施。
  6. 現地での講演会の実施。
  7. 現地の大学での集中講義・講演。
  8. 現地での考古学技術者や学生の教育・訓練・技術移転。

引用文献

Aoyama, Kazuo
1989 El Estudio de la Litica en la Region de La Entrada, Honduras. Yaxkin 12(2):65-99.
Instituto Hondureno de Antropologia e Historia, Tegucigalpa.
1999 Ancient Maya State, Urbanism, Exchange, and Craft Specialization: Chipped Stone Evidence of the Copan Valley and the La Entrada Region, Honduras / Estado, Urbanismo, Intercambio, y Especializacion Artesanal entre los Mayas Antiguos: Evidencia de Litica Menor del Valle de Copan y la Region de La Entrada, Honduras. University of Pittsburgh Memoirs in Latin American Archaeology No. 12. Department of Anthropology, University of Pittsburgh, Pittsburgh, PA.
2000 La Subsistencia y Produccion Artesanal de la Costa Pacifica del Sur de Mesoamerica: An?lisis de las Microhuellas de Uso sobre la Litica de Obsidiana del Sitio Albeno, Escuintla, Guatemala. U Tz'ib 2(9):1-10. Asociacion Tikal, Guatemala.
青山和夫
2000 「新しい古代マヤ文明観から異文化理解を考える:“マヤの水晶ドクロのいかさま」 『科学』70(3):170−174。
2001 「古代マヤ文明観の変遷とその現代的位置付け」『茨城大学人文学部人文学科論集』 35:1−28。
サブロフ・J. 青山和夫訳 1998 『新しい考古学と古代マヤ文明』新評論。


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