海外学術調査フォーラム

研究連絡会 講演

「ヒマラヤでの氷河縮小の加速」
  上田 豊(名古屋大学環境学研究科)


1. 地球温暖化による海面上昇

 北半球の平均気温は、19世紀の小氷期が終わってから1940年代までに0.5℃程度上昇したが、その後1970年代まではやや下降気味であった。ところが70年代後半からの20年くらいの間に約0.5℃上昇してきた。これが近年、社会的にも注目されている地球温暖化であり、その主因は人為的な温暖化ガスの放出によると考えられている。


 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)2001は、今後100年間で地球の平均気温が1.4 - 5.8 ℃上昇するとしているが、最終氷期の後、現在までの1万年間に何度か繰り返された寒候期と暖候期の気温の変動幅は、2℃程度の範囲内にあった。その温度スケールと同等あるいはそれ以上の変化が、一気に百年の時間スケールで起こるというのである。この急激な変化は人類にとって未知の経験であり、予測を超える現象が起こるおそれもある。


 雪氷圏は0℃以下の温度条件で成立しているので、温暖化はもろに雪氷量の減少につながる。陸上の雪氷量の減少分は水として海に流入し、海水量が増加して世界の海面が上昇する。100年後の海面上昇は約50cmと見積もられているが、そのうちの6割近くが水温の上昇による海水の熱膨張、残りは陸氷量の減少分による【表1】。


【表1】地球温暖化による100年後の海面上昇予測値

2100年の海面上昇予測値(㎝)
<IPCC 1995>
原因要素
海水の熱膨張 28
氷河・氷帽 16
グリーンランド氷床 6
南極氷床 -1
合計 49
推定幅 (20−86)
温暖化 (1.5)−2.5−(4.5)℃

 地球上の陸氷現有量のうち、南極氷床とグリーンランド氷床を除く他の山岳地域の氷河氷量は全体の1%にも満たないが、100年後の陸氷減少量の7-8割はこの山岳氷河の減少によると見積もられている(表1の氷河・氷帽16cmが相当)。この予測通りだとすると、山岳氷河の現有氷量のおよそ3分の1が、今世紀末までに失われる計算になる。

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2. 世界の氷河変動モニタリング

 氷河の変動は、その末端位置や質量(雪氷量)の年々変化で観測される。末端変動の方が観測しやすいが、気候変動や海面変動との関係を研究するためには、質量収支データの方が役立つ。質量収支のデータは、1900年代後半からヨーロッパを中心に蓄積されてきている。観測された氷河は欧米にかたよっているが、World Glacier Monitoring Service がまとめた資料によると、世界的にも1970年代後半から氷河の年間質量収支が負(赤字)となり、年々の赤字分が最近ほど大きく、氷河の縮小が速まる傾向にあるようだ。


 ヒマラヤの氷河はアプローチや観測が困難なため、質量収支が観測されてきた氷河は、わたしたちのグループによるネパールの数個の氷河などに限られ、それらも毎年継続して観測できるわけではない。20世紀も世界の海面は上昇したが、世界の山岳氷河の縮小による海面上昇分の2割たらずが、ヒマラヤの氷河縮小によると推定されている(Meier, 1985)。これは、ヒマラヤのデータがほとんど無いままの推定なので、以下に述べるヒマラヤの氷河特性を考慮すると過小評価だったかもしれず、またIPCCによる海面上昇の将来予測も過小評価になる可能性が高い。

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3. ヒマラヤの氷河の変動特性

 ヒマラヤでは、インド・モンスーンのため夏に降雪が多い。温暖化すれば、暖候期の雪は雨に変わりやすくなり、積雪量や氷河の消長にも関わってくる。欧米の氷河では、もともと寒い冬に雪が多いので、このような影響は少ない。1970年代に始まったわたしたちの研究グループによるヒマラヤの氷河観測は、世界の氷河研究者にまだよく知られていなかった、夏に雪の多い氷河(夏雪型氷河、夏期涵養型氷河)の特徴の解明を主目的のひとつにして進められてきた。

 ヒマラヤの氷河では日射が強いため、その融解は主に日射熱を吸収しておこり、氷河表面が汚れているほど日射吸収率は増える。夏雪型氷河では、融解期の夏に新雪が多い。新雪は、日射の大部分を反射して融解を抑制する効果がある。

 温暖化すれば降る雪が雨に変わる割合が増え、まず氷河に積もる雪が減る(質量の収入減)。本来、気温に敏感な雪氷は温暖な程よく融ける(支出増)。同時に、新雪が減るため日射熱による氷河の融解が進む(支出増)。すると融けた部分に含まれていた汚れが氷河表面に溜まるので、日射熱の吸収が増えて融解を促進する(支出加速)。またヒマラヤの氷河表面には藻類やバクテリアが繁殖し、融け水が多いほど繁殖が進んで汚れるため、日射熱の吸収を加速することもわかってきた。

 このように、ヒマラヤで夏の気温が高くなれば、氷河質量の収入は減るうえに、支出の増加が促進され、収支はさらに大きく赤字に傾く【図1】。


【図1】ネパール・ヒマラヤAX010氷河の夏の気温と質量収支の関係(氷河全体の平均値)。気温が高くなれば、氷河質量の収入(涵養量)は減るうえに、支出(消耗量:負の値)の増加が促進され、収支はさらに大きく赤字に傾く。

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4. ヒマラヤでの氷河縮小の実態

 ヒマラヤの氷河といっても多様だが、大分けすると、表面が岩屑で覆われない小型の氷河と、下流部が岩屑に覆われた大型の氷河がある。前者は主に山稜付近に分布し、後者は主谷を流下する谷氷河である【写真1】。前述した気温に敏感なヒマラヤの氷河特性は、小型氷河にあてはまる。大型氷河の上流部は、少々の気温上昇では雪が雨に変わることのない寒冷な高度6000m以上まで延びており、降水量の変動が氷河の消長に重要であろう。また、下流部の岩屑域での氷河融解の機構は複雑である。

【写真1】カンチェンジュンガ・ヒマールの大型氷河(ヤルン氷河:中央から岩屑に覆われて左下に流れる谷氷河)と小型氷河(手前山稜の岩屑に覆われていない氷河)


4-1. 小型氷河

 チョモランマ(エベレスト)のネパール側山域の小型氷河110個について、1960年頃調査したスイスのミューラーの結果とわたしたちの1975年頃の結果を比較すると、その間に86%の氷河の末端が後退していた。

 それ以降、最も詳しく調査されてきた東ネパールのAX010氷河では、1978年に長さ1.7kmだったのが、1991年までは平均4.5m/年で末端が後退し、のち1999年まで平均13m/年と後退が加速している。【写真2】(上)1978年→(下)1998年



 これら1978-91年(13年間)と1991-99年(8年間)の2期について、各々の縮小率を1年当たりの平均で比べると、面積(x104 m2)では0.5から1.1へ、体積(x106 m3)では0.41から0.52へ、氷河の平均厚さ(m)で0.75から1.08へと、いずれも1990年代に入って縮小が速くなっている。種々の仮定に基づく数値計算によれば、現在の気候が維持されたとしても、今世紀中にこの氷河は消失すると予測されている。


 中央ネパールのヤラ氷河(長さ約1.5km)では、平均厚さの減少率が1982-94年は0.31m/年、1994-96年には1.05m/年と、やはり縮小が速まっている。西ネパールのリカサンバ氷河でも、末端後退速度が1974-94年は10m/年、1994-99年には16.9m/年とスピード・アップしている。

【写真2】東ネパールAX010氷河における最近20年間の縮小

 以上、現地観測された氷河の数、測定できた年や項目に限度やばらつきがあるものの、1970年代以降、1990年代に入って小型氷河の縮小が加速しているのは明らかといえよう。


4-2. 大型氷河

 世界最高峰チョモランマの登山ルートである東ネパール、クンブ氷河のアイスフォール(氷瀑)が、登山経験者によると、以前ほど荒れてなく最近登りやすくなったという。1970年代と最近の写真を比べてみると確かにうなずける。これは氷河の流動速度が遅くなったためであろう。クンブ氷河(全長17km、【写真3】下)の衛星画像や地上調査の解析によれば、その中流部(【写真3】の中央)の流速が1978-95年に比べて1995-99年には約半分になっている。それとともに、この付近の氷河の厚さは、平均して1978-95年には約0.7m/年、1995-99年には約2m/年の速さで薄くなっており、最近になって縮小が加速している。

【写真3】チョモランマ峰(右上)から流れるクンブ氷河
上流部は手前の山に隠れ、下半部が岩屑に覆われて写真中央から左下に延びている。

 中央ネパールのリルン氷河(全長6.5km)では、1996-99年の期間のデータだけだが、氷河下流部の厚さが1-1.5m/年ほど薄くなっていた。


 従来、ヒマラヤの大型氷河の下流部は、表面を覆う岩屑層が厚いために断熱効果を持ち、氷の融解を抑制すると考えられていた。しかし、岩屑に覆われない小型氷河と同程度に氷河が薄くなっており、大型氷河でも同様に、最近の氷河縮小の加速傾向が観測されたのである。


 岩屑域の表面形態は複雑多様で、多数の池やそれを取り巻く裸氷の壁がある。わたしたちのグループによる観測から、氷河上の池周辺の融解は岩屑下の氷より10倍前後速く、それが融けやすい池・裸氷壁をさらに形成・拡大させるため、岩屑域の融解を促進するという考えもある。

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5. 雪氷圏の将来

 ヒマラヤ東部のブータンでも、わたしたちの調査・研究で、末端に氷河湖を持つ氷河が1980年代以降、年間30m以上の速さで後退し、その分だけ氷河湖が拡大していることがわかった。氷河湖は氷河末端のモレーン(堆石)で堰き止められているが、湖が拡大すると、その水圧で堆石堤の決壊による洪水の危険も増す。現地の住民にとっては深刻な問題だ。山歩きの旅行者もまきこまれるかもしれない。


 一方、氷河自体は、水を人工ダムで堰き止めるかわりに凍った固体で蓄えられた天然の貯水池ともいえ、貴重な水資源でもある。地球温暖化により、50年後には世界の山岳氷河にある氷量の1/4が無くなると予測されている(IPCC1995)。以上に述べたように、ヒマラヤではそれ以上の氷河縮小が起こりうるだろう。さらにその先はどうなっていくだろうか。

【写真4】残照のガンチェンポ

 はるかな高みにまぶしく輝く雄大な氷河。その景観はわたしには、地球の美観のひとつとして貴重に思える。それがもし、汚れた氷塊や崩れた地肌に変わるとしたら、さみしい。ヒマラヤは荘厳なままの姿で、この地球にあり続けるよう願わずにはいられない。【写真4】

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Last updated: 16 Aug, 2001
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