日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト研究事業
領域II - (1) 平和構築に向けた知の展開

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島田周平(しまだ・しゅうへい)
1948年生まれ。東北大学卒業。東北大学大学院理学研究科理学博士。
現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授。
主要業績:
『アフリカの食糧問題 : ガーナ・ナイジェリア・タンザニアの事例』(共著、アジア経済研究所、1996年)
『地域間対立の地域構造 : ナイジェリアの地域問題 』(大明堂、1992年)
「ナイジェリアの社会福祉−農村部における社会福祉−」(『世界の社会福祉』第11巻 労働旬報社、1998年)


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  島田と申します。地域概念の多重性という話をいただいたのですが、どうしても一つだけ言いたいことがあったものですから、今日は少しわがままを言わせていただきたいと思います。副題に書いておいたのですが、アフリカの人にとっての安全保障といった問題を考えさせていただきたいということです。

 これまで国連開発計画のところでも安全保障の概念が広がったと言われていますが、ハイデガーが言っているように、一つは国家の枠を取り払って、相対的に考えるということ、もう一つは軍事的ではなく政策、環境も取り込んで、安全保障概念を横にも広く考えようということで、これはよろしいと思います。翻って、いままでアフリカの人にとって国家は安全の保障たりえたかと考えると、いろいろ議論がありますが、ポストコロニアルの家産制国家として議論されてきたようなアフリカの国家が、個人の安全保障に役立ってきたとは思えないわけです。

 それとは逆に貧困や食糧不足というところから考えてみると、アフリカの人たちは「人間の安全保障」自体を非常に強く日常的に考えてきた。国家が守ってくれる安全保障なんか考えたこともなかったと言う人が多いかもしれません。このことが、これから「人間の安全保障」といった議論が一般化して、それがアフリカに「適用」すべきだといった形で覆い被さってくるときに少し問題が起きるのではないかと考えます。

 もともとアフリカは「人間の安全保障」というものが強かった、という発想に立ってみると、少し気になる動きがあります。現在は経済がグローバル化して、低開発国と先進国との関係は極めて密接になってきており、低開発国でのいろいろな不安や事件が即座に先進国に伝わるということがよく言われています。これを相互脆弱性と言っています。

 低開発国のガバナビリティがしっかりしないツケが、結局は相互脆弱性で先進国にも波及するのでよくない。したがって、低開発国のガバナビリティを確立するために先進国は手を出してもいい、主権国家の主権の中に手を入れてもいいという議論になってきているように思います。ここが非常に問題だと思います。アフリカの人たちや社会の安全保障は、先進国の安全保障のために必要なのだという発想が背後にあるように思えるのです。

 熱帯雨林を守るための言説とよく似ています。熱帯雨林は、現地の人たちが日々使うために必要なのではなく、先進国のCO2の消化のために必要だという論法と似ています。むしろ現在アフリカの人たちが必死になって構築している安全保障システムを基礎にアフリカにおける人間の安全保障が考えられないのか、というのが私の言いたいことです。

 これから具体的な話になりますが、アフリカの人たちが考える安全保障は、ある意味では必死な安全保障です。環境、生活、雨の降り方が温帯地方と全然違います。それと経済的な問題でも1990年以降、債務を返すために非常に急激な変化にさらされています。もう一つは、政治的にも各地に内紛がありこの点でも日々、日常的に安全保障にかかわらざるをえなくなっています。

 これまでの地域研究で、アフリカ社会は危険なもの、不確実なものに対応するシステムをすでに持っていたと言われています。図1にいろいろ書いておきましたが、危険分散するシステム、すなわち効率を求めるのではなく、危険を分散しながら、こちらがだめでもこちらで生き残るというシステムを持っていたということです。あるいは血縁的、地縁的ネットワークを通して、極めて濃密な社会的凝集性をもっているといわれています。危機が生じたときに、そのネットワークを発動して何とか生き残るということです。

 激しい移動というのは、アフリカ社会は非常に流動的だということです。アフリカの社会は停滞的で、伝統的なものに縛られていると考えられがちですが、狩猟採集民だけではなく農民もかなり頻繁に移動します。ある村が嫌になったらすぐに別のところへ出て行きます。そういう点ではほかの社会よりも流動性があります。

 もう一つはブリコラージュというものですが、これは社会で非常に対応力のある人たちというか、農村部にいる人が都市へ行って都市で生きていくために、農村にあったような組織を改編したり再編したりして、いろいろな組織をつくって生きていく。そういう柔軟性を持っているということもよくわかっています。

 もう一つは交渉や不服従です。アフリカなどへ行くと、Everything is difficult, but everything is possible.という言い方をしますが、何事も交渉です。契約書があるからそれで決まりというわけではなく、交渉が非常に重要です。それはある意味では安全保障になっているわけです。

 不服従というのは、国家がこういう法律を出したからそれに服従しなければいけないという観点から言えば規律性に欠けますが、国家の言うとおりにしておくと大変だという経験があります。ですから国家から離脱したり不服従になるというのも、生きるための保障です。

 モラル・エコノミーというのは、伝統社会が残っているところでは今も存在します。近代化論、経済の自由化、政治の民主化など、植民地時代から2004年の現在までアフリカに対して上から覆い被さってきたこと、赤い文字で示したことは、アフリカ社会が持っていた安全保障制度を潰すような効果があったと思います。いま議論されている「人間の安全保障」も、これに新たに加わる可能性を持っているように見えて、もしそうだとすればこの点は警戒してほしいと思います。

 時間があったら細かくお話ししたかったのですが、アフリカの人たちが安全保障ということで、たとえば農民のレベルでどういうことをやっているか、農業に関して少しお話しします。耕作レベルでも間植・混栽でいろいろなものを混ぜて植えたり、共同で耕作したり、あるいは家族が大きいとか相互扶助システム、いろいろなもので安全保障をしてきたということです。

 写真1は私が調査しているナイジェリアの村の畑ですが、こういうマウンド(畝)の上、脇、下のところにいろいろな作物を同時に別々に植えます。雨の降り方が変わったり、虫害があったりしても、作物がどれか生き残るということで安全保障になっています。でもこれは近代的な農業から言うと、生産性が低いということで否定されます。しかし危険分散という安全保障から言うと、非常に合理的なわけです。

 もう一つは、いまだに共同耕作しているところが多い。土地が共同保有ということとも関係しますが、近代的な農業から言うと、土地が共同保有で生産性が上がらない、投資意欲がわかないということで否定されます。

 たとえば犂耕するためには牛ができれば4頭、最低でも2頭必要です(写真2参照)が、実際に私が調査したザンビアの村では、所有頭数が2頭以下の人がかなり多い。自分の家畜だけで耕すことができない人たちはどうするのかということです。この意味では、共同耕作というのも安全保障として非常によく働いているということを確認しなければいけないわけです。

 家族が大きいということも、労働力の確保の点で安全保障の意味を持っていると言えます。みんなで助け合っているということです。もう一つは親族の中で、ある1シーズンで貸し借りした調査結果ですが、これだけのことをやりとりしています。日本の結いや手間というレベルを超えた数です。

これは1997年に病気の牛を屠殺せざるをえなくなって、その肉をまわりの村人にどのように配ったかを示しています。当然そのお返しを返してもらわなければいけないのですが、1年後の調査で、この人が牛のお礼を全部回収していないことがわかりました。

 日本的に言うと、あげた肉の回収ができていないということはよくないように見えるけれども、回収しきれない。彼自身は別の人に対して別の負債を持っているわけです。お互いに負債を持って、債務も持っているという関係です。この関係を切らない、貸し借りをそのままにしておくということです。共同労働を行うとか、こういう濃密な関係はある意味で立派な「安全保障」だった。しかし近代的にはそういう関係を清算して、人と人との間に合理的な関係をつくるべきだという近代化論がありますが、危機のときにどうなるかというと、アフリカの場合こちらのほうがまだ利点があるような気がするわけです。

 まとめてみます。図2で示したように、危機的なものが起きたときに、いろいろなかたちで対応しますが、この赤字で示したものは、どちらかというと近代化論や農業の近代化論の中で指摘されてきたことです。生産性は低いし、土地の共同所有は投資のインセンティブがなくなるし、大家族制度はジェンダー問題、エイズ問題がある。扶助制度なんて前近代的な補助システムだというので、ある意味では潰すように、なるべく変えるように、私たちは言い続けてきたことになります。アフリカのほうから見れば言われ続けてきたわけです。

 翻って、今度は安全保障システムということですが、新しいシステムがもし必要だとしても、急激に押しつけることはいいのか。ここに書いておきましたが、アフリカは1990年代から急速に民主主義を押しつけられています。それは選ぶ道がなくて押しつけられたわけです。いろいろな政治学者の人たちが研究していますが、憲法はできているけれども、憲法をつくる精神を誰も理解していないということがたくさん起きて、選択肢なく強制的に上から降りかかってきたようなことが再び起きていいのか。そうしたときには伝統的にある安全保障システムを少しずつ利用していくしかないのではと考えています。

 その事例を一つ言います。写真3は私が調査している村で村長が発令した、村人を追い出すための追放令の手紙の実例です。手紙を出すというのも近代的なやり方ですので、すでに半分、近代が入っているわけですが、追放を出すと、村人はこの村長のところへ直接行かないで、長老、血縁者、友人、村議会に持っていく。こういうことで困っていると言ったら、この人たちが村長のところへ行って調停をやります。結局、だいたいの場合は村長も折れて条件を出します。その条件を間接的に伝えて、和解が生じて、ここで完結します。滅多なことで離村というのはありませんが、これがある意味では安全保障システムです。

 しかし最近、こういうことが起きてしまいました。村民が村長から追放書をもらったときに、首都へ行って人権NGOに直訴してしまったわけです。そうすると人権NGOは当然、見解というものを、村長ならびに村長のもっと上の首長にも出します。そうすると村長はびっくりします。何だということで村議会を召集して、この人たちにも話をします。彼のやった行動はこの伝統的な安全保障ルートを通さないでまったく新しいルートを通してやったものですから、村議会の人、長老の人たち、血縁の人たちも彼を非難します。

 結局、議論したけれども、村長は自分のほうの味方が強いと思ったので、この村民に対して修復困難な非常に強い手紙を再び出すことになりました。まだ彼は村にいますけれども、今度行ったときに彼がいるかどうか、非常に心許ない状況です。つまりこういう新しいシステムが入ってくるときの入り方と古いシステムとの調整の難しさを考えるわけです。

 いまアフリカにある安全保障システムが有効に機能して、すべてこのままでいいとは絶対に思っていません。そのうちの一つの事例ですが、図3は私が調査している家の家系です。黒で書いたのは亡くなった方たち、数字は亡くなった年です。これを見てわかると思いますが、伝染性の病気でかなり多くのメンバーが亡くなったということです。こういうことが起きてくると、いままで伝統的にうまく機能した安全保障が、大家族であるがゆえにその内部で伝染し、家族全体にとっても危機になります。

 ですから安全保障の中には非常にうまくいくものと、うまくいかなくなって機能不全に陥ったものがあるということです。アフリカは世界の中でもっとも脆弱な社会かも知れません。しかし最も脆弱な社会の安全保障システムであるが故に、ただ機械的に新しいものに変えなければいけないというのは間違いだろうと思います。もう少し各社会を見る眼というか、先ほどインディジナス・ナレッジ、伝統的な知識ということを言われましたが、安全保障に関してもそういう眼をもつことが重要なこととなのではないでしょうか。それが今日言いたかったことです。

 

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