概要


「豊饒なる埃及」とは

 今から三年前に、アジア・アフリカ言語文化研究所で行った企画展を、私たちは「鮮麗なる阿富汗(あふがん)一八四八」と名づけました。当時、戦争やテロ、殺戮などの報道で暗いイメージに包まれていたアフガニスタンに、実は驚くほど鮮麗で豊かな文化があったことを示したかったからです。一方、今回の展示に際しては、古来より豊かな農業国として東地中海の穀倉の役割を果たしてきたエジプトのイメージそのままに、「豊饒なる埃及」と名づけることにいたしました。「豊饒」は、今回展示した石版画が描き出すナイル流域の人びとの文化のあまりの多様さに目を奪われたとき、自然に心に浮かんでくることばであります。また「埃及」は「エジプト」の漢字表記で、現在の中国における漢語でもこのように表記します。

「オリエント画集」について

 本展で展示しているエミル・プリス・ダヴェンヌ(Émile Prisse d'Avennes)の作品は、『オリエント画集:ナイル流域の人びと、服装、生活様式(Oriental Album: Characters, Costumes, and Modes of Life, in the Valley of the Nile)』と題して、一八四八年にロンドンで出版されました。

 プリス・ダヴェンヌ自身は、フランス王立工芸院で建築技師の免状を得た後、一八二七年にエジプトに赴き、当時精力的に近代化(富国強兵・殖産興業政策)を進めていたムハンマド・アリー政権のもとで技術者として働きましたが、一八三六年に職を辞してからはエジプト学を志し、古代遺跡の調査・発掘に携わりました。
 彼がナイル流域の各所で描いたスケッチを、アシル・ドゥヴェリア(Achille Devéria)をはじめとする十一名の石版画師が多色石版画(クロモリトグラフ)としてパリで印刷し、一八三〇年代初めにエジプトを訪れたことのあるイギリス人ジャーナリスト、ジェームズ・オーガスタス・セイント=ジョン(James Augustus St.John)の解説を付して出版されたのがこの作品集です。

プリス・ダヴェンヌはこの作品集を、一八四一年頃から二年ほど自身の発掘助手を務め、一八四三年に不慮の事故のために二八歳の若さで亡くなったイギリス人、ジョージ・ロイド(George Lloyd)に捧げています。ロイドは『オリエント画集』の原画となった一連の絵を描くことをプリス・ダヴェンヌに勧めた人物で、エジプト人の服装をしてシーシャ(水タバコ)を手にした肖像画がこの作品集の巻頭に収められています。エジプト学者であったプリス・ダヴェンヌが同じ時代を生きる人びとに対して抱いた強い関心と、建築技師として培った正確な写生術、さらに若き友人の勧めが加わって、ナイル流域の風俗や習慣をいまに伝える、極めて希少な価値を持つこの画像資料集が誕生したのです。

民族誌の資料として

 ヨーロッパ人によるエジプトの民族誌としては、アラビア語学者エドワード・ウィリアム・レーン(Edward William Lane)の記念碑的な著作『現代エジプト人の風俗と慣習(An Account of the Manners and Customs of the Modern Egyptians,1836-37年)』が有名です。レーンは一八二六年からの二年半、さらに一八三三年から一八三五年にもカイロに住んで、『アラビアン・ナイト』翻訳の資料とするために観察したエジプト人の社会生活の諸相を、本人の描いたイラストを交えた二巻の本にまとめあげました。その記述は極めて正確かつ詳細で、体系的であることでも群を抜いていますが、含まれている図版はカラー図版ではありませんでした。一方、プリス・ダヴェンヌは一八二七年から一八四四年までの十七年間、また一八五八年から一八六〇年にもエジプトに滞在し、現地の人たちと同じ服装をしたうえに、イスラーム教徒のようにイドリース・エフェンディ(Idrīs Efendi)と名乗って、現地社会に溶け込んでいました。彼のエジプト滞在期間はレーンの四倍以上にのぼり、もし彼が自ら描いたこれら一連の作品に自分自身で詳細な解説をほどこしていたなら、本作品集の資料的価値はさらに高まっていたに違いありません。

対象を正確にとらえる目

 もともと建築技師であったプリス・ダヴェンヌのスケッチはこのうえなく正確で、しかも自ら多色石版印刷の仕上がり具合をパリの印刷所で確認したと思われることからも、この作品集は一八四〇年代前半のナイル流域の人びとの姿を正確に伝える、世界有数の画像資料と見ることができるでしょう。

 プリス・ダヴェンヌの『オリエント画集』は、ナイル流域に暮らすさまざまな階層の人びとを、鮮やかな彩色とともに詳細に描いているのが特徴です。ヨーロッパ人旅行者の描いたエジプトは往々にして古代の巨大建造物が中心を占め、そこに暮らす人びとが描かれることはむしろ稀だったのですが、プリス・ダヴェンヌは人びとの服装や装飾品、家具や小物、生活用品はもちろん、兵士・戦士・護衛・遊牧民が所持する武器やラクダの装備、女性の刺青に至るまで、非常なこだわりをもって丹念に描写しています。

 試みに、今日でも話題にのぼることの多い女性のヴェールをプリス・ダヴェンヌの作品のなかから探してみましょう。イスラーム教徒の女性が外出するときには必ず顔を隠すヴェールを着けるものと信じている向きもあるかもしれませんが、作品2の踊り子や作品7作品9の少女は別としても、作品14から作品17に描かれているエジプト農村の女性はみな顔を隠してはいません。作品4作品10に描かれているように、カイロの貴婦人が外出するときにはおそらくヴェールで顔を隠したものと思われますが、かたや農村で、目しか出さないブルクー(顔覆い)を着けているのは作品13の女性だけです。当時ブルクーは貴婦人やしかるべき階層の女性たちの外出着で、ふつうの農民がこれを身にまとうことはありませんでした。プリス・ダヴェンヌの作品はこうした事実を私たちに正確に伝えてくれているのです。