1. 中世ヨーロッパにおける「ユダヤ人」迫害 |
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・職業・居住地の制限(ゲットーへの隔離) |
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・ユダヤ人であることを示す帽子・バッジ(ユダヤの星)の着用強制 |
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・民衆によるユダヤ人襲撃 |
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☆背景:(1)神殺し(イエス殺し)の罪、(2)聖餐のパン汚しの妄想、(3)儀式殺人疑惑 |
2. シオニズム運動の誕生 |
1789 フランス革命〜「国民」の誕生(すべての国民は平等な権利・義務を有する) |
1791 ユダヤ人に市民権 → ナポレオンの征服時に、各地でゲットーの壁が壊される |
19世紀半ば以降 ドイツ、イタリア、イギリスなどでもユダヤ人に市民権付与 |
☆ユダヤ人側の反応 (1)同化、(2)同化拒否(ユダヤ教の戒律と生活習慣の固持)(3)シオニズム(ユダヤ人を一つの民族と考え、民族国家を目指す) |
★シオニズム(エルサレムの別称「シオンの丘」に戻ろうという主張に基づく) |
背景:新たな反ユダヤ主義(アンチ・セミティズム)〜ナショナリズムの負の面 |
Theodor Herzl(ジャーナリスト:1860〜1904)の登場 |
1894 ドレフュス事件を取材 |
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→ 確信:“ユダヤ人の国が作られないかぎりユダヤ人の真の解放はあり得ない” |
1896 『ユダヤ人国家』出版 |
1897 第一回世界シオニスト会議(「バーゼル綱領」の採択) |
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→ 世界シオニスト機構による「ユダヤ民族基金」設立と、パレスティナの土地購入 |
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“土地なき民に民なき土地を”(ユダヤ人が移民することの正統性を主張) |
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ただし、「ユダヤ人」の大半はシオニズム運動に無関心 |
(1880〜1925 アメリカへの移住者400万人に対し、パレスティナへの移住者15万人) |
3. 第一次大戦時におけるイギリスの三枚舌外交と戦後のパレスティナ |
- フセイン・マクマホン書簡(戦後、アラビア半島と東アラブにアラブ王国を建国)
- サイクス・ピコ協定(戦後、東アラブの英仏による分割、パレスティナの国際管理)
- バルフォア宣言(パレスティナにユダヤ人のナショナル・ホーム建設)
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1920 サンレモ会議〜英仏による東アラブ分割(委任統治)決定 |
1922 パレスティナ委任統治規約調印 → シオニズム運動の基盤拡大へ |
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→ パレスティナ・アラブの抵抗と両コミュニティーの衝突(1936 アラブ大反乱へ) |
1939 第二次世界大戦勃発〜ナチのホロコーストによるユダヤ人移民激増 |