☆もともとはShia Ali(アリーの党派:Shia Muawiyaの対立概念)
     ・ムハンマド家の人々こそ、ウンマの指導者になる“聖なる権利”を持つ、と考える
     ―――→ アリー以前の3人のカリフを認めない(「簒奪者」として非難)
     ・ガディール・ホムの「伝説」(預言者はアリーを後継者に指名した、とされる)

661 ハワーリジュ派によるアリーの暗殺、ウマイヤ朝成立

680 ウマイヤ朝初代カリフ、ムアーウィヤ没
     ―――→ Kufaのアリー派、メッカのHusaynに決起を促す
     そして、ムハッラム月10日(アーシューラー)
     Karbalaの悲劇(預言者の愛孫、第3代イマーム・フセインの殉教)
684 タウワーブーン(懺悔者たち)の反乱
685〜687 ムフタールの反乱:アリーとファーティマの子ではないイマームを擁立
     → イマームの死をめぐって、ガイバ(お隠れ)思想登場
740 ザイドの反乱
     (ガディール・ホム「伝説」を否定、ガイバ思想否定―――ザイド派の成立)
     → シーア派の多数派はザイドに従わず、Jafar al-Sadiqを支持
     さらに、ジャアファル後のイマーム位をめぐってイスマーイール派が分離
750 アッバース朝革命(シーア派を利用してウマイヤ朝を打倒した新王朝)
     12イマーム派第8代イマームAli Rida(エマーム・レザー)の殉教
     → 以後、イマームたちはアッバース朝により厳しく監視される
874 第12代Muhammad al-Muntazar(待たれる者)が小ガイバに入る
     (941 ムハンマド、大ガイバに入る)
     → Mahdi(救世主)としての再臨説、12イマーム派信仰の根幹に
932〜1056 ブワイフ朝
     シーア派の教義・儀礼確立(不可謬のイマーム論、ガイバ論など)
10世紀初め〜12世紀後半 ファーティマ朝(イスマーイール派の王朝)
     → 「山の老人」伝説:アサシン(暗殺者)の語源に
16世紀初め サファヴィー朝による12イマーム派の国教化(イランのシーア派化進む)
20世紀後半 ホメイニー、「法学者の統治」論を発明
1979 イラン・イスラーム革命
“毎日がアーシューラー!すべての場所がカルバラー!”
―――→ サッダーム・フセインの介入により、イラン・イラク戦争勃発(〜1988)
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