1. 預言者死後のウンマ(イスラーム共同体)
632 預言者ムハンマド没〜「預言者は死んだ。だが、神は永遠である」
     ―――→ 話し合いで、初代カリフ(代理人)にAbu Bakr選出
ただし、当初はFatimaとAliが選出を認めず
アラビア半島各地の「背教者」たちとの戦い→半島、ウンマのもとに再統一
633 メソポタミア、シリアへの軍事進出開始
634 第2代カリフにUmar選出(Abu Bakrによる指名)
     大征服(636 シリア・イラン、642 〜アラム語+単性論派の支持
Misr(軍営都市)の建設:バスラ、クーファ、フスタートなど
さらに、中央アジア、北シリアへ転戦
644 第3代カリフにUthman選出(後継者選出委員会の6名による選出)
     (651頃 コーラン結集)
《征服の停滞と、ウマイヤ家一門同族重用への不満が高まる》
―――→ エジプト駐留の兵士たち、マディーナへ。ウスマーンを殺害
656 第4代カリフとしてアリー選出
     ―――→ ウマイヤ家のシリア総督Muawiya、アリーに反対して挙兵
660 ムアーウィヤ、カリフ位就任宣言
661 アリー暗殺。ウマイヤ朝の成立

2. Khawarij(Khariji派)
657 シッフィーンの戦い(アリーvsムアーウィヤ)
     戦局膠着、調停へ→アリー軍の一部、数千人が軍を離脱(語源:kharaja出る)
“判決は神にのみ属す”
658 アリー軍との戦闘〜数百人を残して全滅
661 アリー暗殺 → ナジャフ(現イラク)に埋葬:のち、シーア派の聖地に
☆ハワーリジュ派の思想と問題提起
     ・罪の問題提起(「信仰=行為」と考えた人々)
     a)ウスマーン以下は大罪を犯し、ムスリムでなくなった(takfir)
     b)信仰者はウスマーン以下の不正を認め、それを正すために行動しなくてはならない:行動しない者もまた罪人→自派以外は殺害すべし
     ・平等主義〜敬虔なムスリムなら誰でもカリフになる資格がある

《参考文献》
中村廣治郎『イスラム――思想と歴史』東大出版会、1977年
中東政治論地域研究(中東)中東・中央アジアの社会と文化宗教学A地域文化研究A
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