〜1967 世俗的パレスティナ運動(民族主義/社会主義)vs世俗的シオニズム
パレスティナ解放機構:PLO設立。ファタハの対イスラエル攻撃開始)
1967.6 第三次中東戦争 →
     ・イスラエルの完勝(シナイ、ゴラン、西岸、ガザの占領)
     ・アラブ民族主義の欺瞞性露呈(イエメン内戦の影響も) →
  1. 「イスラームの覚醒」へ 〜ヨルダンのムスリム同胞団、占領地に浸透
  2. 宗教的シオニズム(宗教政党マフダルなど)の勢力伸張
     ・嘆きの壁への巡礼実現(建国に続く第二の奇跡:メシアは近づいた)
     ・建国以来の労働シオニズム的社会主義の矛盾と限界がちょうど顕在化

☆宗教的シオニズム(現代ユダヤ教「原理主義」の一部を構成する)の論理
《ユダヤ教の基本:最後の審判の後、メシアがイスラエルの民に贖罪をもたらす》
+カバラー(ユダヤ教神秘主義)〜信仰活動に献身すればメシアの到来は早まる
―――→ ユダヤ教徒によるエレツ・イスラエルへの帰還が贖罪の始まりをなす....
     → 67年戦争占領地へのユダヤ人入植を推進・拡大(〜現在まで)
(but 超正統派のラビたちによれば、人為的努力による贖罪促進論は「背信」

1973.10 第四次中東戦争(イスラエル不敗神話の終わり/オイル・ショック) →
     ・サーダート・エジプト大統領によるイスラームの政治利用(“ジハード”)
     ・イスラエル:世俗的シオニスト指導部の失政に対する不満が噴出
1977.5 イスラエルでリクード政権成立〜大イスラエル主義/東洋系ユダヤ人の支持
(1979.2 イラン・イスラーム革命)
1979.3 エジプト・イスラエル平和条約〜イスラエルの承認、シナイ半島返還
     “土地と平和の交換”を原則とする中東和平プロセスのはじまり →
  1. 「イスラム原理主義」(土地は神に寄進したワクフ。所有権は神に)
  2. 「ユダヤ教原理主義」(土地は神から与えられたエレツ・イスラエル)
双方からの反発(土地を異教徒に売り渡す「背教者」に死を!
1981.10 ジハード団・イスラーム集団連合によるサーダート大統領暗殺
1987.12 インティファーダ(パレスティナ住民の自発的な民衆蜂起)開始 →
     ・ハマース(イスラーム抵抗運動=ムスリム同胞団の再編)
     ・イスラーム・ジハード運動(Sayyid Qutb系:「革命のジハード論」)
ともに、イスラエルばかりか、その協力者もジハードの対象にする
1988.12 パレスティナ民族評議会(PNC)、パレスティナ国家の独立を宣言
1991.1 湾岸戦争(PLOのイラク・フセイン政権支持と終戦後の孤立、苦境)
1993.9 PLOとイスラエルがパレスティナ暫定自治協定に調印
1995.11 ユダヤ教原理主義者の大学生によるラビン・イスラエル首相暗殺
中東政治論地域研究(中東)中東・中央アジアの社会と文化宗教学A地域文化研究A
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