1. イスラーム化の歴史と「近代」以前の状況
     ・ソ連のムスリム:約5380万(1989)/人口増加率44.5%(59〜70)、23.2%(70〜79)
     ・三大ムスリム地域:中央アジア、ザカフカス、ヴォルガ中流域・ウラル

8世紀初頭 アラブ・ムスリム軍のブハラ征服(南部オアシスのイスラーム化)
(一方北部では、10〜16世紀にイスラームがまず遊牧民の支配層、次いで都市民に浸透)
→ ただし、中央アジアでは元々のシャーマニズム・祖先崇拝とイスラームが融合
13世紀 モンゴルによる征服と支配(1370〜1507 ティムール帝国に至る)
14世紀〜 ナクシュバンディー・ネオスーフィー教団の浸透
1552 イワン雷帝によるカザン・ハン国征服 → タタール人の苦難の歴史始まる)
16世紀〜 ロシアとの関係を軸に新たな経済的・政治的秩序の形成が始まる
18世紀後半〜 ブハラ、ヒヴァ、コーカンドの3ハン国鼎立〜オスマン帝国に接近
(豊かな農業生産とロシア=東トルキスタン間の国際商業が基盤)
19世紀後半 ロシアのトルキスタン征服本格化(「文明化の使命」の名のもとに)
1881 ギョクテペの戦い → ロシア領トルキスタンの完成

2. ロシア革命からソ連時代の中央アジア
1917 ロシア10月革命〜レーニン・スターリンによるムスリムへのアピール
だが、ムスリムから見れば、植民地体制は変わらず(ロシア人の支配)
一方、高揚したパン・トルコ主義も、部族主義・地方主義の壁を越えられず
1919 フェルガナ渓谷を中心に「バスマチ」運動(反ソヴィエト)起こる(〜1931頃)
☆一方では、スルタン・ガリエフに代表される「ムスリム・コムニスト」が活動
     ・家父長制批判、部族的習慣・封建的慣習批判
     ・東方諸民族の状況を考慮しないボルシェビキとの対立(民族解放を重視)

1924 「民族−国家的境界画定」(民族の創出と各人の割り振り〜民族間の相違強調)
以後、社会主義建設が進展〜農業主体の開発、遊牧民定住化、部族主義の温存
一方、スターリン期の「適性民族」強制移住により、民族構成は一層複雑に
★ソ連共産党による無神論宣伝・イスラーム批判と生き残ったイスラーム
     ・公式イスラーム:4つのムスリム宗務庁(第二次世界大戦中〜)
     ・非公式イスラーム〜未登録・非合法のスーフィー教団が担い手
◎聖地(特にロシア人との聖戦で亡くなった人々の墓を)巡礼

3. ソ連邦崩壊前後からの動き
☆背景:アフガニスタン戦争の反動、中央アジア全体の「土着化」(よそ者の帰国)
1987頃〜 広範囲にわたるイスラームの復活(草の根、スーフィズム、政治運動)
高学歴青年層・知識人の民族文化・歴史への新たな関心》
→ ナショナリズムとイスラームの結合(ロシアへの同化拒否 → イスラームに注目)
そして、自民族の歴史発見(あるいは捏造)が進む現在へ
中東政治論地域研究(中東)中東・中央アジアの社会と文化宗教学A地域文化研究A
これまでの研究活動TOP最近5年間のその他の研究・教育活動