1956年のフルシチョフによるスターリン批判(2月),中国共産党による百花斉放政策の導入(5月)の影響を受けて,当時のベトナム民主共和国においても,首都ハノイを中心に著名な作家,知識人,大学教授や学生が,雑誌『ザイファム』(Giai
Pham:佳品)や新聞『ニャンヴァン』(Nhan Van:人文)に依拠して政権党であるベトナム労働党(現在のベトナム共産党)に対する批判を展開しました。当時は現在と異なり,作家たちのこうした動きを支える民間の出版社が存在していました。労働党は同年末にこれらの雑誌を事実上の発禁処分にして,党批判の動きを封じようとしました。ただし,それ以上の措置がとられなかったため,作家の一部は1957年に入っても作家協会の機関紙『ヴァン』(Van)に党批判ともとれる作品を発表しました。その後,1958年に入ると,労働党は体制批判的な作家や知識人に対する個人攻撃を開始し,関係者を反革命集団「ニャンヴァン・ザイファム一味」として文芸組織や大学などから追放しました。
それから30年近く経った1987年,ベトナム共産党は『ニャンヴァン』『ザイファム』関係者の事実上の名誉回復を行い,彼らは創作活動に復帰しました。しかし,共産党は事件を再評価することはしないとの姿勢を崩さないまま,今日に至っています。この間に関係者の多くが他界し,事件も風化していくかのようにみえます。私たちにとって最も重要なことは,実際に関係者が1956年から1957年にかけてどのような主張を展開したのかを知ることにあります。
私はアジア・アフリカ言語文化研究所附属情報資源利用研究センター(IRC)の支援を得て,下記の文献資料をPDF化し,保存しました。
名称 | 巻・号 | 発行年月日 | 発行元 |
Nhan Van | so 1 | 1956年 9月20日 | --- |
Nhan Van | so 2 | 1956年 9月30日 | --- |
Nhan Van | so 3 | 1956年10月15日 | --- |
Nhan Van | so 4 | 1956年11月 5日 | --- |
Nhan Van | so 5 | 1956年11月20日 | --- |
Giai Pham mua Xuan | 1956年 2月 | Minh Duc Xuat Ban | |
Giai Pham mua Thu | tap I | 1956年 8月 | Minh Duc Xuat Ban |
Giai Pham mua Thu | tap II | 1956年 9月 | Minh Duc Xuat Ban |
Giai Pham mua Thu | tap III | 1956年10月 | Minh Duc Xuat Ban |
Giai Pham mua Dong | tap I | 1956年11月 | Minh Duc Xuat Ban |
Dat Moi | tap I | 1956年11月 | Minh Duc Xuat Ban |
Van | so 28 | 1957年11月15日 | Hoi nha van Viet Nam |
Van | so 29 | 1957年11月22日 | Hoi nha van Viet Nam |
Van | so 30 | 1957年11月29日 | Hoi nha van Viet Nam |
Van | so 31 | 1957年12月 6日 | Hoi nha van Viet Nam |
Van | so 32 | 1957年12月13日 | Hoi nha van Viet Nam |
Van | so 33 | 1957年12月20日 | Hoi nha van Viet Nam |
Van | so 34 | 1957年12月27日 | Hoi nha van Viet Nam |
Van | so 35 | 1958年 1月 3日 | Hoi nha van Viet Nam |
Van | so 36 | 1958年 1月10日 | Hoi nha van Viet Nam |
Van | so 37 | 1958年 1月17日 | Hoi nha van Viet Nam |
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東京外国語大学 研究協力課全国共同利用係
1956年当時,『ザイファム』誌の出版元であったミンドゥク出版の社長をしていたチャン・ティエウ・バオ(Tran Thieu Bao)という人物がいました。「ニャンヴァン・ザイファム一味」の黒幕とされ,1960年の裁判で10年の禁固刑と財産没収の憂き目に遭いました。実はバオさんは,私が大学院生時代,当時のハノイ大学ベトナム語科に留学していた時,まだ小数だった外国人を相手にBat Dan通りで古本屋を開いていました。私はチャン・ティエウ・バオという名前は知っていましたが,ベトナム人は「バオさん」という呼び方しかしないので,まさかあのバオさんだとは知る由もありませんでした。しかし,ある時(確か1986年4月か5月頃),値段交渉の場となっていた2階に上がり,展示されていたモノクロ写真の周りにMinh Ducという文字がきれいに飾り付けてあるのに気がつきました。「あなたはもしやニャンヴァン・ザイファムのチャン・ティエウ・バオさんではないですか?」と単刀直入にたずねると,「その通りだ」という答えが返ってきました。バオさんは,「みんな没収されてしまったが...」と言いながらも,大変嬉しそうにして酒をふるまってくれました。ただ,当時はベトナム人と外国人の接触が厳しく制限されていたため,私もあまり立ち入った話をすることを控えました。しかし,その後間もなくバオさんは亡くなり,詳しい話をうかがう機会は永遠に失われてしまいました。環境が異なっていれば,バオさんには大きな財産を築きあげるだけの才能は十分にあったし,ベトナムの文化発展に貢献できたろうと思うと,残念でなりません。
ベトナムではドイモイ開始以降,市場経済への移行が始まってから,各地で景観が大きく変わりつつあります。ドイモイ前の景観と比較すると,最近20数年間に生じた大きな変化と同時に,集団主義(旧い社会主義の時代)の特異性も明確に浮かび上がってきます。このプロジェクトでは,アジア・アフリカ言語文化研究所附属情報資源利用研究センター(IRC)の支援を得て,ベトナムをはじめ,市場経済への道を歩む諸国を中心に,(旧)社会主義時代の写真を収集し,現在と比較することによって,@市場経済化に伴い生じた変化ならびにA社会主義時代の特異性を明らかにすることをめざしています。
ただ,残念なことに写真を撮ることがそれほど好きでもなく,ごく最近になって経年変化を記録することの重要性にめざめたため,1990年代の写真が欠落しています。また,かつて写真を撮った場所が確認できないものもあり,全体が完成するまでにはしばらく時間がかかりそうです。
具体的な対象は当然ながら,私が滞在した経験のある旧社会主義諸国,すなわち,ベトナム,ラオス,ロシア,ラトヴィア,ポーランド,チェコスロヴァキア,ハンガリー,東ドイツに限られることになりますが,再訪する機会のない地域も多く,当面,ベトナムとロシアが中心となります。なお,中国に関しては,改革開放政策導入以前に滞在する機会がなかったため,除外してあります。
国 家 | 都 市 |
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ベトナム | ハノイ ハイフォン ハロン ホーチミン市 フエ ヴィン ランソン |
ソ連・ロシア | モスクワ サンクト・ペテルブルク(工事中) |
ラオス | ヴィエンチャン(工事中) |
ラトヴィア | リガ(工事中) |
ハンガリー | ブダペスト(工事中) |
チェコスロヴァキア | プラハ(工事中) |
ポーランド | ワルシャワ(工事中) グダニスク(工事中) |
東ドイツ | ベルリン(東) ポツダム(工事中) |