海外学術調査フォーラム

連続ワークショップ 『フィールド・サイエンスと新しい学問の構築』第二回 講演(報告)

植物の環境適応形質:フィールドと実験室の間を埋めるには
 塚谷 裕一(岡崎国立共同研究機構・統合バイオサイエンスセンター/基礎生物学研究所)

 普段私たちの研究室では、モデル植物・シロイヌナズナを主たる実験材料として、その葉の形態形成の分子メカニズムの解明を試みている(総説としてTsukaya,2002a,b,c)。1993年にこのテーマを始めた頃は、特に双子葉植物ではまだ葉の形態形成に関してはほとんど理解が進んでいなかった。それは葉の発生が解剖学的解析では把握しにくい、同所的かつ同時的な現象であるためであった。私たちのこれまで示してきたことは、それでも、発生遺伝学という手法を使えば、かなり明確に解きほぐせるということである。

 さて私自身はフィールド・サイエンスにも強い関心がある。特に環境適応形質がどう いう遺伝的背景をもって進化してきたのかは、シロイヌナズナの成果を元に是非解き明かしたいと考えている。そのために、これまでに東南アジア熱帯多雨林での調査、ネパールヒマラヤ高山帯での調査など多くのフィールド調査に参加させていただく機会を得た。また今年からは、島嶼環境に対する植物の環境適応を解明するチームを基盤Bで立ち上げた(課題番号14405017)。こうしたフィールド調査経験を生かし、モデル植物での知見との接点を見つけようとした際、現在、大きな問題となっているのは、野生植物に関しての、意外なほどの基礎データの欠落である。

 例えば野生植物の外部形態については、きわめてアクセスの難しい地域に生えているものであっても、学名が付けられている限りは、多くの場合、かなり精緻な記載が入手できることが多い。ところが、それ以外の点になると、思いがけないほどデータの蓄積は乏しい。私たちの解析している葉の形態形成についてみれば、葉の内部構造、組織切片像といった、ごく簡単な道具で調べられる程度のものであっても、知見は積み上げられていないのが実情である。それは、標本数がきわめて多いような種であっても基本的に変わりがない。これは、フィールド調査に出る植物学者が、ことごとく分類学者ないし生態学者であり、かつその興味も限られた分野に偏っていたためであろう。

 かくして、フィールドのデータは、分類学か生態学に関係したものが蓄積する一方で、それ以外のジャンルのデータは残されないため、例えば生理学、遺伝学、発生学など他のジャンルの研究者が、フィールドに参入してみたくても、とっかかりになる知見が存在しない、という状況が生まれる。そうなると、フィールドと実験室の間のバリアは、どうしてもますます深くならざるを得ない。それは、個々の研究が深化するにつれて、ますます深刻となる。

 例えば発生の研究者が、自らの実験室での成果をもとに、いい応用材料がフィールドにないかと思った場合を考えてみよう。この場合、この研究者が必要なのは、最低限の発生現象についての記述である。自分で一から探し出すというのは、非現実的である。膨大な種数の生物が暮らすフィールドで、自らの興味がぴったり適合するような種を見つけるには、やはり、基礎となる知見がある程度揃っていなければならない。しかも、現在の発生学は分子レベルの仕事が主流である。そういう実験室の研究者にとって、自ら解剖学に立ち戻って、個々の材料の発生を記述するという仕事は、かなり縁遠い仕事に感じられる。結局のところ、多くの研究者は、フィールドに興味を抱きながらも、手がかりの入手不可能なことに失望して、実験室に戻っていくのだ。

 このギャップを埋めるにはどうしたらいいのだろうか?ギャップは、個々の研究の専門分化が広がり、深化するにつれ、ますます深くなる。対策は早急になされる必要がある。時間を戻すことができない以上、現実的な案としては、フィールドの現地研究者の協力を得る体制を整えることに尽きるのではないだろうか。不幸なことだが、現実としてはフィールド調査の舞台となる多くの発展途上国では、最新機器を用いた高額予算に基づく研究は不可能である。そうしたところの研究者でも、第一線で活躍できる舞台として、フィールドの生物についての、詳細な記述をお願いするのは、それをサポートし、発展させるべく協力体制を組みさえすれば、決して身勝手なことではないと思う。フィールド調査の研究者は、カウンターパートの研究者とよく話し合って、そういった長期計画も組むことが求められるのではないだろうか。それはひいては、外部研究ジャンルの研究者を呼び込み、研究をさらに活性化させる大きな土台となるはずである。私自身、そう言う構想を一部の方に呼びかけているが、なかなか難しいようだ。しかしこれは、是非実現すべき方策だと思われる。


文献:
 1) Tsukaya, H. 2002a. Int. Rev. Cytol. 217: 1-39.
 2) Tsukaya, H. 2002b.
  http://www.aspb.org/downloads/arabidopsis/tsukayafinal.pdf
 3) Tsukaya, H. 2002c. Plant Cell Physiol. 43: 372-378.