海外学術調査フォーラム

連続ワークショップ 『フィールド・サイエンスと新しい学問の構築』第一回 コメント(報告)

コメンテータ:諏訪 正明(北海道大学大学院農学研究科)

 その主要な情報をフィールドワークによって入手する研究をフィールドサイエンスというのであろう。国内外の様々な地域で行われる調査には研究対象ごとに多様極まりない問題が生ずる。得られた成果をめぐる問題も大きなものがあり、研究者の所有物ではあり得ない。従来の個人あるいは少人数の組織による調査では対応しきれない、学際的課題も急増している。現状をどの様に認識し、将来を構想すればよいのであろう。


  1. 松井先生の「人類学におけるフィールドワーク批判とその反批判」では、限定的体験から普遍性を求めることの難しさが指摘された。
     対象が人間、あるいは人類・文化であることから、得られる情報の質量、偏り、精度等のばらつきは、自然科学における以上に、調査者の性別、熟練度、価値観等に左右されるであろう。この情報の不整合性が普遍的理論の展開を妨げ、越えがたい裂け目ともなるということであろうか。それが必然であるなら、むしろその「裂け目」を積極的に用いて、これを跳び越えねばならないというが、具体的にはどうすればよいのであろう。調査者のスタンスについての不断の内省と豊かな調査経験に帰着するのであろうか。
     人類学者の権威のあり方等、多くのフィールドの問題点は確かに本質的な批判には当たらないものであり、克服可能であろう。文化人類学分野では地域研究や民族学を過小評価する傾向があるのであろうか。このため、万事に普遍化を求めるのであろうか。だが、個別的、断片的情報から性急に普遍化を図れば、それは独断と偏見に陥る危険性が高いと言わざるを得ない。この危険性を回避するための「技」を人類学者に求めることは妥当であろうか。それが可能な研究者もあり得るであろうが、むしろ、個別研究を正当に評価し、量的な蓄積を促進することが重要ではないか。蓄積された個別研究の集合から普遍的理論を構築するにもそれなりの「技」が要求されよう。研究者はその「技」の洗練度を試されることになる。
     人類とて、時間の流れの中で、現在の地域に居住する民族となったのであり、別個の所産ではない。大きな流れも、支流では伏流水となることもあり、辿ることの困難は常に存在するだろうが、不可能とは言えない。多くの個別研究の比較によってそれは可能となるであろう。

  2. 福田先生の「フィールド情報学の確立 —地球環境変動に関連して—」では、問題解決型の学際研究プロジェクトを推進するための組織、研究手法、研究者に求められる資質等が、「シベリアタイガにおける環境の保全と持続可能な資源開発を達成する手法の開発」という研究の実例を通して語られ、これからのフィールドサイエンスの有り様と統括者の重要性が実感させられた。学際化すればするほど、情報交換が重要となる。共通の目標のための情報編集を通して、共同研究を推進する、これが「フィールド情報学」であると。
     時代を超えた普遍性の追求にとどまらずに、時代変化に応じたダイナミックな課題に機動的に対応する研究の必要性が指摘され、地球環境関連の問題では正にこのような研究が緊要であることが理解される。従来の大学や研究機関の組織では対応しきれない研究課題、これに対応するためにはどの様な組織をどの様に構築するのか、どの様に運用するのかといった難しい問題点に関して、実例を通して多くの示唆が与えられたと言えよう。今後、このような大きなプロジェクトを推進するためには、多様な研究分野から、「研究統括者」となりうる人材が供給されねばならないが、現在の効率主義的教育体制からは容易ではないと思われる。全人教育が重視されねばならないのではなかろうか。

  3. 阪本先生の「イネ科穀類の起源・系統分化・伝播に関する研究」では、食文化までも視野に入れて、世界各地で長期に亘って展開された、正に「イネ科穀類に関する総合調査」が語られた。収集された膨大な資料、情報の背後には克服された困難、障害がどれほど横たわっているのであろうか。政治的国境とは関係なく分布する生物を求めての調査にかけた情熱と、今に続く系統保存事業に傾注した努力、フィールドサイエンスの王道を歩まれたとの感を深くした。
     木原均の時代であれば人類共通の成果として素直に喜べた有用遺伝資源の調査、探索も、穀物メジャーが市場を支配する現在は、ナショナリズムによる情報の囲い込みが否応のない現実となっている。調査の協同と成果の共有に十分な配慮が従来以上に求められていると言えよう。

 当日はあまりコメント出来得なかったが、私なりに感じたことを綴ってみた。「日本のフィールド・サイエンスの現在」は実に多様な研究が行われているが、福田先生の言われる「社会の要請による問題解決型の学際的研究」の展開と、角田先生の言われる「研究者の倫理と役割についての認識」の必要性に集約されよう。研究者個人の努力と理解に加えて、二国間あるいは多国間の、あるいは国内的・国際的な協定やルール作りが、民間レベルや政府レベルで、求められるようになろう。
 浅学のため、諸先生の話題を十分に理解出来たとは言い難く、また誤解もあると思われる。的を外れた感想となったであろうことを深謝する次第である。