海外学術調査フォーラム

連続ワークショップ 『フィールド・サイエンスと新しい学問の構築』第一回 講演(報告)

フィールド情報学の確立-地球環境変動に関連して-
 福田 正己(北海道大学低温科学研究所)

  1. はじめに

     21世紀を迎えるにあたり、人類は未だ経験をしなかった、「環境破壊」と「資源枯渇」という問題に直面しようとしている。その解決策の確立には、今まで蓄積してきた知識や技術に加 えて、新しい学問体系による新知識あるいは新技術の創出が欠かせない。翻って我が国の資源とエネルギーは、ほとんど海外に依存しており、「資源枯渇」による直接的影響は計り知れない。また北海道の立地環境からは、資源確保と環境保全の2面から、北ユーラシアとその沿岸域での潜在的エネルギー資源とその開発が重要となる。安定したエネルギー資源を確保し、また開発に際して環境保全に配慮し、持続可能な開発プランの策定が、北ユーラシアとその沿岸地域では望まれており、エネルギー資源確保という、国家安全保障上からの対応が急がれる。こうした時代背景を踏まえ、北ユーラシア地域での現状を概観するなら、何故本研究が立案され、またその実施が急がれるかが明確となる。北ユーラシア地域には、広大な森林−タイガ−が分布する。その面積は全地球上の森林の約30%を占める。タイガ地域は寒冷でかつ乾燥地域である。たとえば、東シベリアタイガ中心に位置するヤクーツクでは、年降水量は230mmに過ぎない。これはケッペン区分の砂漠(200mm) に近く、森林の成立限界を超えており、本来であれば森林は成立しえない。寒冷と乾燥環境条件にもかかわらず、シベリアタイガが成立しえるのは、その下に存在する永久凍土のおかげといえる。

     約2万年前の最終氷期には、北ユーラシア陸域は厳しい寒冷環境下にあり、地盤は深くまで凍結して永久凍土が形成された。1.3万年前から後氷期の温暖化により、北米やヨーロッパ北西部を厚く覆っていた氷床は、直ちに温暖化に応答して融解消滅した。北ユーラシアには氷床は存在せず、厚く形成された永久凍土が残された。後氷期の温暖化のもとでも、氷床と異なり永久凍土は直ちに融解することはない。地中に温暖化が伝播するにはある程度の時間を要するからである。一方、気候の温暖化で、植生はいち早く応答し、南から森林帯が北進を開始した。

     永久凍土は水を浸透させない遮水効果がある。また夏季には表層部はわずかに融解する。すると夏季の降水は、この夏季融解層のなかに貯留され、下層の永久凍土に阻まれて下方へ流出できない。この上部融解層に貯留された水分を有効に利用して、針葉樹が繁茂できる。シベリアが寒冷・乾燥にもかかわらず、世界で最も広い森林−タイガ−が成立できるのは、下に永久凍土が存在するからである。また永久凍土側から見ると、森林が後氷期にいち早く成立したことで、気候温暖化を阻止する働きをして、凍土の大規模融解を遅延させている。タイガはいわば永久凍土から見て、断熱層の役目をしている。しかし、最近の地球温暖化傾向のため、地下の永久凍土は熱的に不安定化しており、表面を覆うタイガが攪乱されて失われると、一気に大規模融解が誘発される。一旦永久凍土が大規模融解すると、もはや地表水の下方浸透を遮断する能力が失われ、再び 失われ、再びタイガが更新しえなくなる。永久凍土とタイガは相互に依存しあう「共生関係」にあるとも言える。

     こうした微妙な調和を保っていたシベリアタイガでは、森林資源としての伐採や多発する森林火災のため、急速にタイガが失われている。FAOSTAT(1998)によれば、1964年から1993年の30年間で、全世界の森林面積は約2億ヘクタールが消失した。これは日本の面積の約5倍である。この内で、ロシア領土内の森林減少は、その約50%にも達する。つまり森林の破壊と消失は、熱帯アマゾンや東南アジア熱帯林よりも、シベリアタイガで著しい。森林の消失は、そこでの炭素収支のバランスが乱される。つまり温暖化を阻止する森林による二酸化炭素の吸収が阻害され、温暖化抑制効果が弱まる。さらに多発する森林火災では、直接的に二酸化炭素が大気へ放出される。

     また最終氷期に永久凍土内に貯留されたメタンガスが、森林消失で凍土が融解することで大気へ放出される。 こうした温暖化効果ガスが、森林攪乱で一気に増加しており、シベリアタイガはもはや炭素吸収から放出源化している可能性もある。

      森林の攪乱・消失の主原因は、人為的な要因である。たとえば、ずさんな森林伐採計画やまた不適切な森林管理、資源開発に伴う森林の伐採、森林に立ち入る人々が不注意に失火させることによる森林火災の多発。こうしたタイガの攪乱・破壊は、地球温暖化を促進させ、また河川流出の増加など、水資源にも影響を与える。しかもそうした河川からの懸濁物質は、北極海やオホーツク海に流出し、海洋環境や資源に影響を与える。こうして北ユーラシアでの環境変動は、より広域へと拡散し、地球温暖化促進では地球規模にまで拡大する。

     一方、北ユーラシアでは、地下には豊富なエネルギー資源が埋蔵されている。天然ガスでは全世界の約20%がシベリアに埋蔵されている。これを有用化するには、長大なガスパイプラインの建設が必要とされる。その際に、森林が大規模に伐採され、破壊される危険性が指摘されている。


  2. 問題解決のために

     こうした深刻な現状に対し、どう対応すればよいか。それは的確な現状把握とそれに基づく長期予測、そして問題を解決する制御技術開発という一貫した研究体制が確立されなければならない。北海道大学に2000年4月に新たに、学内措置として設置された北ユーラシア・北太平洋地域研究センターは、こうした課題解決を主要な研究課題としている。既存の大学院研究科や研究所では、単一的研究指向や手法に依存するため、多岐で複雑な自然現象とその変動予測、また制御を成し遂げるには不向きである。センターは問題解決型のプロジェクト研究を掲げ、そのために関係研究機関から研究員が集まり、学問領域を超えた研究集団を構成している。それは自然環境学から始まり、森林科学、大気化学、大気モデル学、燃焼工学、システム工学、地域学、環境経済学、環境法学、文化人類学と広範にわたる分野研究者から成り立つ。

     こうした機動性に富んだ学際的な研究組織を効果的に運用するために、研究プラットフォームと呼ぶユニークなシステムを導入した。ここでは、設定された課題を複数置き、一定の数の研究者がチームを編成し、学内外に多くの研究協力者を配して、集中的な共同研究を展開する。

     研究費は積極的に外部から導入し、一定期間(例えば5カ年)で目的を達成する。その一例が前述したシベリア永久凍土攪乱と温暖化効果ガス放出であり、現在科学技術振興事業団の「戦略的基礎研究」として、北ユーラシア・北太平洋地域センターにその研究拠点が設置されている。

     こうした新しい形でのプロジェクト研究を推進するにあたり、その確立が不可欠とされるのが、北ユーラシア地域に関するフィールド情報学(Field Informatics)である。これに相当する研究推進中核は、いまだ確立されていない。まさに現在展開している地域研究推進から、その必要性と展開が要請された。

     Field Informaticsとは、従来の地理情報(GIS)のみではなく、実際に野外での調査・研究で取得した膨大なデータと、基本データとの統合化を行うツールである。繰り返しになるが、こうした問題解決型のプロジェクトにとっては、最も効果的ツールであり、これからの地域研究や環境問題解決に欠かせないツールである。本研究課題では、このField Informaticsを新たに創出し、効果的に運用することを主目的としている。そのために、北ユーラシア・北太平洋地域センターの中核をなす研究グループを少数摘出して、研究グループを構成する。

     このような緊急課題を短期間で解決し、見える形でField Informaticsを提案するためには、少数精鋭での研究グループを編成することがベストと考えた。また、センターの柔軟な構造と運用形態を活用し、広範な支援グループからのサポートを得ることで、研究領域の多面性を確保する。

     Field Informaticsの確立は、本研究グループが中心となり、北ユーラシア・北太平洋地域研究センターを現状の学内措置施設から、新たな共同利用研究センター(COE)への転換をはかる。そうした意味では、まさに新たな研究拠点形成が、本研究課題の最終ゴールと言える。


  3. フィールド情報学確立のための拠点形成
        -基本的考え方(拠点形成の目的・方法,拠点の将来像)-

     2000年4月、北海道大学に新たな研究センターが発足した。それは北ユーラシアと北太平洋地域について、学際的な体制で研究を行う新しい施設である。従来の大学内に設置される研究センターは、独自の定員や事務組織を有し、付置研究所などと同等の位置づけで運営されていた。しかし、今回設立された地域研究センターは、従来のそれと異なり、学内の共同プロジェクトを推進する母体として位置づけられている。センターの研究員は、センターに所属する基幹教官と既存の部局に所属しながら、プロジェクトごとに活動に参加するプロジェクト教官の両方で構成されている。基幹教官は教授1名と助手1名で構成されている。これに対し、プロジェクト教官は、定員21名で現在20名が参加している。

     この研究センターのユニークな特徴は、少数の基幹教官以外は、他の部局に所属しながら兼務・兼担で参加する教官の多いことにある。なぜこのような構成となったか。それは従来の大学における研究あるいは教育の不十分さをどのように補うかという視点で、このセンターに新たな機能が付け加えられているからである。

     従来の大学での教育・研究は、長期的展望に基づいて立案され、また実行されている。この場合では、基礎的な研究や教育については、一定期間以上の継続性が保証される一方、社会の動きが早かったり、動的に変革するような時代には、研究・教育方針が対応しきれなくなる恐れがある。かといって組織がそれなりに大きくなった大学では、簡単に舵を切り替えることは難しい。この点が、大学と社会との結びつきを弱めている。また、大学が浮世離れした教育や研究をしているとの批判を受ける素地でもある。

     教育や研究では、即効性を求めず、また時代を超越した普遍性を具するべきという考え方もある。確かに20世紀中葉までは、社会あるいは学問は比較的緩やかに変化してきた。そうした時代背景では、時間を超越した普遍性を大学に求めるのも了解できる。しかし、昨今の社会・技術・産業の変化は以前より加速されている。技術についても、数年の時間経過で陳腐化する例はコンピュータの能力向上を見れば明らかである。時代を超えた普遍的なものと、時代変化に応じてダイナミックに変化する部分と、知識世界も二分化しつつある。大学の教育・研究は、伝統的に普遍性に依拠してきた。その結果、変化に即応した研究や教育の体制は遅れてきた。そこで、大学の基本的仕組みや体制を残しつつ、社会からの要請に機動的に対応するような組織を作り出す必要に迫られている。

     北ユーラシア・北太平洋地域研究センターは、まさにそうした社会の要請に応えるために、新たに設置された。そしてそれは(図a.研究プラットフォーム 図b.フィールド情報学概念図 図c.MissonOrientedResearchSystem)にあるような、少数集団でなおかつその組織母胎が柔軟な構造をとるにいたった。さらに既存の部局との違いは、センターはある特定のまた複数の課題プロジェクトについての、効率的な研究を行うことを主な目的としていることである。その課題は、地域に固有であったり、あるいは北海道との結びつきの強い課題である。


  4. 北ユーラシア・北太平洋地域では何が問題となっているか
        -事例研究-

     北ユーラシア陸域及び北太平洋海域とはどの地域を示しているか。ここで地政的な国境や国の領土で対象を限定することはしない。むしろ自然環境の共通性で対象領域を決めることに意味がある。例えばシベリアの永久凍土地域を覆う大森林(タイガ)の分布を見ると、南は中国東北部からである。東西はエニセイ川より西側でオビ川中流域までタイガは分布する。このタイガ分布域が、森林分布から切り出した北ユーラシアとなる。同じような視点(あるいは視座)で、地質構造や地形単位で北ユーラシアを区分できる。すなわち対象地域は、いくつかの視点により区分けして決められることになる。関連する事項によっては、ロシア中央部にまで拡大される。さらに比較対比として、アラスカや北欧までも含めることもある。こうした対象地域の拡大化は、海域でより顕著となる。これらの地域での共通性は、自然環境の脆弱さとそこに分布する豊富な資源である。自然環境の脆弱性は、例えばツンドラ植生の破壊に対する回復の遅さなどに現れる。ツンドラ地域を 車両で踏みつけると、地表植生は簡単に破壊され、再生されないことが多い。ツンドラ上空から下を見ると、筋状に車両走行の跡があたかも布地を切り裂くように残されている。シベリアタイガとその下に分布する永久凍土との間には共生関係が成り立つ。タイガが攪乱されると、その下の永久凍土も大規模融解が引き起こされる。北ユーラシアの自然環境は、わずかな攪乱でも容易に損なわれるほど脆弱なのだ。ところが一方、北ユーラシアには豊富な資源が存在する。例えば天然ガスはシベリア地域に全世界の埋蔵量の20%が分布している。こうしたエネルギー資源の他に、金やダイアモンド、タングステン、コバルト、ニッケルといったハイテク産業の重要な原料が地下に埋まっている。さらに全世界の深林面積の約30%を占めるシベリアタイガ地域は、世界でも有数の森林資源を有する。こうしたエネルギー資源や金属資源の開発が、旧ソビエト時代には環境への配慮もなく進められ、それがとてつもない環境破壊として残された。資源開と環境の保全とは、一見相反するように見える。しかし、過去の資源収奪型の開発ではなく、持続可能な資源開発への転換が強く求められている。

     北ユーラシア・北太平洋地域研究センターの果たすべき役割は、これら地域での環境の保全と持続可能な資源開発を達成する手法の開発である。特に社会的に疲弊した旧社会主義国では、社会システムの破壊と新システム構築の遅れのため、社会も経済も混乱を極めている。こうした時期こそ、環境の長期的保全策や、将来の見通しに基づく開発計画が求められている。またその最重要課題は対象地域の的確な情報の集約である。

     本研究が狙うのは、こうした多様なかつ豊富な資源や環境を、21世紀へ持続可能な開発を企画する上で、Field Informaticsの構築が急がれる理由である。


  5. 地域に派生する問題解決策とは

     北ユーラシア・北太平洋地域では、未だにその資源の潜在性は大きい。特に天然ガスについては、埋蔵量は確定されておらず、将来性は残されている。しかし、天然ガスを有用化するには、それを輸送するパイプラインの敷設は欠かせない。そこでタイガを切り開き、パイプラインを建設する際に、路線沿いの自然環境は大きな打撃を受け、環境破壊と環境汚染が複合して発生する。旧ソビエト時代には、環境保全へのアセスメントが不十分なまま乱開発が行われ、その結果、復元不可能なまでの環境破壊を引き起こした。資源開発と環境保全という一見相反する事業の展開が求められ、過去においてはことごとく失敗してきた。そうした過ちを繰り返さないために、一体我々はなにをすべきなのだろうか。

     センターの構成メンバーは、自然科学、工学、社会科学といった学際的な構成となっている。それは「なにをすべきか」という問いかけへの回答である。一例を挙げてみよう。

     シベリアタイガは乱開発と多発する森林火災で衰退しつつある。また従来言われたように、シベリアタイガは二酸化炭素の吸収源ではなく、むしろ放出源になっている可能性もある。となるとこれはシベリアという地域に限定された問題でなく、地球規模の温暖化促進に繋がってくる。それを抑制するにはどうすべきか。それは次の3段階でアプローチする。


    (1) 現象の究明
     シベリアタイガ地域での火災発生やそれが引き起こす環境変動の実体を明らかにする。そのためには、森林科学、大気化学、凍土学といった自然科学分野が連携して長期の観測を行う。その結果、森林破壊が及ぼす影響と派生する現象を把握する。

    (2) 将来予測
     観測結果から、実際に進行している現象の素過程が解明され、それがモデル化され、将来予測を行う。気象学などの分野。

    (3) 抑制技術開発
     素過程の理解と将来予測によって、制御可能な過程パスを掌握し、現象での非線形性から、小さなエネルギーで大きく出力が制御できるパスを見つけだす。場合によっては、法律的な規則等の社会基盤の制御を実現する。工学分野、法律等の社会科学分野。
     これを研究の流れに置き換えると、(1)現象の究明→(2)将来予測→(3)抑制技術開発となり、これは一貫して行う必要がある。ところが従来の大学での研究は、理学系と社会学系との研究分野での共同研究は成り立ち難かった。既存部局は類似の研究領域で閉じているからである。そこで北ユーラシア・北太平洋地域センターでは、こうした一貫した流れでの研究が可能となるシステムを導入した。それを研究プラットフォームと呼ぶ。


     課題解決のために、共通の研究基盤が用意されている。ここには関連する部局からプロジェクト教官がプロジェクトに参加してくる。必要に応じて学外に研究協力者を求める。この研究課題では、センターが研究費を充足しない。各プロジェクトごとに外部の研究費を獲得する。成果の一環として新たな知的財産を獲得した場合にはTLOと協力して、ノウハウを積極的に外部へ公開する。 共通プロジェクトを研究プラットホームで効率的に展開する場合に、最も重要なツールがField Informatics(フィールド情報学)=総合地域情報データベースである。

     本研究では、研究プラットホームの円滑なまた連携した研究支援のため、従来の概念にない地域総合情報データベースを構築することをその主な目的としている。

     従来の地域情報データベースとその解析手法(通常GISと呼ぶ)との最大の相違は、 北ユーラシア・北太平洋地域研究センターが既に実施・展開している、海外での調査・研究で得られた様々なデータを、Field Inforaticsの中に蓄積し、既存のGISデータと結合させる点にある。 それが本研究課題の目指すField Informatics中核の構築である。