海外学術調査フォーラム

V 北米・中南米

座長関 雄二(国立民族学博物館)
中山 俊秀(AA研)
情報提供講師井上 幸孝(専修大学文学部)
タイトル「メキシコにおける歴史文書研究の現状」

情報提供講師紹介
井上幸孝氏は大阪外国語大学出身で、メキシコ外務省奨学生としてメキシコ国立自治大学に留学経験がある。同大学およびメトロポリターナ自治大学、国立人類学歴史学研究所、社会人類学高等調査研究所、メキシコ州大学院大学などの研究機関と連繋し、メキシコ史に関するさまざまな研究を進めている。近年の科研の採択課題には、スペインとメキシコにおける聖ヤコブ信仰の継続と変容の統合的分析(2017年度-)科学研究費補助金(基盤研究(C))、古代アメリカの比較文明論(計画研究A04:植民地時代から現代の中南米の先住民文化)(2014年度-)科学研究費補助金(新学術領域研究)、環太平洋の環境文明史(計画研究A02:メソアメリカ文明の盛衰と環境の通時的研究)(2009-2013年度)科学研究費補助金(新学術領域研究)、東西交流史の新たな視角:メキシコ史研究から見る東・東南アジアの文化変容(2013-2015年度)科学研究費補助金(挑戦的萌芽研究)等がある。


メキシコ歴史学の動向
メキシコ革命後(1917年)~20世紀後半は、「メスティソの国(混血国家)」として、先住民の国民統合等、メキシコ人アイデンティティを模索する時期であった。1990年代から現代においては、コロンブス500周年、EZLN蜂起(サパティスタ民族解放軍によるメキシコ南部での武装蜂起)、先住民の国民統合に積極的役割を果たした国立先住民庁(INI)の解体などを通し、「複文化国家」として、「先住民」や「黒人」を主体にした歴史研究のテーマが増加した。
 先住民を主体とした歴史の再構築をテーマとした著作に、E・オゴルマン「アメリカの発明」(1958)、M・レオン=ポルティージャ「敗者の視点」(1959)、M・レオン=ポルティージャ「ナワトル哲学」(1956)、A・ロペス・アウスティン「トラクアチュの神話」(1990)、S・グリュジンスキ「想像力の植民地化」(1998/1991)、J・ロックハート「征服後のナワ人」(1992/1999)等がある。先スペイン期~現代を見据えたメソアメリカ先住民的思考様式の解明、先住民資料の見直しという流れの中、メソアメリカ先住民 vs. 征服者スペイン人という単純な二項対立のその先へと研究が進展していった。


研究テーマ
井上氏の研究テーマには、以下のものがある:16~17世紀の先住民の歴史記述に関する研究、「権原証書」、テチアロヤン絵文書群に関する研究、その他(アステカの宗教・思想、クリオーニョの歴史記述等)。本分科会では、「権原証書」とテチアロヤン絵文書群に関する研究について報告があった。
 「権原証書」は、17~18世紀以降の先住民村落で作成された土地権利を証明する文書である。対象地域では主にアルファベット表記のナワトル語が用いられ、地図や線画も「権原証書」には含まれている。21世紀最初の10年ほどに、「権原証書」の研究が流行した。その中にある歴史的内容の記述は「間違いだらけ」であり、植民地時代中~後期の先住民村落における過去の把握の様子がうかがわれる。またナワトル語テキストの分析からは、スペイン語訳だけでは分からない論理性が導き出される(例:境界領域の捉え方、土地は「神」からの授かり物という視点等)。
 「テチアロヤン絵文書群」とは、共通した様式の17世紀後半~18世紀前半に作成された「絵文書風」文書を指し、時に「偽造文書」との判断も受けるものである。井上氏は、そのうち2編を対象に、絵の部分のみならずテキスト部分についても分析を行った。これらは隣り合った2つの場所で作成されたもので、実際に現地でのフィールド調査を行い、リストアップした土地の同定作業を行った結果、土地領域の記述は極めて現実に即したものであることが分かった。


メキシコでの調査
メキシコには直行便(ANA、アエロメヒコ)が毎日就航している。ビザ不要であり、言語はスペイン語。メキシコ市の安全管理・健康管理や、資料収集(日本への送付)、現地調査(移動手段)、研究活動(人間関係、手続き関係)等について説明があった。合わせてフィールド調査の様子などについて、写真での紹介があった。
 現在、資料のデジタル化が進んでおり、それに伴う課題も出てきている。たとえば、「未発見資料」を見出すことの価値の低下、物理的ハンディキャップの軽減(=世界中の研究者が同じ土俵に立つ状況)がある一方、古文書読解の技術習得の必要性や「解釈」の重要性の上昇、公開される資料の偏り、資料を直接見られないことによる研究の限界(vs. 文化遺産の保護)等が挙げられる。
 また、日本におけるメキシコ歴史研究の課題としては、「横のものを縦にする」時代の終焉、古文書解読の技術、先住民言語の習得を行う場がないこと、研究をスタートする(あるいは続ける)ハードルが高くなったこと、などが挙げられる。


質疑応答においては、「権原証書」の作成者(→ 書いた人物が記されているケースもあるが、ほとんどの場合書かれておらず、いつ作られたかも分からない)、「境界領域」に関する表現、裁判における文書等について、活発な議論が行われた。


(報告: 伊藤 智ゆき(AA研))