海外学術調査フォーラム

V 北米・中南米

座長木村 秀雄(東京大学大学院総合文化研究科)
渡辺 己(AA研)
情報提供講師鶴見 英成(東京大学総合研究博物館)
タイトル「ペルーにおける日本人の考古学プロジェクト」

1.話題提供

「ペルーにおける日本人の考古学プロジェクト」
  鶴見 英成(つるみ えいせい・東京大学総合研究博物館)

はじめに

 報告者は1996年に文化人類学の大学院生としてアンデス考古学に参画、03年から自身で調査を実施。発掘は大規模な土木事業で、過去を対象としながらも金銭・社会関係・安全管理など、生きた人間との折衝の連続。

 1958年、東大の泉靖一らの広域踏査が日本のアンデス考古学の端緒。60年代にコトシュ遺跡で、神殿の登場は土器導入より古いと証明し、定説を覆す(壁面装飾「交差した手」が出土)。以来日本調査団は文明の起源を探り、年代の古い遺跡が多いペルー北部を中心に活動したが、90年代後半からは多様な時代・地域に。


文化財をめぐる状況

 東大調査団は1989年、クントゥル・ワシ遺跡で黄金製品を発見。盗掘者より先に考古学者が黄金に到達した初の事例と言われた。地元での保管が望まれ、94年に日本の援助でクントゥル・ワシ博物館創立。

 黄金で名高いペルーは盗掘が多く、昨今の経済成長・国土開発で遺跡破壊が深刻。住民が古代文化と自身との間に断絶を意識するなど、背景に様々な要因が。遺跡の現状変更には文化省の許可が必要で、目的が研究・教育であろうと例外はない(12年、博物館の考古学者が岩絵を無断で移動展示し、後に実刑)。しかし一般人の盗掘・遺跡破壊は政府も把握しきれない。


報告者の調査

 1980年代、ヘケテペケ川流域に貯水池が完成。一帯には遺跡が多すぎて、水没前の事前調査は不十分に終わる。報告者は水没を免れたラス・ワカス遺跡を03年から発掘し、神殿の拡張の過程などを研究。09年からその対岸で先土器期の神殿モスキート遺跡を調査。


調査資格や申請

 ペルーでは考古学者とは職業名。課程を履修し資格を取得、国家登録(RNA)した者が考古学者。外国人も資格があればペルー人考古学者と連名で調査立案できる(資格がない者はペルー人を代表とし、自身は顧問などの肩書きで参加)。かつては外国の修士号で資格が取れたが、一時ペルー考古学者会(COARPE)という別の調査資格が制定され、その影響で今では博士号が必要(博士論文のための発掘計画が面倒に)。

 調査申請は計画書・法令遵守の宣誓書などを提出。考古学委員会が審査し文化大臣が認可(人事異動で手続きが滞ることも)。調査中は査察官が随時監督し、調査後は遺物の返却、報告書の提出と審査。これらの手続きは金銭負担が大きい。日本などで遺物を専門的に分析する際、炭や骨など自然遺物はともかく、人工遺物の輸出許可は厳しく、破壊分析が却下されることも。近年は装置のポータブル化により現地で分析する動きが。

 現地では人員・車両・機材などを手配。発掘中の事故、疾病(肝炎や狂犬病)など安全面に配慮。高額の送金、現金化、作業員への支払い(給与強盗を警戒し発掘現場での現金払いではなく口座振込に)に苦慮。


日本と現地の関係

 コトシュ遺跡の「交差した手」は地域のシンボルとして住民の関心も高い。東大は地元での展覧会開催に続き、2016年に50年ぶりの再調査を計画。手厚く保護された遺跡なのでなるべく傷めない調査方法を模索(今年は測量して現状把握)。


2.質疑応答

Q.貯水池で水中考古学は?

A.湖底に遺跡が残っていない。河床を削り、貯水量を増すとともに土砂をダムの建材としたため。


Q.戦後は満蒙に行けなくなったので、西アジアや南米へ?

A.泉靖一は該当。南米の日系移民調査を機に考古学に開眼。


Q.東大の中南米考古はペルーだけ?

A.中米調査の構想もあったが南米ペルーに専念。90年代以降、他大学が南米(エクアドル、ボリビアも)、中米(メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルなど)で活躍。


(報告:荒川 慎太郎(AA研))