海外学術調査フォーラム

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    座長伊藤 元己(東京大学大学院総合文化研究科)
    西井 凉子(AA研)
    話題提供者吉松 久美子(AA研)
    タイトル「ミャンマーにおけるムスリム調査」

    <研究対象>

    話題提供者の研究・調査対象は、ミャンマー国内に住むムスリムのうち、雲南系ムスリムおよびその子孫である。漢語では回民(回回、回族)と、ビルマ語ではパンデーと呼ばれる。1983年国勢調査では2965人いるとされるが、実数は1万数千人はいるのではないか。
    パンデーは交易の民であり、主に交易の拠点となる都市に居住する。王朝後半期ら植民地にかけて、彼らの隊商は雲南馬に乗り、川が作る盆地に成立した小国モン(ムアン)を結ぶ主に5つの交易路を行き来し交易を行った。輸入品は綿花から貴金属へ、輸出品は鉄・銅・錫製品からアヘンや生糸、さらに中国産食料品へと、時代の要請によって変化した。
    ミャンマー国内には中国系のパンデーの他にビルマ系やインド系のムスリムが居住し、全国のムスリム総人口は500万人以上と推定される。

    <調査の詳細>

    話題提供者は1996年~2008年にわたり、1度の長期滞在と科研費による数度の短期調査を行った。そのうち、マンダレーとタウンジーの2つの都市にある中国・ビルマ・インド各系統のムスリムがモスクで行う供犠(ゴルバニ)に関する調査について述べる。
    マンダレー市のムスリム人口は9~10万人、うち約1500人がパンデーと推定される(1997年)。ムスリムの各系統はそれぞれ独自の長い歴史と伝統習慣を持つ。合計で64のモスクがあり、モスクごとに供儀式を行なっていた。ところが2004年に市街地屠殺禁止令が発布され、供犠の場所が郊外の3箇所に指定された。このため、ムスリム各系統は協力して供犠を行うことを余儀なくされ現在に至る。
    仏教徒シャン族の町であるタウンジー市のムスリム人口は約2万人、うち約1800人がパンデーと推定される(2007年)。インド系であるパタンおよびベンガリ、パンデー、ビルマ系の4つのモスクがある。この町でも1981年に屠殺禁止令が発布されたが、依然として供犠はモスクごとに行われている。ムスリム各系統は、マンダレーに比べるとゆるやかなつながりを保っている。

    <ミャンマーでの調査>

    軍事政権下のミャンマーでは、国内のフィールド調査の許可を得るのは難しかった。調査には政府関係者や秘密警察が同行し、被質問者が自由に本音を語ることが憚られる状況もあった。資料の持ち出しは税関で厳しくチェックされ、禁止品目は没収された。
    2011年3月の民政移行後は、調査者の行動も、被質問者の発言もかなり自由になった。また検閲も同年8月に廃止された。とは言え、幹線以外の道路の整備が不十分なため調査地への移動に時間がかかることや、乾季の電力不足などの状況は従来のままである。ヤンゴンの交通事情は悪化し、しばしば大渋滞に見舞われる。また近年のブームで観光・ビジネス目的で訪れる外国人の増加により、ヤンゴンのホテルは法外なほどに値上がりし、早めに予約しないと取れない。
    ビルマ人は概しておっとりとして誠実である。軍事政権下で人づてで知り合った調査協力者は、さほど多忙でなかったこと、外国人の研究者が珍しかったこともあってよく調査に協力してくれたものだ。昨今は商機を探るのに忙しい人が多いようである。

    <質疑応答>

    最近よく報道されるようになったイスラム教徒に対する迫害、「パンデー」という名称の語源、ムスリム各民族相互の埋葬・食習慣・婚姻の違い、それにもかかわらず共同で供犠を行うことを強いられている現在の状況などに関する質問が寄せられた。


    (報告:澤田 英夫(AA研))