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  • 中央アジア見聞記(1999年夏)王建新
  • 中央アジア見聞記(1999年夏)王建新

    本稿は2000年度刊行の文部省科学研究費・国際学術研究 海外学術調査ニュースレターNo.43に掲載されました。



    (1999年)8月末から9月末までの間,科学研究費・基盤研究A(研究代表者:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・新免康)の研究プロジェクトに参加して,約一か月間,ウズベキスタンとカザフスタンで研究調査を行なった。今回の調査で,トルコ系諸民族の社会と文化に興味をもつ私は,カザフ人とウイグル人社会についても若干の資料収集や聞き取り調査を行なったが,研究テーマの分担上、中央アジアのドンガン人を中心にデータ・文献の収集に従事した。もちろん、ドンガン人社会に関する詳しい報告は別の機会に譲ることとし,ここでは,これら中央アジアの国家における私なりの見聞や感想を記したいと思う。

    一般的な印象

    美しい自然景観,暖かい人情,その一方に存在する緊迫した政治情勢と複雑な民族・宗教事情、などが最も印象に残ったことである。都市部は,高層ビルをあまり見ないかわりに、点在する広大な公園や広場、芝生や樹木に覆われた広い街路など,豊かな緑のなかで一種の安寧かつ優雅な感触が伝わってくる。農村や牧畜地域になると,立派な住居と広い土地に注意を惹かれると同時に,学校教育の充実ぶりにも驚いた。過去の集団農場や牧場は解体したものの,国立の小・中学校が田舎の隅々まで整備されていた。要するに、ソ連時代に構築された社会・教育の基盤が独立後もしっかりと機能しているようである。
    人々は暖かい心を持ちながら礼儀正しい。これらと対照的に,政治情勢が不安定になっているため,街のなかに私服警官や武装警察の数が多く,恣意的に人を訊問したりすることが至るところで見かけられる。いつか自分も訊問されてしまうのではないかと思って、びくびくしながら街を歩いたことも多かった。また、これら諸国に微妙な民族関係や宗教問題が存在する以上、それらに関する話題にはできるだけ触れないようにするのも,こちらの礼儀であるし,暖かく迎えてくれた人々に迷惑を掛けない心づかいである。



    タシュケント郊外のバザール

    ロシア文化の影響

    トルコ系諸民族の国々に来たという意識があった私は、まず自分にとって手慣れたトルコ系の言葉で現地人とコミュニケーションを取ろうと思った。しかし、実際は必ずしもそれがうまくいったとは言い難い。というのは、ソ連崩壊後の今でもまだまだロシア語の力が強いからである。これまで主に中国の新疆ウイグル自治区で調査を行ってきた私は、ロシア語に十分に習熟しているとは言えないため、かなり苦労した。個別的には自民族のトルコ系言語で話してくれるが,公共の場では主にロシア語を使用する。ウズベキスタンの場合は、現地人とウズベク語で話したのだが,カザフスタンとなると,こちらがカザフ語で話しかけても(ウイグル語訛りのカザフ語だが)、カザフ人なのに返ってくる言葉はロシア語ということが多かった。あるとき,アルマトゥの街でロシア人のおばさんに簡単なロシア語で道を聞いたのだが,答えが速すぎて聞き取れない。「ロシア語ができないと,ここでは難しいよ」というようなことまで言われる始末であった。特に諸民族間の交流においては、今でもロシア語が中心的な役割を果たしている。カザフスタンでは看板の文字もキリル文字一本で,レストランもロシア風のものが多い。トルコ系民族の間でポピュラーな「ラグマン」を食べるとなると、バザールなどで探す必要があった。



    サマルカンド市内のバザールにて

    不均衡な経済事情

    激しいインフレや活気のない状況が一般的に見られるが,国家の間に明らかな差が存在する。タシュケントでは,外国通貨の取引に対する制限があるため,闇市でドルを両替することが盛んになっている。公定レートは1ドル対150スム程度だが,非公式レートは1ドル対550スムで取引が行なわれていた。自動車や電機製品、高級洋服などの値段は高いが,バザールで売られる日常用品や食料品などは甚だ安価であった。特に,電車,バス,タクシー(白タクが多い)など、市内の交通手段が便利で経済的なのは好ましく思える。また、国際電話も安い。ホテル以外にも24時間体制の国際電話の窓口があり,日本へ10分間かけて常に1700スム前後の料金であった。闇市のレートで計算するとただの3ドルくらい。逆に,アルマトゥでは,金融機関でドルの取引が1ドル対135テンゲ前後のレートで自由にできる一方,ドル両替の闇市はあまり見かけない。困ったのは、国際電話が非常に不便でかつ高いことである。ホテル内と中央電話局からしかかけられないし、日本へ1分間の電話料金が約6ドル,日本からかけるときの約3倍である。両国の通信事情が大きく違っているとは言え,これだけの差がでる理由については、経済事情の比較だけでは説明が付かないであろう。ビシュケクでのドル両替もその国の経済事情を物語る。市内中心部にある国営デパート「ツム」で書籍を購入するためにドルの両替をしたところ、1ドル対42ソムのレート表示があるにはあったのだが,100ドル以下の両替であったため1ドル対38ソムの計算でしか取引してくれなかった。つまり,100ドル以上の大きな金額の両替だけが、公定レートで行なえるのである。



    アルマトゥ市内(スルタン・クルガン)のウイグル学校

    旅行中のエピソード

    今夏の調査旅行は、エピソードが多かったと言える。自分自身の不注意もあったし,現地の事情によるものもあった。
    一つは、ウズベキスタンのヴィザの問題である。当初、トルコのイスタンブル経由で中央アジア現地に入る予定であったため、ウズベキスタンとカザフスタンへの一次有効の入国ビザを取得した。ところが、ウズベキスタン航空の名古屋発タシュケントへのチャーター便があることがわかり、それに切り替えた。帰途がタシュケント経由となったため、ウズベキスタンへの再入国トランジット・ビザが必要になった。しかし、それを出発前に東京の旅行社を通して取ることができず、ウズベキスタンへの1次入国の際にタシュケントの旅行エージェントの所で入手できるという話だったので、とりあえず安心して出発した。しかし,タシュケント滞在中に、結局取得できなかったし、アルマトゥで再度別の現地の旅行会社に依頼したものの、アルマトゥ駐在ウズベキスタン大使館で、理由に関する説明のないまま,ビザの発給を拒否された。現地の旅行エージェントは、タシュケント空港に着いてから入国しないで名古屋行の便に乗りかえるとか,陸路でウズベキスタンに入り、タシュケント空港へ直行して飛行機に乗る、などといった方法を色々と考案してくれたが,高まる不安のなかで深刻に悩んでいた。結局,日本人鉱山技師の拉致事件が発生したあおりを受ける形で乗客が激減したため、ウズベキスタン航空のタシュケント〜名古屋便が飛ばなくなり,アルマトゥからソウル経由で日本に戻ってきた。ヴィザなどの旅行手続きが事前に行き届いてなかったことの怖さを、自らの体験を以て認識した。とくに中央アジアの場合、訪問するすべての国の入国する回数分のヴィザを、完全に日本で取得しておく必要がある。
    もう一つはタシュケントでの経験である。ある地下鉄の駅で写真を1枚だけ撮ったところ,警察に連行されたのである。自分はウズベキスタンの歴史と文化が大好きで、ウズベク語も勉強している研究者だとか言って,一所懸命に自分の行為が善意的な動機に基づくものであることを主張した結果,カメラなども没収されることなく解放してくれた。そういう点では幸運だったが,自分の軽率さを反省させられた。
    以上、今夏の旅行で印象に残った幾つかの体験を述べた。中央アジアは自然が豊かで人々も暖かい。私は個人的に、中央アジアの国々と人々が大好きである。学術面を始めとして様々な交流の輪をもっと広げていきたい。そのために,ロシア語と各民族語に習熟し、現地住民と同じ高さの視線で物事を見る姿勢を身につけ,現地の社会と文化を深く理解できるように絶えず努力したいと思っている。



    民族工芸品の店(タシュケント市内)