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ヤシの木ラオと魚

テキスト提供:小澤俊夫さん

 

    
 ラオとその両親は森のきわに住んでいたが、まだだれもその森を横切って向こうの端まで行ったことはなかった。三人の生活はとても単調だった。ラオは畑で働くときや、森で木を切り出すときに父の手助けをした他には、自分の家の水牛を牧場か、あるいは森のきわの下ばえのところまで連れ出すことだけをすればよかった。ラオはいつでも両親の言いつけどおりになっていた。それで両親も、いつでも自分たちの息子のことを喜んでいた。

日が暮れて、森の中の鳥の声やさるの呼び声がもう聞こえなくなったとき、三人はランプの前にすわっておしゃべりをした。あるとき、ラオの父は自分たちの水牛が大変多くなったので、ラオは水牛たちを切れ目なくずっと牧場へ出さなければならないだろうと言いわたした。ラオは父の肋言をじっと静かに素直に聞いた。

次の日の朝、ラオは水牛を遠く離れた肥沃な牧草地へ連れていった。大変遠かったので、昼食をとりに家へ帰るのが遅くなることがたびたびあった。そこで母親は、いつも弁当の用意をしてくれた。お昼になって、水牛たちが反すうしながら、うっそうと茂った木の下陰を捜し出すと、ラオは歩いていって、池のほとりに生えているワリンギンの木の下に腰をおろした。ワリンギンの木の下にはひとつの大きな石の台があった。そこに腰かけて、そしてのんびりと寝そべった。おなかがすくと弁当箱を開け、そして、満足げに足をぶらぶらさせて水の表面をぼちゃぼちゃやりながら、大いに楽しんでご飯を食べた。

 その池はとてもきれいだった。池の岸辺に生えている木やかん木から、明るい色の花がたれ下がっていた。その上、この池の周囲にはたくさんのはすや、とてもきれいなゆりが生えていた。その池は何匹ものちょうが舞い遊んだり、蜜を吸ったり、あるいは優美な鳥たちが羽を広げる場所だった。とんぼは空を飛びまわり、小さなぼうふらを食べようと捜していた。あちこちに一群の水がも、あるいはさぎもやってきた。烏たちは次から次へと水面を矢のように飛び立ったかと思うと、今度はくり返し楽しげに水の中にもぐるのだった。

ラオは自然の優美な営みを目の前にしてどんなに驚いたことか。陰をつくっているワリンギンの葉っぱを通して、時どき日の光が射してきた。すると鏡のような水面をすかして、小さな魚の群れが見えた。何ひとつ邪魔をせず、ラオはすべてのものをそのままにしておいた。

 ワリンギンの根かたにあるひとつの池の中に美しい姿をした大きな魚が住んでいた。この魚はもう何年間もその池に住んでいた。ラオがご飯を包んであった葉っぱをその池の中へ捨てるたびに、その魚は残りを食べようと浮かび上がってきた。その美しい魚がほんとうに喜んでご飯の残りを食べるのをラオは見ることができた。それ以来、ラオはいつでもご飯をほんの少し食べてはたくさんの残りを魚にやった。ラオは魚の親友になった。

 ラオは毎日毎日ほんの少ししか食べなかったので、やせ衰えてきた。そのことを両親は見逃しはしなかった。両親はふしぎに思いはじめた。息子はいつも弁当を持って牧場へ行っているのに、なぜ時が経てば経つほどやせて、血色が悪くなってしまうのだろうかと。ラオの父親の心に、その事情を探ろうとする気が芽ばえた。

そしてある日、父は息子の後をつけて牧場へ行った。父親は隠れながらついて行ったので、ラオは父親が自分の後をつけているのに気がつかなかった。真昼の暑さになったとき、ラオはその池へ行き、そしてその魚と遊んだ。父親はラオがご飯をほとんどそっくりそのままこの魚にやってしまったのを見て、どんなに驚いたことか。いまや、父は、なぜ息子がどんどんやせこけてきたかがわかった。

それで急いで家へとって返し、妻に話してきかせた「母さんよ、わたしはやっと、なぜおまえの息子がどんどんやせてくるかがわかったよ」。「何が原因だね、父さん」と妻はきいた。「ラオは毎日、ワリンギンの木のそばにあるとても魅惑的な湖へ行っているらしいよ。そしてそこにある石の台の上にすわって、石をコツコツたたきながらとなえるのだ。わたしの魚、わたしの魚、ほらここにおまえの食べ物があるよ、とな。すると一匹の大きな魚がワリンギンの根っこの間を通って上がってくる。そしてラオが持ってきたご飯な食べるのだ。そのご飯のほんの少しばかりの残りがラオのものになるというわけだ」。

「あれまあ。あきれかえったもんだね、父さん。ラオは毎日たっぷりご飯とおかずを持っていくのに、それを全部その魚にやってしまうのかい。ところで父さん、いったいどうしたらいいものだろうか」。「あす、わしはラオに水牛を一日じゅう、河口に連れていけと指図しよう。そうしておいてわしはあの池へ行って、その魚を捕まえよう」

 翌朝のこと――ラオは自分のご飯をもうしまい込んで、水牛のためにさくを開けてやろうと出かけていった――父親は息子に言った「ラオ、河口の草はとても若いよ、おまえは、きょうは水牛をあそこへ連れていくのがいいんじゃないか。水牛たちはきっと早くおなかいっぱいになるだろうよ」。「わかった、父さん」。ラオは素直に答えた。ほんとうはラオはそこに行くのがいやだった。なぜなら自分の魚と話をしたり食べたりできないから。けれどもラオは、父親に口答えをしたくなかった。一日じゅう、ふさぎ込み、自分のご飯には全然手をつけなかった。

 その間に、ラオの父親は、ご飯の小さな包みを持って池へ出かけていった。そして石の台をコツコツとたたき「わたしの魚、わたしの魚、ここにおまえのご飯があるよ」と呼んだ。そしてそのご飯を水の中にまいた。するとその魚が水面へ上がってきた。ラオの父親は急いでナイフを取り出して、魚の頭めがけて切りかかり、魚を裂いてしまった。

魚は水の中でピクピクと動きまわった。しまいに水は魚の血でまっ赤に染まった。それで水がもや鳥たちがそこから逃れて飛び立った。そして二度ともどっては来なかった。咲きほこっていたゆりやはすは花を閉じ、水の中へ消えてしまった。くり返し雷鳴がとどろき、稲妻が水の上をたたきつけた。それから激しい雨と強風が起こった。ラオの父親は急いで魚を取り、家へ帰って妻に魚のカレーを作らせた。一晩じゅう、あの池での奇妙な出来事については何ひとつ語らなかった。

 次の朝、ラオが牧場へ出かけようと思ったとき、ラオは弁当箱に魚のカレーが入っているのを見つけた。ラオは自分の親友の頭が自分の食べ物になったのを知って、まっさおになった。すぐ涙が流れ出た。彼はそのご飯をもう一度包み直し、それを台所の戸硼の上に置いた。ひとこともしゃべらずに、ラオは池の方へ歩いていった。そして水牛たちは、無雑作にその柵の中にとり残されたままだった。両親はラオの様子を塀のうしろからじっと観察していたが、息子の調子を見るとたいそう心配になってきた。ラオの父親はどうしても息子の後をつけていきたくなった。

 湖に到着すると、ラオは波立つ水のその赤い色が、魚のいた場所から出ているのを見つけた。白くて青いはすの色が血の赤に変わっていた。ラオは、自分の友だちがほんとうにもうそこにいないことを、そして自分の父親が友だちを殺してしまったことをさとった。そこで石の台をコツコツとたたき、悲しみに満ちて叫んだ「わたしの石よ、わたしの石よ、おまえの扉をあけておくれ」。すると、その石は割れた。そしてすてきな家具調度のついた家が見えてきた。ラオはその割れ目に飛び込んだ。すると石はふたたび閉じてしまった。

息子が石にのみこまれてしまったのをじっと見ていたラオの父親は飛び出していき、トントンたたいて、石をもう一度開けさせようと試みた。しかし、何時間見張っていてもその石はしっかり閉じたままだった。ただ石の下のほうで赤い色をした泉がサラサラと音を立てて流れていた。そしてこの色は、太陽が沈もうとするとき、西の空に反映するのだった。ラオの父親はその後、自分自身で苦しめてしまったかわいい子供の想い出にずっとひたりながら生きていた。


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